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【The FxACE】ディーラー烈士伝

「インターバンクという戦場で」 ― 長尾 数馬 氏 [中編]

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長尾数馬


(前編はこちらから)


■レシプロで玉をさばく


 まずは相場を張ること(ポジションテーキング)とトレーディング(ディーリング)をすることは根本的に違う技術であることを知っていただきたい。現在のようにプラットフォームや電子ブローキングが主流の時代とは異なり、かつてはインターバンクディーリングを行う際には他の銀行とレシプロ関係を構築することが必須だった。1億ドルなどという大きな玉がどんどん出てくるので、玉が溜まらないようにスピーディーに処理しなくてはならない。自分で抱えてしまったら大損するリスクがある。ブローカーや電子ブローキングでは、数千万ドル、1億ドルレベルの玉を瞬時にさばくことは難しい。また膨れ上がるポジションを何もせずに持ち続けることは至難であった。

だからこそ、まずは信頼をベースにした銀行間の取引関係を構築しなければならなかった。一種のビジネスセールスともとれるが、海外からも多くの銀行が日本を訪問していた。私も数行で新しいチーム作りをしてきたが、その際には銀行間の信頼構築と「こうしないと大きな玉はさばけないぞ」という、DDの重要性を教えた。また、そのためには、チームワークも必要になる。自分の受け持ちの銀行を呼び、プライスを取る。チームが一丸となって玉を処理して行くのだ。


国内外合わせて15〜20行ぐらいのレシプロ銀行によって、自分やチームのディーリングが成り立っていた。ロンドン時間ではケミカルロンドンのニック、KOPロンドンのマーク、フランクフルト・香港・シンガポール、夜中はニューヨークの銀行のディーラー達にもお世話になった。東京市場ではスイス銀行の池田さんやUBS銀行の崔さん(ほとんど話したことはないが)などのプライシングはシャープだった。どんな状況でも、お互いに3ポイント、5ポイントスプレッドでプライシングをするという暗黙の了解、信頼関係で成り立っていた。目立たない黒子がインターバンクディーラーであり、東京外国為替市場を支えて来た人達と言っても過言ではない。

ほとんどのインターバンクディーラーは、フェア(紳士)だった。相手から叩かれた玉で大損していても、お前の玉でやられたなどとは言わない。そんな様子は微塵も感じさせずに静かに死んでいく。あたかも武士のように。こうした為替のサムライたちと日々切磋琢磨して生き残りをかけた戦いを繰り広げていたのだった。


■電子ブローキングの登場と時代の流れ


 最近でこそ、プラットフォームが構築されて流動性は確保されているようだが、電子ブローキングが導入されてからは、市場のビジュアル化が進み、相場は壊れ、流動性は低下してしまったと感じた。リーマンショック後の円の暴騰・暴落を見ると流石に怖くなった。一度相場が動き始めたら、平気で5円、10円動いてしまう。今では相場が乱高下すると1本(100万ドル)しかない電子ブローキングのプライスを何十人もの人間で叩きに行く有様が容易に想像できる。取引が成立しないので、相場はどんどんどんどん深みにはまって一方通行になる。相場は行き着くところまで動き、その後は何もなかったようにスッと戻る。異常である。昔はそういうことはそれほどなかった。それは、インターバンクディーラー皆で、表に出ないDDによって相場をサポートしていたからだ。


私は、相場が立っていないところで、顧客やレシプロ銀行に両サイドを提示して、リスクを負うことがプロのディーラーの仕事だと思っていたが、かなり前からその必要性はなくなった。私のディーラー人生にも終止符が打たれた。電子ブローキングによるプライスのビジュアル化や外国為替証拠金取引(FX)による個人投資家の参加が市場を激変させたのだろうが、その急激な変化には正直驚いている。また、個人投資家の参入が相場変動に大きな影響力を与えていることもあり、相場つき(相場の動き方)も明らかに異なってきたと感じる。


■相場を張ること(ポジションテーク)とトレーディング(ディーリング)は異なる


 ドレスナーでDD(本当に2年間で辞めてしまった)を覚えたが、その後転職したカナダロイヤル銀行もDDが強い銀行だった。当時のカナダロイヤル銀行トロント本店、ニューヨーク支店共にDDが非常に活発であった。カナダロイヤルでは、トロント本店に米ドル円ディーラーとして転勤もしているので、そこで海外のディーリングの経験を積ませてもらった。特にトロント時間と同時間帯のニューヨーク市場でDDに参戦したことで、ポジションコントロールやディーリングテクニックに磨きをかけることができたと思う。

