それでもレバレッジ規制は25倍になるのか(後編)
そもそもの目的
目的は2つあった。
(1) 業者のリスク
業者が未集金を増やすことで経営を危険にさらすことを防ぐこと。つまりそれは投資家に迷惑をかけることにもなる。
(2) 投資家のリスク
個人投資家がむやみにその資産を短期に毀損することから保護すること。
納得の問題
このレバ規制は前者(1)には有効だが、(2)にはあまり利かない。なぜなら、毀損という意味では、足が出るかどうかは問題ではない。個人にとって損を10万円出したということは、預けていた証拠金が12万円であろうと8万円であろうと同じだからである。前者は4万円まだ余剰があり、後者は2万円の足であるが、投資家としてはこの足の2万円を踏み倒せない限り10万円の損に変わりはない。後者が大きく問題になるのは損失した10万円の根拠理由に納得がいってないからである。たぶん問題の本質はここにあるはずなのである。そうだとするならレバをいじるのはお門違いである。
リスクマネーか
たまたま入れていた資金が投資家のリスクマネーかどうかは業者にはわからない。差し入れていたお金が常にリスクマネーであるという前提が成り立つなら、それが「短期」で喪失したとしても、なんら保護の対象にはならないはずである。足が出ても出る理由が理解納得されれば問題にはならないはずである。そういう事例は商品先物業界でも証券業界(信用、先物)でも平等に起きている。
そもそも、預けた額がぎりぎりのリスクマネーであったのに足が出てしまい、業者からさらに不足金の2万円を請求されたが払えないという事例こそ一番金融庁が憂慮するパターンなのではないかと思うが、これはレバレッジを規制するだけでなくなるものではない。あわせて、上記で説明したような仕組みをできる限り業者が説明し、業者に預けるリスクマネーが全部ですという状態で取引をしないように、リスクマネー100のうち預けるのは50とか70ぐらいにして、不測の事態で足がでたときに対応できるだけのお金は残して取引するように啓蒙することも大切であると私は思う。見方しだいでは後者のほうがより大切なことかもしれない。
システム障害
さて、一旦横に置いたシステム障害についてだが、システム障害が大規模に起きれば一日のハイローが2円以内であっても、ロスカットが機能不全になり多くの口座で、MCで足という現象を引き起こしかねない。これはあくまでも言い訳だが他の金融システムと違って為替は24時間動かさなくてはならない。取引所のそれよりもメンテが難しい。ほかに24時間のクリティカルリスクを負うものとしては銀行のネットバンキングぐらいである。取引所のそれとて、毎日夜中はメンテに当てる時間がある。ましてやFX業界ほど競争にさらされていないので競争による圧迫感はない。FX業界は毎日他社をしのぎたい、だからもっといい機能を開発してバージョンアップしたいという強迫観念にも似た欲求が圧力をかける。個人的な感想としては、これが業界として最大の弱点であり、顧客との紛争のきっかけになる要因の中でもっとも多いものではないだろうか。くどいが、レバレッジが主因ではないのである。
具体性と説得
こうした木を見て森を見ずではなく、全体の事象に視点を広げて、具体的な相関性を研究した上で、業界と監督庁は具体的なデータをもって対話すべきではないのだろうか。今あるパブコメにしても、そうした部分にまでちゃんと考察したというエビデンスとかメッセージが伝わってこないので、どうしても聞く側は消化不良を起こしてしまうし、突然レバレッジ規制25倍とかいわれると、青天の霹靂であり、なおかつお門違いじゃないのかと思わざるを得ないのである。どうせ従わねばならない立場(業者も投資家もだが)ならばある程度仕方ないなと納得して従いたいのである。それがないから不満や反論が激しくなる。そこで、次にその生の声を見せてくれたアンケートの話。
矢野経済研究所がおこなったアンケート結果を読んで
[参考] レバレッジ規制に対するFX投資家2,665名の声(矢野経済研究所×FOREX PRESS)
[意見] FX投資家の声:FX投資家1,145名の規制に対する意見(EXCEL/600KB)
