[第212回] 2015年ゆく年くる年
ここから私のコラム記事に番号を振ることにしました。「以前にも書いた」とかの表現だと探しにくいのでこれから通し番号でわかるようにします。というわけで2015年の締めは数えて第212回です。
■ファットテールの当たり年
今年は結構ファットテール出現の年だった。1月のスイスショック、8月のチャイナショック、そしてそれらより小ぶりだが12月12日(取引日11日)のZAR急落(円買い)。まるで台風の当たり年である。これらが我々に突きつける問題は、流動性のままならない通貨を個人投資家向けの外為証拠金取引で扱うことの危険性である。投資家は「流動性の喪失」という事態にどう対応するべきか、また業者側はそれを前提とした事態に対する投資家の理解、納得をいかにして獲得するか。さらに業者はその市場リスクをどこまで経営上のコストとして見るべきなのか。対応が1シグマでよかった時代からすでに2シグマ当たり前の時代に突入していると考えるほうが現実的なのかもしれない。来年もかつての途上国がどんどん力をつけてくるステージにおいて、予測不能な事象、事態、事件等が発生しやすく、市場の不安定さは異常気象に歩調を合わせるかのごとく増していくようにも見える。
■当局の市場リスクコントロールモデルへの取り組み
まだ2015年では正式な動きは外には出てこない。来年にはその辺、ガイドラインになるのか、布令になるのかは知らないが、ルールとして明示される雰囲気がでている。カバー取引にどういうルールがはめられるのか、ストレステストのシナリオはどういうモデルが示されるのかをとても興味深く待っている。
■レバ自主規制〜法人レバ
自主規制なのか、強制になるのか、これも知らないが実質的に法人レバ規制として現在の無制限から50倍になるのは業界のコンセンサスのようにも見える。時代の流れとしてそれは仕方ないというかそれでいいと思う。おもに狙っているのは、企業としての実体のない個人のレバ規制逃れ法人を対象としているのだろうが、それに巻き込まれる実体のある法人にとっては迷惑かというと、そういう本物の法人はそもそもレバ200倍とかで投機はしない。ファンド系だったらなおさらそんな恐ろしいレバはかけないのでその辺の心配はいらないのではないだろうか。
ただ気になるのは、とにかく立替金が発生しないようにしようという発想だけでこういう対応を考えているのだとしたらそれは氷山の一角をみているに過ぎないし、それをレバレッジ規制だけで対応するという発想も不完全であることは間違いない。
■広がるスプレッド?
与信枠が世界的に縮んでいるということはその「与信単価」が上がるということである。そうなると、回りまわってインターバンクのスプレッドは今よりも広がると考える。少なくとも今より狭くなるという流れはもうない。それは誰でも肌感でわかる。さらにトップグループで走っている「原則0.3銭固定」といううたい文句も、一歩後ろに下がることになるかもしれない。個人的にはそれが自然の流れではないかと思っている。人間の活動は常に振り子のように揺れながら調整を行いやがて均衡点へと達する。これもそのひとつとなるに違いない。トータルのコスト(とくにシステム費用)を考えると、今の0.3銭固定がそもそも異常である。少なくとも欧米から見ればそうである。また、業者は上流から下流へ流動性をリレーするファシリテーターであるという定義に立てば(あくまでもこの立場に立てば)、インターバンクのスプレッドの揺らぎに正比例するほうがよい。つまり「固定」スプレッドサービスにはあまり合理性(*)はない。ましてやいざ相場が動きだすとすぐに(強烈に)ワイドな変動スプレッドになるくらいなら、常時変動でインターバンクのそれをなぞるように動いてくれているほうがわかりやすい。来年はこの辺の、日本固有のサービスとして固まり安定してきたかに見える仕様に変化があるかもしれない。
そういいながら、インターバンクが常に価格の基準であるという考え方もそれを当たり前としないほうがよいかもしれない。業者は個人投資家に対して「インターバンクとは違う流動性」を生み出していることをかんがみればそういわざるを得ない。この「」は、インターバンクでは約定していないレートで投資家相手に約定を行うという点をさしていっているのだが、もっと具体的に説明すると、強制ロスカットで業者が任意で約定させたレートとアマウントは、インターバンクに同じレート(マークアップ分は無視して)とアマウントで流れ込んでいかないという事実、また金融庁のレポートにもあるように業者のカバー率が40%しかないという事実である。個人投資家が生み出す流動性のうち60%は個人投資家と業者との間だけで完結しており、インターバンクの流動性とは切り離されたダークプールとなっているという事実である。
*ここでいう「合理性」はかなり複雑な概念を含むので、これもまた別の機会に改めて考えてみたい。
■新たなVenue of Liquidity
Last-look pricing(Streaming Quotes) はLP側、つまりMarket Maker側が拒否できる点がtaker側にとっては悩みの種である。NYで、これをやりすぎて合理性を欠いていると判断され、訴えられれば負けるという判決が出てしまったのだから、さてどうするという話になってもおかしくない。その代替市場として世界的に、日本では「ECN」と呼んできた市場が育ちつつある。ECNという用語は私自身その定義があいまいで人によって結構違った意味で使われている印象がある。ここでいわんとするのは、今までの、銀行等のMarket Makerに個別に回線をつないで、そこから流れ込むStreaming Quotes(Last-look)を自分のシステムの中でアグリゲートするという「Private Last-look Liquidity Pool」ではなくて、世界中のMaker とTakerのLimit Orderを区別なく一つのCentral Limit Order Bookの中でMatching Engineによって約定してゆく「Public Exchange(No Last-look)」を指す。目指すところは、約定拒否のないより充実した流動性と透明性である。そしてさらに、より充実した流動性を確保するという目的において、これらLast-lookとNo Last-lookを合体させるハイブリッドな市場形成が試されている。
来年がどうなるかと大上段に構えて言えることなど何もない。それがわかれば苦労しない。望むこととしてならいろいろある。常に頭の中の最前列にあるのは、業界全体がもっともっと合理性や論理性を追求していってほしいということ。金融はつねに金融の論理性と合理性の綱引きになる。そしてそこに規制という、論理性や合理性にとって必ずしも歓迎できない「槍」が突き刺さる。それら全部を俯瞰的に上手に扱えるようになりながら、他方で競争に打ち勝ちながら客を、預かりを、そして収益を上げていかなければならない。感情とか感性は最後の味付け程度にとどめておくのがよいと思う。
今年の漢字は「安」だった。これは「不安」も含むそうで、為替の市場においても「不安定」という意味で含まれる。そんな一年だった。来年は「申(さる)」、念のため。
今年もご愛読ありがとうございました。来年もとくに変わらず続けていければいきたいと思います。皆様よいお年をお迎えください。
2015年12月吉日
▼尾関高のFXダイアリーをご覧のみなさまへ
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