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尾関高のFXダイアリー

金融と英語

 楽天は社内公用語を英語にし、会議は全部英語だと新聞で読んだ。ユニクロも英語ができるかどうか、あるいは国籍を一切問わず一律な採用基準を定めようという動き。金融の世界でも英語ができるかどうかは大きな違いを生むが、組織として誰でも英語が使えるということが勝つためのすべてでもないし、英語を使う能力がないとどうにもならないかというとそうでもない。しかし、ないよりはあった方がいいのは確かである。私も日本でいち早くFXとCFDを立ち上げることができた大きな要因は英語が苦にならなかったことである。

勘違いしてはいけないのは、英語ができるということと英語を駆使して動くということは違う。英語ができても、使わなければ意味はないし、つかえても実際に使うときに役に立たなければやはり意味はない。私から見てTOEIC750点は立派な点だが、商売で海外に行くための情報を英語で集め、海外の相手とアポを取り、実際に行って説明し、議論し、ほしい結論をもらって帰るということをするためにはTOIECでは測れない力が必要である。それはある時は情熱であるし、冷静な分析能力であるし、交渉能力、ふてぶてしい性格、そしてなによりも相手に一目置かれるべき業界・業務・商品知識が十分にあるかどうかといったものが大きく影響する。それらが英語であってもちゃんとにじみ出てきて相手に伝わらなければ意味がない。それはTOEIC750点か900点か、あるいは600点かという物差しではなかなか計りづらい。私がFXやCFDを始めるときも、すでにそういうプラットフォームを動かしている海外の業者にコンタクトを取り、社長と話をさせてくれと電話で頼み、そして現地に飛んで会って、契約をするということを大体1〜3か月で済ませたが、そういうことをするにあたって一番大変なのが、電話してアポを取るときである。これを臆することなく平然とかつ迅速にやるのは日本語でも結構ハードルが高いが、それを英語でやるのである。まして相手はスタンダードな聞きやすい英語を話すとは限らないし、相手は自分の会社のことなどなにも知らない。TOEICの勉強でもTOEFLの準備でもそういう“神経”の鍛錬はしない。



日本人同士が英語で議論するという場面も何度か強制的に出くわしたがまったく意味を感じたことはない。ただただ気持ち悪いのみだった。日本語ネイティブ同士だけなら日本語で議論したほうが情報の密度は濃い。無理して英語でやる意味はまったくない。一方、一人でも英語しかできない人がいたらあと何人日本人がいても英語でやる。それが自然だろう。TOEIC750点の人たちだけが集まって英語でやる議論の希薄さはもとより想像するに気色悪い光景が目に浮かぶ。私は通貨オプションブローカー時代、米英香港豪等多国籍なデスクで、大ゲンカが茶飯事の環境で働いたおかげで、英語でディベイト(ほぼ喧嘩に近い)するのは苦にならなくなった。個人的にそれが災いすることも多いのだが、それは実践からしか会得し得ないものである。


日本語は幸か不幸か言語としての発達度は英語並みかそれ以上(?)である。ドイツ語やフランス語もそうかもしれない。一方途上国で人口の少ない国の場合、表現するべき概念の用語(特に抽象名詞)が少ない。そうなると英語に頼るしかない。さらに学校教育においても教科書を編纂・印刷できない。したがってアメリカで作られた教科書をそのまま用いる。そうなると教師も英語となる。20年以上前で古いが、実際私がネパールを旅したとき、知り合った現地人の家に招かれ15歳の娘さんと話をした時もコンピュータの授業で使われていたのは英語の教科書で、授業も英語だと言われた。ほか国語以外はほぼ英語の教科書だった。日本の場合、英語で描かれる概念のほぼ全部を日本語で表現できる。足りないものは外来語という形でカタカナで表記する裏技まである。そうなると、わざわざ英語にする必要がなくなる。成熟した言語であるがゆえに、なかなか英語を習得できない国なのである。だからこそ、英語一辺倒になる必要はないと私は思う。極端に走るのもよろしからざるである。繰り返しで恐縮だが、日本人しかいないのに英語で会議なんて笑えて仕方がない。使いこなす、というなら日本語の会議がひとり英語しか話せない人が入った瞬間から英語に切り替えて、かつ内容の濃さを落とさないように喋れて初めて会議で使える英語といえる。それ未満は、ご挨拶、ともだち英語であると割り切ってあまり大切な議題の会議で英語に固執しない方が身のためである。その程度の見栄のためにオペレーショナルリスクを高めたくはない。


