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尾関高のFXダイアリー

外国為替証拠金取引の歴史

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外国為替証拠金取引
■ことのはじまり

 わが国において外国為替証拠金取引という商品は、1998年の外為法改正によって世に出る権利を得たわけですが、海外ではそれ以前から存在しているものでした。私自身も1995年ごろから外国のブローカーを利用してこの取引をしていました(当時は海外在住)。無論その当時はネット取引を提供する会社はほとんどなく、私の記憶する限り世界で最初に開始したのは、現在のCMC(英国)だったと思います。私自身、個人が為替をインターバンクとほぼ同等のスプレッドで24時間、証拠金をベースに取引する商品自体珍しいとは思わず、あってあたりまえぐらいの感覚でいたのですが、(当時の仕事から考えれば自然なことかなと)これが日本ではまだ解禁されていないということについては、そこにビジネスチャンスがあるという意識はありました。実際、これを日本で販売できるかどうかの調査を1997年に行ったことがあるのですが、そのときは外為法がネックになって、できないという事実をどうにも迂回する方法が見つからず、国内事業法人としての展開は不可能であると考え断念した記憶があります。

1997年帰国後、気が付いてみれば、外為法の為銀主義が撤廃され、誰でも自由に為替の取引ができるようになったと知り、これはチャンスと思い、現在の会社で立ち上げるということになったわけです。ところが、当時国内でこの商品を扱うシステムなど存在するはずもなく、結局自らシステムを作るというながれになり、かなりつらい思いをしたものです。その甲斐あってのことですが、今ではシステムについての知識も増えました。


■最初の試練 −LTCMの破綻―

 開始当時は電話取引のみで、システムも私が作ったものなのでさほど立派ではない状態で、そこそこ顧客を獲得し、これはまあまあ商品としての価値はあるのかなとホットしはじめたころ、それは起きたのです。
 
忘れもしない1998年10月8日(日付の記憶は定かではありません)でした、夜の8時か9時ごろだったと思いますが、すでにマーケットはロシア危機だの、アジア通貨危機だのとギクシャクしていたときに突然ドル円が120円台からあれよあれよとみるまに111円台まで急降下。その間まともな流動性もなくただ気配だけで下げてゆくという、私自身の過去未経験な相場が出現しました。後にそれはLTCMが破綻したことによるポジションクローズの動きだったと知るわけですが、そのとき私が顧客の求めに応じて提示したプライスの最大にしてとんでもないクォートは、たしか「111.00−114.00」だったと思います。インターバンクに聞いてもオファーサイドなど求めるディーラーはおらず、「売りたい値段をいええー!」とか、「何、買いなの?じゃあ117円オファー」などという会話がインターバンクで飛び交っている状態でした。金融情報画面のロイターを見てもレートが止まってるんだか、ないんだかまったく信用できない状態で、ただひたすら、カウンターパーティがいまいくらで気配を出しているかの情報収集合戦が続くという状況でした。結局私のデスクとして損は出さなかったのですが、当時のお客さんは相当まいったと思います。
 
予断ながら、外国為替市場というのはこういうものです。よく見かける言葉で「流動性が十分にないと何が起きるか」のいい例だったと思います。ただ、こういう未曾有の事件が産声を上げたばかりの私のデスクで発生したのは、今から思えばいい経験でしたが、当時はうらんだものです。ちなみに、自慢話のように聞こえると思いますが、日本のこの商品を扱う業者の中で、この異常なマーケットを経験したのは、わたしの会社だけということになります。開始当初からリスク管理には一番気を使っていたわけですが、この経験によって「(市場)リスク管理」が、やっぱり一番大事だということを実感しました。


■競争開始

 当然開始当時は日本で最初でしたから、競争相手はいなかったのですが、翌1999年には、商品系の会社が続々と開始し、あっという間に10社以上がこの市場に参入してきました。2000年に入るとネット証券系も参入を開始し、今では、証券系、商品先物系、独立系の3つの分野からの参入に分類されるようになっています。


■社会問題化

こうなってくると、もともと非規制商品を非規制業者が扱うために、お行儀の悪い業者がここぞとばかりに参入してくるようになりました。今年に入っては、ついに逮捕者がでるまでになり、明らかな社会問題化しています。それを受けて、金融庁も異例のスピードでこの商品を扱う業者を登録制にする法律の準備をするなど、規制強化の動きが着々とすすんでいます。この動きに関して、私も微力ながら、各方面において私が培ってきた知識と経験からアドバイスできる限り努力、協力をしている状況です。

こうした、社会問題を俯瞰するに当たり、こういうことが将来起きるだろうということはこの商品を立ち上げた当時から懸念はしていました。しかしながら、そういう問題を発生する前に防止する方法というのは個人や、一企業では施しようもなく、いかに早く行政側が反応するかにかかっていると考えていました。当時(2002年)の金融情報誌の私のインタビュー記事を読み返しても、「金融庁が動くにはまだ5年はかかるでしょう」などとえらそうに話しているのですが、結果、私の予想より金融庁の動きは2年早かったようです。金融庁様、失礼いたしました。


プロフィール

尾関高

Takashi Ozeki

1986年名古屋大学経済学部卒業。1988年サンダーバード経営大学院(アリゾナ州、米国)卒業。主に日短エクスコにて約9年間、インターバンクの通貨オプションブローカーを経験し、1998年からひまわり証券(旧ダイワフューチャーズ)にて日本で最初に外国為替証拠金取引をシステム開発から立ち上げ、さらに、2006年5月に、これも日本で最初にCFDを開始した。
その後米国FX業者でのニューヨーク駐在や、帰国後日本のシステム会社勤務等をへて、現在は、日本の金融システム会社勤務。そのかたわら、本業のみならず、FXや新たな金融市場にかかわるさまざまな分野においても積極的に意見具申中。
拙著に、「マージンFX」(同友館、2001年2月)と「入門外国為替証拠金取引~取引の仕組みからトラブル防止まで~」(同友館、2004年6月)、また訳書「CFD完全ガイド」(同友館、2010年2月、著者:デイビッドノーマン)がある。

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