「完全競争の醍醐味を知る」 ―加島章雄 氏 [中編]
■凡人の極意
この損失は、スイス富士(証券現法)の決算に影響を与えるほどのものであったので、これで自分の銀行員人生も半分終わり、留学までして勉強したことも全てパーだと打ちひしがれていたら、社長から電話をもらって、トレーニーから正社員に転換しないかと打診された。驚いて、なぜこの私がですか、と訊くと、誰でもができないような経験したのだから、それを活用して今度こそ業績に貢献するように、とのお達しだった。なんとも寛大な処置。本当にありがたかった。
第一、こんな中途半端なままで、おいそれと帰国するわけにはいかない。ところが、損を取り返そうと思って頑張ったらまた負けた。毎日毎日トレードして、ほとんど惨敗を喫していた。なぜこんなに負けてばかりなのだろうと、不思議でたまらなかった。
ディーラーには、稀に、天才といってもいい人がいる。自分の知っていた、スイス人のディーラーは、新聞は読まないし、テレビも見ない。ところが売ったり買ったりして、1日終わってみるとほとんど勝っている。こんな、ビッグフィギュア(大台のレート)すらわからないような人が勝つ。この人には、優れた感性とも言うべき天賦の才能が備わっているのだろうが、そんな才能もない自分みたいな凡人は、為替に関するありとあらゆることを一生懸命勉強しようとする。誰が何を言ったか、FTや日経には何て書いてあるか、様々なチャートをつけて、経済指標などを含めあらゆる分析をして、自分の相場観を導き出し、それで売ったり買ったりするのだけど、結局は負けてしまう。
ふと、逆に自分が買おうとしたときに売ったら勝つのではないか、とさえ考えた。マーケットでは、結果が判明したときにはもう遅い。織り込み済みというものだ。特に為替においてはこの織り込み済みに対する時間が極端に短い。買いだと確信をもって買ったときにはもう遅い。だから、市場が織り込む前に買うか、織り込んでから売るか、のいずれしかない。それを実践するのは実はとても難しいことだが、このことを体得してから徐々に勝てるようになっていった。
また、相場参加者の大多数が凡人である以上、マーケットの胴元(マーケットでプライスを提供している側)になったほうが勝ちやすいはずだ。凡人のほとんどが、短期で売ったり買ったりしてやられているのであれば、ポジションを長く保有している人のほうが最終的に勝つ。こういったような、人間のもつ心理や弱さなどを把握することも、為替のマーケットで長生きする要因ではないかと思う。
■生の情報の重要性
市場が織り込む前にポジションを取る為には、生の情報とその正しい解釈が必要になる。ひとつの例として、インベスターの種類によってマーケットの動き方は異なってくることがあげられる。10ある元手を11にしたいインベスターは、売って駄目だったら買い戻す。ところが、10ある元手は10でいい、9にしないでくれというインベスターは、例えば、投資から逃げる、土地から逃げる、またはその国から逃げるというときは、膨大な資産を売り捌くはずであって、しかもこの人たちは買い戻さない。
こういう動きは、マーケットの中にあるのだけれど、それはほとんど誰にも見えない。もし、見えている人がいたとしても一部しか見えていない。いくら経済を分析しても一部としては意味があるが、それだけでは必ずしも見えない部分があるのが、為替マーケットなのである。
とすると、為替をやるうえでいったい何が重要かといったら、生の情報になる。この生の情報はどこからとるのかといえば、人間からとるしかない。肝となるのは、そういった情報をどうやって自分が解釈するかだ。
スイスにいて、どうしても欲しかったのは、UBS、 SBC、クレディ・スイスの3大行とプライベートバンキングの情報だった。彼らとコンタクトできるようになったのは、僕がある程度儲けられるようになって、マーケットでそれなりに名前が売れ始めてからだった。そうすると、次第にいろいろな情報が入ってきた。
これらの情報の中には、いい情報も悪い情報もあるけれど、その情報をぐるぐる回転させていくと、より多くの情報が入ってくる。そうしながら、スイスのコネクションからロンドンやアメリカまで人脈ネットワークが広がっていった。東京に戻ってからも、出張をたくさんしていたのは、現地に飛んでフェイス・トゥ・フェイスで話をすることでもっと根っこの生の情報がほしかったからだった。
■為替という完全競争の場で戦う
富士は、ディーリング業務をなかなか本業とは認めないカルチャーがあったが、85年のプラザ合意以降ディーリング業務がものすごい業績を上げたため、ディーリングを本業としての収益の柱の一つに据えるようになった。
現在、ソフトバンクの取締役をされている笠井和彦さんは、富士のディーリング業務をつくられた方で、その後副頭取まで昇進されている。RBSの高野惇さんも、笠井さんに続き、多大な貢献をなさっている。ディーリングによる収益が増加すると、ディーリングルーム出身者は高い役職まで登りつめる人が多くなり、ディーリングルームは、いわば銀行業務における主流のような存在になっていった。
富士では、ディーリング能力のある人たちは、一般的な銀行員やたぶん他の邦銀のディーラーと違って、当時から通常の人事異動の対象とはならず20年も同じ部に在籍することがあった。チームの士気も高かった。いつかシティバンクやJPモルガンを抜いて筆頭に立ってやる、そんながんばりで仕事に励んでいた。発想が革新的で、魅力ある先輩がいて、10〜20年という単位でやって収益を上げる、富士の為替は非常にやりがいのある業務だった。
また、グローバルかつ巨大で、24時間オープン、そして、誰一人として情報を独占できない為替市場は、経済学で言うところの完全競争に最も近い市場であって、完全競争の場で戦える機会を与えてもらったことは何にも勝る幸せだった。
そうした環境の下でディーリング業務に邁進していったが、それにに加えて、僕のように数々の経験を通して生の市場、国際業務を知っている人間は、組織として戦略的に業績を上げていくメカニズム(仕組み)をいかに構築していくかについて発信することが、富士に対するより重要な貢献になるのではないかと徐々に考えるようになっていった。
(後編に続く)
*2011年03月03日の取材に基づいて記事を構成
(取材/文:香澄ケイト)
【前編】アメリカビジネスに開眼
【中編】生の情報収集に奔走
【後編】グローバル競争での創造性と戦略性
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