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尾関高のFXダイアリー

最近のNFA

最近のNFAのFX業者に対する姿勢はきびしさを増している。私の知る限り、こんな感じになっている。



ディーリング(マリー)に対する嫌疑(EEモデル推奨)→取次(ECN,SEF)モデルへの強い誘導→透明性の確保


 店頭・相対取引であるにも関わらず業者からディーリング収益を追求する機会を奪うことになるが、その点についての業者側からの異論はあまり聞こえてこない。NFAはそんな不満など聞く耳を持たないという感じにも見えるし、業界もその点はあきらめているかに見える。ならばと、業者の一部は、流動性を提供する業者側にも資本を出したり、買収したりしてそちら側の利益をグループ内にとどめようとする動きがでている。資本力がなければできない芸当なので、より寡占化が進む要因となる。忘れてならないのは透明性が重視される理由として、見えないところで悪さをするという性悪説や、フラッシュクラッシュのような事象が発生したときの原因究明が困難になるという理由がある。しかし投資家は常に自分の手口は秘密にしたいものである。当局への開示だけなら秘密は守られるので、それが担保されれば公共的な透明性まで必要なのだろうか。ほかにもいろいろ気にすべき点はあるが、ここではここまで。


非対称スリッページにたいする嫌疑→見識の違いを無視→狭義の公平性の強要


 EEモデルになれという前提があれば、シンメトリースリッページをサービスとしてモデルに入れ込むことは可能だが、そのためのシステムコストとしステムリスクは増大する。EEモデルありきの話であることがポイント。IEモデルでは概念を具現化できない。


勝っている・負けている口座数の開示(報告)義務→商品のもつリスクの赤裸々な開示→自らに課されるネガティブキャンペーン


 株や先物も同様な措置が取られているのだろうか。まだそこまで調べてはいないが、しょせん市場リスクあるところで勝つ個人投資家の方が多い市場や商品など存在しない。開示されているデータでは30%から40%が勝っているが、あくまでも実現主義ベースでの勝ち負けに見える。


非居住者の口座開設禁止→マーケティングフィールドの縮小→他国との互恵関係(では英国やオーストラリアはどうなのか)


 日本も実質そういう状態で、強く外国の金融規制当局に求めているのだから互いに相手の芝生にまで土足で上がりこまないことはゲームのルールの統一という点でフェアだが、ならば英国とオーストラリアはどうなのか。さらに最近オプションで目立つキプロスなどはどうなのか。生き残る業者はだいたい海外展開はしているので、そうなっても構わないが海外のオペレーション、コンプラ、リーガルコストは上がる。


NFAへの毎日のデータ送付義務→約定の透明性の確保→システムコスト増大


 会員は毎日送らなければならない。対応には時間とコストがかかった。遅れると罰金も科される(百ドル程度)。罰金を毎日払う方が安いくらいだが、そんなわけにもいかない。おまけにこのルールが実施されるときに会員費も値上げされている。


業者側の評価益の純資産比率参入の否定(対CP、B2B)→自己資本が足りなくなる


 もともとそうだったという話だが、それを理解してそのようにしていた業者ばかりではない。同じグループ会社であっても海外の支店に対する評価益とか未受渡の益は純資産比率計算に算入できない。つまり、手元流動性がその分苦しめられる。


以下、見通しとして。


クレジットカードの禁止(案)→口座開設のハードルが上がる


 なぜ日本はクレジットカードが使えないんだ、法的に禁止されていないならやればいいではないか、と時に言われたが、結局こういうことになりそうである。ちなみに「禁止されていないのになぜ日本ではやらないのか」という質問に私は、それが日本人の良識というもので、何でもかんでも違法でなければやっていいという発想がそもそも間違いなんじゃないだろうか、と答えていた。しかし、実際のところ日本でも消費者ローンという手があるので、さほど自慢して言える話でもないのだが、クレジットカードよりはハードルは高い。


初回入金100ドルは低すぎる(意見)→口座開設のハードルが上がる


(特にコメントなし)