外国に開かれた取引所を目指したり、金融業界が海外との連携を強めたりという動きは何十年もやってきたが、見てのとおりで日本の金融は相変わらず日本のメーカーや商社との抱き合わせ進出時代からあまり進んでいるようには見えない。ド派手に海外の破たんした金融機関を買ったり、ニューヨークの不動産を買ったりしてきたが、日本のシティバンク並みに海外で日本の銀行を見ることはない。かといって海外の銀行はみんなそれができるかといえば日本のシティが数少ないグローバルに成功しているコマーシャルバンクでもある。東京都内街中でバンカメを見ることもRBSを見ることもない。取引所も一般には知られていないが海外の投資家をつなぐ日本のブローカー、証券は多く、それなりに関係性を開拓、維持している。唯一遅いと感じるのは、新たな動きがあった時に同じペースで動きを合わせられないということぐらいであるが、これも情報として遅いという感じではなく、それを組織に取り込むのに遅いという感じなので、言語の問題ではなく企業組織文化、はては日本人気質の問題である。


そう、国際化とか国際的活動においては、言語の問題よりも、この組織における日本人気質のほうが問題なのである。英語をネイティブにしゃべる日本人はいくらでもいる。会議の場において相手側(米国)は議題についての決定権を持っている人が出てくることがよくあるが、日本側は、最終段階にまで詰めたところで、あとは持ち帰って討議の上結論をだしますという回答をすることが多い。この持ち帰って、というのが曲者である。持ち帰る人は結局その権限を持っていないわけで、場合によりけりだが、そんなやつ送ってくるなよというのが相手側の本音になることもある。また、相手側に最終決定者がいない時でも右か左か、1か2かの決定をするだけだというところまで話が煮詰まったら、その場で決定権限のある人に連絡(電話)をして問いただす場面もちょくちょくみられるが、日本側でもそういうことあるだろうか。夜中でも電話して「どうです社長、1で行きますか2で行きますか?今ご返事を!」と聞くぐらいの意思決定の速さが日本企業、特に大きな企業にはないようにも思える。さらに代表(社長)であってもその場で決定しないで本社に戻って他の役員と相談して決めるという回答は相手にしてみれば、なんだこいつという感じがしないでもない。逆に日本企業でも若く、ワンマン社長であれば、だいたいのケース、即断即決である。それが大企業でできないと成人病と言われるのである。私にとって、スティーブジョブズのいいところは自分の会社の製品を熱く直接ユーザーに語りかけることができたという点である。最近はそれを真似して韓国系もやっているが、日本でそれをやるCEOはと考える。むろん英語で、である。役者、渡辺兼のようなオーラでそういうことする日本のCEOが出てくる日が待ち遠しい。


英語の話だった。英語、である。いまさら小学校で一律英語の時代だろうか。タイ語、マレー語、インドネシア語はどうなのか。何語でもやりたい外国語を中学校ぐらいからネイティブについて学べる環境の方がよくないか?デンマークの小学校を訪問したとき(旧く30年前)は、中学までに母国語プラス英語とドイツ語もしくはフランス語をやることになっていてびっくりした。小学校は英語だが、中学からさらにもう一つである。今私がそういう環境にいたなら、英語の後は、ペルシャ語とか、タイ語とか、トルコ語とか選んでみたい気もする。スペイン語も捨てがたい(実は半年だけやったことがある)。何せ世界でもっとも多く話される言語である。


 東証や大証にも英語を話す人はいるだろう。あらゆる書類を英語にしなくてはならない。海外の取引所、投資家、ファンド、CTAとの付き合いもある。すでにそういうことは長年行われてきている。金融においてむしろ心配するのは、システムを開発するエンジニアの質である。英語ができる。英語で文献を読める。英語で海外のシステムとの接続プロジェクトを遂行できる。逆に海外に自分の作ったシステムを売りに行ける。そういう人材をもっと増やしていかないと、どんどんその辺の仕事が、最初から英語でエンジニア教育を受けているインド、ベトナム等々の国々に負けてしまう。さらに、ベトナムのエンジニアのコストは日本の半分である。日本人が作るシステムでも最初から英語をディフォルトとして必ず英語と日本語を切り替えられるような仕様にして作ることが当たり前ぐらいにならないと日本初の金融システムが海外へはばたくということはまずもってありえない。一方そうした海外勢は欧州中東中心に多言語仕様をディフォルトにして、比較的安い値札をつけて日本へ攻め込んでくる。言語の壁が取り払われると、流入のスピードは加速する。


プロフィール

尾関高

Takashi Ozeki

1986年名古屋大学経済学部卒業。1988年サンダーバード経営大学院(アリゾナ州、米国)卒業。主に日短エクスコにて約9年間、インターバンクの通貨オプションブローカーを経験し、1998年からひまわり証券(旧ダイワフューチャーズ)にて日本で最初に外国為替証拠金取引をシステム開発から立ち上げ、さらに、2006年5月に、これも日本で最初にCFDを開始した。
その後米国FX業者でのニューヨーク駐在や、帰国後日本のシステム会社勤務等をへて、現在は、日本の金融システム会社勤務。そのかたわら、本業のみならず、FXや新たな金融市場にかかわるさまざまな分野においても積極的に意見具申中。
拙著に、「マージンFX」(同友館、2001年2月)と「入門外国為替証拠金取引~取引の仕組みからトラブル防止まで~」(同友館、2004年6月)、また訳書「CFD完全ガイド」(同友館、2010年2月、著者:デイビッドノーマン)がある。

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