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尾関高のFXダイアリー

芸術と金融

 アメリカ留学から帰国して、電機メーカーの地方工場で輸出の業務をしているときだった。当時私は28歳ぐらいで、このままメーカーでやっていこうか、あるいは金融の道に転職しようか迷っていた。結局やめようと決意したとき、同僚に数年後輩でジャズベースをやっているヤツがいた。その彼が、私がもうじき辞めると聞いて、相談に乗ってほしいと言ってきた。

二人で、飯を食いながらだったか、喫茶店だったかは忘れたが、彼はこう語りだした。
「僕も実は、会社を辞めようかどうしようか迷ってます。僕はベースをやってるんですが、本当はプロになりたい。でも、プロの道は甘くないし、一生それで飯をくっていける保証もないし・・・(中略)・・・・・そういう世界に入るのが怖いんです」
たしかそんなことを言っていたと記憶している。

彼はウッドベースをやっていた。大学時代もコンテストで結構優秀賞をとったりして、結構な腕前だったらしい。実際私も彼のベースを聞いたが、素人の耳にも、それは心地よく響く音色だった。実際、彼はプロのジャズピアニスト、山下洋輔のオーディションを受けていて、あと数年したらまた来いと言われるぐらいの腕前だった。
その彼の悩みに対して、私はこう答えた。


「極論を言えば、サラリーマンなんて、ある意味無能な人間のやる職種だよ。何がしたいわけでもなく、何に才能があるわけでもなく、あってもそれに気づくことができなかった人間の消極的な選択肢でしかない。俺が今ここにいるのも、この仕事がしたくてしたくてたまらなくてやってるわけじゃない。たまたま運と縁と直感でそうなっているだけのこと。俺だって自分に才能があれば、そしてそれを開花させるだけの情熱があれば、音楽の道に行っていたかもしれない。でもそれらがどちらも俺にはなかった。でもおまえは違う。才能の片鱗が客観的に見えてる。情熱も止められないほどにある。だったらその道を突き詰めるのが一番幸せなことじゃないのかな。その結果失敗しても飯が食えなくなるってこともないよ。そのほうが人生納得いくんじゃないのかな。そんな才能を埋もれさすのは、世の中のジャズファンにとっても損失だと思うけどね」


こうして思い出してみれば、20代そこそこの自分が偉そうなことを言ったものだ。しかし、明らかに「サラリーマンなんて、ある意味無能な人間のやる職種だよ」という言葉は、彼に言うと同時に当時の自分自身に対して言っていた言葉だったことは明らかである。
現在彼は、成功している。むろんジャズの世界なので、派手さはないものの、はた目から見る限り、十分成功した部類に見える。かかる無責任な助言をした私としては、胸をなでおろしている。


 高校時代私も軽音楽部にいた。その時の同級生にもメジャーではないにせよ、音楽で飯を食っている人は何人かいる。そういう彼らを見ると、うらやましいと思う。翻って自分はどうか。金融という音も、色も、形もないものを対象としながらも、頭の中のイメージには、音も、色も、形も、触感もある。そういう意味では、芸術の世界観がそこにはある。それらがあるからこそ、私もこれまでたゆまぬ情熱を注ぐことができた。しかし、金融は金儲けの装置である。そこには音楽とかの芸術のようなピュアな世界観はない。逆にどろどろとした欲の世界観が広がるばかりのように見える。しかし、いったんその装置をつくるという側面を見ると、そこには芸術的な世界観が広がる。それがあったからこそ私も今までやってこられたと思う。

 プロというのは多かれ少なかれ自分の仕事に情熱を持った人たちだと思う。情熱があるからこそプロとしての領域に達することができる(かつて老舗のネット証券の創業社長とお会いした時、彼も(私と同い歳)それを「パッション」と称していた。同じ感性だなあと思った)。そしてプロは、自分が生み出すものに責任を負う。出した結果に対して責任を負う。ただし、ここでいう「責任」は世間の批判を真っ向から受けるという意味である。単に、弁償するとか、保証するとかの狭い意味ではない。ミュージシャンはCDの販売枚数とかで客観的に世間の評価を受ける。そこにごまかしはない。まれにゴーストライターみたいなごまかしが世間を騒がせたりするが、金融の世界の詐欺事件に比べればかわいいものである。


 金融は、「価値概念」と、それを具現化する「理論」と、具象化する「装置」との間で、かつ「既存のそれら」と「新たなそれら」を、矛盾を生じさせずにいかにきれいに結びつけるかという部分で芸術性が発揮される分野であると思っている。それを追及することは遠回りながらビジネスとしての成功をより約束するものであるが、時間と予算の制約がそれを阻む。それゆえ時に場当たり的な妥協の産物を生むことがよくある。芸術的に言えば、汚い、醜い商品を生み出してしまう。消費者としてそういうものをつかまされたとき、音楽は数千円から数万円のがっかりでことは済むが、金融の場合はそうはいかないし、がっかりと気づくまでに時間がかかったりする。見えない、触れない、聞こえないものは、評価がむずかしい。それがちゃんとわかるのは、それを作った側であり、情熱をもち、プロとしての矜持を持ち続ける者である。それは、金融だろうが、おいしい野菜を作りたいという農家の人だろうが、感動させる音楽を作りたいと思うミュージシャンだろうが何も変わらない。そういう矜持を持つ者は、自分の中で納得のいかないものは世に出さない。すくなくとも、出したいとは思わない。


 よくテレビ番組で、安物と高級品を見分けられるかという実験をしているのを見ることがあるが、10人中10人が正解する例を見たことがない。所詮プロではない人たちの評価応力はその程度なのである。だけに、提供する側のプロとしての責任が大きい。
 ちなみに私の価値観から言わせれば、一世を風靡したグロソブや自主規制云々で形をかえていくハイローバイナリーなどは芸術的観点からみて醜い商品の部類である。今の金商法も私の興味分野に限って言えば、つぎはぎだらけでかなり醜い。法律というのはそういうものなのかもしれないけれど。

音楽のような芸術の世界も、IT化の影響を大きく受け、その配信システムも装置産業の色合いを濃くしている。音源もデジタル化され、私たちが耳にする音楽の多くの音源は打ち込みによるものが氾濫している。それでも一部の人は、アナログにこだわる。クラッシックもいまだ消えることなく生き続けている。ノイズゼロのデジタル音源がどんな音でも再現できる時代にあっても、ギターやウッドベースの弦上を指が滑るときに発する「キュー」という音を心地よいと感じる人はいる。そういう人間を感じさせてくれる部分を金融システムに求める私はある程度変人なのかもしれない。


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プロフィール

尾関高

Takashi Ozeki

1986年名古屋大学経済学部卒業。1988年サンダーバード経営大学院(アリゾナ州、米国)卒業。主に日短エクスコにて約9年間、インターバンクの通貨オプションブローカーを経験し、1998年からひまわり証券(旧ダイワフューチャーズ)にて日本で最初に外国為替証拠金取引をシステム開発から立ち上げ、さらに、2006年5月に、これも日本で最初にCFDを開始した。
その後米国FX業者でのニューヨーク駐在や、帰国後日本のシステム会社勤務等をへて、現在は、日本の金融システム会社勤務。そのかたわら、本業のみならず、FXや新たな金融市場にかかわるさまざまな分野においても積極的に意見具申中。
拙著に、「マージンFX」(同友館、2001年2月)と「入門外国為替証拠金取引~取引の仕組みからトラブル防止まで~」(同友館、2004年6月)、また訳書「CFD完全ガイド」(同友館、2010年2月、著者:デイビッドノーマン)がある。

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