危ないのに危なくないよとうそをつけというわけではない。しかしその程度の危険は投資にはどれでもつきものである。先物市場などもっと危険だとおもうのだが、なぜか店頭FXだけやり玉に挙がっている。違いは透明性の点で“不透明さ”があるということだが、上記の施策がすすむにつれて、やがて米国では純粋な“店頭”FXは姿を消しかねない。店頭とは名ばかりのECN化、SEF化が進み、契約は店頭取引でも、やっていることは取次とほぼ同じになり、私設市場(PTS)と何が違うかというぐらいまで変化していきそうな勢いが感じられる。
 投資家にとって何が違うかと言えば、実はたいした違いはない。どの業者でやってもそこそこおなじサービスが受けられるし、何か問題があった時に透明性の担保はなんとなく公正な“イメージ”が持てる。それだけのことなのだが、そのために取引コストは上がり、そのしわ寄せは結局投資家に回る。業者の収益源が減る一方で管理運営コストは上がってゆく。それを吸収できるだけの規模が維持されるだろうか。


日本は日本


 公表される数字(フォレックスマグネイツ)をみる限り、米国業者の顧客預かり資産は外為どっとコム一社のそれにすら満たない。本当なのかと目を疑うが、預かり残高を「現金」ベースで見るか「純資産」ベースで見るかの違いを考慮しても日本の市場にはるかに満たない。かれらの収益源がいかに米国内だけでなく、外国のグループ会社から上がってくる収益に依存しているかが感じられる。


日本の業者はほとんど日本の市場だけで営業している。一方米系は海外展開しているところがほとんどと言っていい。それでも営業利益を見ると日本のトップの方が優勢に見える。世界一狭いスプレッドを出す市場であるにも関わらず。ここにディーリング収益がもたらす効果が如実に見える。競争力というのはやはりそういうところにある。なぜかこの業界に限っては米国よりも日本のほうが、規制が緩いというよりは違うポリシーが見られる。そしてそこにおいて「店頭取引」として本来の原理原則がまだ守られている。日本のほうがより理屈と合理性にかなっていると私には見える。米国においてはリーマンショック以降過剰な透明性の追求がこうした“店頭でありながら取次モデル”への変化を加速させていると思えるが、米国は透明であることのその先に何を見るのか、見えているのか。見えているならそれは彼らが本当に望むものだろうか。市場から「店頭」を実質的に葬り去るつもりなのか。取引所と店頭の中間的な、あいまいな仕組みを作ることの先に見える弊害や副作用について何の懸念もないのだろうか。


リーマンショックを起こしたのは米国である。アジア通貨、ロシア危機を引き起こす一大要因を作ったのも米国だと思っている。むろん日本も含めた他国もその尻馬に乗った。それらの反省に立った政策は、それはそれで米国独自にやってもらえればいい。何も日本が一緒に巻き込まれる理由はない。対象となる投資家層の文化や考え方も違うのだから、日本は日本で独自に決めればいいことだと私は思っている。


プロフィール

尾関高

Takashi Ozeki

1986年名古屋大学経済学部卒業。1988年サンダーバード経営大学院(アリゾナ州、米国)卒業。主に日短エクスコにて約9年間、インターバンクの通貨オプションブローカーを経験し、1998年からひまわり証券(旧ダイワフューチャーズ)にて日本で最初に外国為替証拠金取引をシステム開発から立ち上げ、さらに、2006年5月に、これも日本で最初にCFDを開始した。
その後米国FX業者でのニューヨーク駐在や、帰国後日本のシステム会社勤務等をへて、現在は、日本の金融システム会社勤務。そのかたわら、本業のみならず、FXや新たな金融市場にかかわるさまざまな分野においても積極的に意見具申中。
拙著に、「マージンFX」(同友館、2001年2月)と「入門外国為替証拠金取引~取引の仕組みからトラブル防止まで~」(同友館、2004年6月)、また訳書「CFD完全ガイド」(同友館、2010年2月、著者:デイビッドノーマン)がある。

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