トロント本店はまさに人種のるつぼで、ドイツ人、フランス人、イタリア人、アラブ人、それぞれに特長があった。アングロサクソン、ゲルマンはガッツがあり、この胆力から湧き出る落ち着きと勝負強さを併せ持っていた。スピードでは香港チャイニーズが群を抜く。隣の席の香港人ディーラーの速さにはどうやっても、絶対勝てなかった。


ディーリングで成功した人はたいてい欧米人だ。もともと為替というのはヨーロッパ発祥ということもあるのかもしれないが、欧米人は、スピードも胆力もある。僕が20歳代の時にロンドンやニューヨークの大手銀行などを訪問した時、担当者はドーンと構えて、ドタバタしないで、パパパパッと1億ドルの玉を、涼しい顔で瞬間に処理している姿を見たときには驚いた。 

スピードが遅い日本人ディーラーはニューヨーク市場など、変動が早い相場についていけず、また香港チャイニーズでさえ慣れていなければ1日で退場ということもあった。それほどアジアとニューヨーク市場には違いがあった。日本人は相場を張る(ポジションテーキング)のは良いが、インターバンクディーリングには向いていないと感じ始めたのもこの頃からであった。


■プロとしての使命感


 ディーラーとしては、あくまでもビジネスとしてプロに徹するというのが、自分が考えていたことだった。プロとは何だといったら、確実に利益をあげること。そういう使命感に駆られていた。私がやっていたのは、相場がどちらに行こうと、利益が上がるディーリングだ。

相場シナリオ(相場観)は、最初から頭の中に描いておく。インターバンクディーリングはポジションテイカーとは異なり、玉がどんどん増えて行ってしまう。そのためにはあまり自分の考えには固執はしない。持ち高が大きくなると自分の首を絞めることになる。しかし、万が一の勝負のために自分の相場観は維持しておかなければならない。

だいたいやられるときというのは、自分が頑固になってしまっているときだ。自分が上がると予想していると、上がる方向にバイアスがかかってしまう。そこで握る(ポジションを持つ)とやられてしまう。こうなった場合、自然の流れに直して、自分のディーリングスタイルを確認して戻すようにする。


私のディーリングスタイルは次のようなものだ。たとえば米ドル円であれば、1,000万ドルをちょうど・・円(00銭)で買わされたとする。それ以上のプライスで瞬間に売却できればそれはカバーベースで終了。しかし、5ポイントでもアゲンスト(持ち高値を下回る)になり、相場の流れが下になっていると考えれば、即座に・・円90銭でひっくり返る。たとえば2,000万ドルを売って(倍マン)、逆に持ち高を1,000万ドルのショートにするのだ。既に10銭やられているので80銭がコストである。そのコストである80銭で1,000万ドル買えれば、チャラになり、それよりも下で買えることができれば結果的に利益になる。わからないときは即損切りして、固執しない。こういう瞬間芸の取引を何度も繰り返していた。ある程度の変動がなければ難しいディーリングでもあった。利益も同様に確保。ゴルフと同じで前ホールの失敗を引きずらないことが重要だった。


こういったスピードのゲームをする。1,000万ドル単位であれば、数ポイントやられると10〜100万円単位の損失になるが、そうなっても流していく。つまり、アレコレこだわらないで、市場の流れに任せてしまう。こうすると基本的にはそんなに大きな損失は出ないし、一回の儲けは小さくても、積み重ねれば大きくなる。

あくまでもジョビング(Jobbing)である。流れで行っているので、ポジションはできるのだが、玉が回転しているので重くならない。ジョビングしながらディーリングするのが、基本的なインターバンクの仕事だった。

(後編に続く)


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    そして自分自身で本当の投資を学んで欲しい』−長尾数馬

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*2010年07月12日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)


【前編】スピードと度胸と勘と計算
【中編】確実に儲けるのがプロの仕事
【後編】信頼という絆で相場と対峙





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プロフィール

香澄ケイト

Kate Kasumi

外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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