私の目に留まった意見として、「レバレッジは関係ない」、「関係あったとしてもそれは個人の自由裁量だ」、「レバレッジを規制するなら業者そのものを規制しろ」、「それよりも取引所とおなじ税制優遇を相対にも適用すべきだ」があった。どれもいままで私も主張してきたテーマである。取引所のみを税制上優遇する時代は終わったのではないか。いまや取引所も公設市場サービス行ではあるが、企業(株式会社)に変わりはない。ましてや本来の取引所機能であるオークション方式からマーケットメイク方式まで導入され、一物一価の価値もない商品まで上場されている今、特別視する根拠が見当たらない。今日の本論からそれだしたので、ここでこの話はストップ。
無作為抽出のアンケートではなく、言いたい人が自由に言いに来ている数字だと思うので、反対派が圧倒的になるのは当然の結果と考える。文句のない人よりある人のほうが投票率は高い。その程度は割り引いて数字を見る。それでも、投資家の多くは、レバレッジ規制を余計なお世話だと感じているのは、至って常識的な考えだし、さらには「自己責任」が啓蒙されてきた成果かもしれない。
予想通り、やはり実際に取引をしている人はよく分かっているものである。規制する側のスタッフのどれだけの人が実際に自分のお金を投じて不当なロスカットをされたと感じる経験をお持ちだろうか。実際に自分のお金で経験しないと、同じロスカットでも、納得できるそれと、納得がいかないそれとの線引きははっきり見えてこない。どこまでが投資家の我儘で、どこからが業者の瑕疵・怠慢・不心得なのか、その理論的、合理的な線引きは難しいのではないか。秘かに研究のために口座を開いてやっておられる職員のかたもおられるのだろうか・・・・・。
緩めすぎたから
1990年後半から「日本の金融市場の国際化・自由化」、「貯蓄から投資へ」、「自己責任の明確化」、「金融市場の活性化」を連呼され、規制する側もそれに応じつつ、大きく変化してきた日本の投資環境だと思うのだが、ここにきて緩めすぎたからすこしは締めないと・・・という流れなのか。だとしたらタイミングはあまりよろしくないのではないか。根本的に締めるにしても締める場所が違うというのが私の主張であるが・・・。
業者のふるい落とし
不能や不健全と思われる業者が締め上げられ撤退を余儀なくされるようなやりかたというものに反対はしない。信託保全もその一例として挙げられるのではないかと思う。そうした業界のフィルタリングがある程度完了した時点で生き残ったまともな業者だけになれば、今回のレバレッジ規制の発端となった問題(紛争、苦情)というのは必ず減っていると思うのである。なくなるとはいわないが、許容されるレベルまでは下がると思う。
そういう意味で、規制は、できるならば、こうした理論無視、統計的相関性無視(議論があったとしても公開されない)の一刀両断、問答無用的な規制ではなくて、業者の足切り的な規制で絞っていくほうが(120社は多すぎると言われれば反論できないが、その門戸を開き、それを認めてきたのも規制当局である)より投資家保護の効果も得やすいし、世論も同調できるのではないだろうか。少なくとも今回のレバレッジ25倍規制に投資家の90%以上が反対するというような居心地の悪い(?)状態にはならないはずだろう。そのほうが、日本の行政が本来目指す、上段冒頭「」書きした目的にもかなうのではないだろうか。
対価のはっきりしないサービスの低下
結局今回の規制で多くの投資家はサービスの低下という不便を余儀なくされ、業者は収益の減少を余儀なくされるのだろう。国内で誰も得をする人はいない(海外で得をする業者は、すこしはいる?)。一方、これで投資家として守られたと感じる人もほとんどいないのではないか。投資家が行政にもっとやってほしいと思うのは、自分では見極め切れない悪徳業者の追放ではないか。その上で、いったん約諾書や取引説明書を読んで、その中に書かれているリスクが実現する限りにおいて“原則としては”自己責任だ、ということぐらいは言われなくても分かっているというのが普通の投資家のスタンスであり大人の個人として持つ本源的なプライドであるはずである。そのプライドまで取り上げるような領域にまでも行政が踏み込む必要があるのだろうか。
実際にレバ規制の発端となった、被害にあった投資家の話をいろいろと聞かないと本当の意味での公正な議論にはならないのであるが、なぜか私の目に見えてこない。本来規制する側からこれでもかと具体例がざっくざっくと出てくることを期待しているのだが。
(了)