「歴史のダイナミズム、為替に通ず」 ― 花井健 氏 [後編]
■性悪説でシステムをつくり、性善説で人を管理する
ディーラーとして成功するには、既に述べたような、為替の歴史、地政学、行動経済学などの事象への真摯なまでに学ぶ姿勢が必要不可欠だ。相場で売るのも買うのも、人間が判断する。それゆえにあくなき探究心と、自分なりの調べた結論に確信が持てるかどうかが、優れたディーラーとそうでないディーラーの境目になると思う。
また、敢えてそういったフィールドへ対峙する事に労苦を厭わない強い気持ちを持ちながら、明朗である一方で繊細かつ怖がり、そして後を引かないさっぱりとした気質の人がディーラーに向いているように思える。
今の相場は歴史から紐解けば、何年頃の相場環境や市場心理に似ているから、今後の相場はこうなると思う、と解説すれば取引先の方々も同様な土壌で考えてくれる。その事が確認されれば、それでは花井さんに乗りましょうと取引を頂く。銀行という看板もあるが、人間で、花井で勝負するがゆえに、そして事実、ポジションを持つが故に嘘はつかないし、つけない。為替は、毀誉褒貶に姑息にやっているとすぐに本人の化けの皮がはがれる恐ろしい世界なのだ。
つまり取引先との付き合いは『ナニワ金融道』ではなく『ナニワ商人道』。その信頼関係から貴重なパイプが出来あがり、興銀には良いディーラーがいるぞと評価してもらえる。厳しく辛い思いもしたことも多かったが、最も感動したのは、自分自身が相場観をしっかり持ち、かつ実績を上げていたら、普段なら会えない政界・官界・取引先のトップや外国政府要人など様々な方々に直接に会え、自分の考えを話すことが出来る機会たことだ。今もそのパイプは貴重でほとんど継続されていて、有り難い事だと思っている。
私は中山さんに早くポジションを持たせてもらい育てて頂いたから、部下が50人いる場合、出来れば全員にポジションを持たせてあげたいと思った。金額は経験や実績の多少に準じさせるのは当然だが、彼らの多くを市場に参加させることで、必ずといって負けるといっていい一般多数の相場を社内で再現させる。
仮に全体が50人いて、彼らが、皆ドルが下がると思ってドル売りのポジションを持ってしまっていたら、市場の転換点や節目として、責任者としてはヘッジとして反対方向の相場へのアクセルを踏む準備を始める。私の相場観が彼らと同じであれば、私が対応する必要はなく、彼らにしっかり対応してもらう。
ただ、違うのは私なりに彼らと違う時間軸のポジションを持つこと。彼らはデイトレード、私は1週間以上というように。思い起こせばある祝日、チームでやらなくてもいい勝負で、その日一日で5億円くらいの損失を出し、月次の収益も大きくマイナスに転じた。本来ならオペレーションストップだが役員上司の了解を得て再開。条件は、若手全員でのディーリングをストップ。半月間、マネージャーとしてのポジションで損失を取り返し月間目標をクリアした思い出があるが、一方では好きにやらせる難しさも感じた次第。当時の上司の島村公三さんや馬場千晴さんの理解のお陰だと思っている。
私の為替に係る座右の銘は『性悪説でシステムをつくり、性善説で人を管理する』。性悪説で管理しないとどうしても人間は安きに流れてしまう人間自身には罪はない。ただ弱い自分がルールを逸脱してしまうまで追い込まれてしまう。相場というのは無機質なものであって、俺はかっこいい親分だから、おまえ、トレードしていいよ、なんて言っていたら、これは有機的な判断になってしまう。無機質なモノには、無機質なシステムで対応しないとうまくいかないし、結果不幸な人が増えると思っている。ただそういうことをしてしまう人間自身は信じてやりたいと思う。
■この一歩を踏み出せ
当時の興銀チームは、日本一から世界一のチームになるんだという気概と結束があった。どんな厳しいオーダーが来ても逃げないで受けた。受けることによって、歯を食いしばって最も良いレートを出す。そんな中で相場観に磨きをかけ収益を上げられれば、一人前なんかではなく一流だという気概だ。東京銀行や他の外銀が出すレートよりも良いレートを興銀が出すとガーッと取引が集まってきていた。本当に辛かったがそんな中で歯を食いしばりながらも興銀の為替チームはよく踏ん張り頑張ったと思う。
その結果として、2000年に邦銀はどちらかと言えば資金業務重視の中、興銀では強力な資金のチームに並ぶ形で、邦銀唯一の為替ディーリングだけの部として、国際為替営業部が設立された。このときの思いはひとしおだった。
大学時代のサッカー関西学生選抜合宿時に、当時の大阪商大の上田監督に「花井、しんどいときに、お前は自分で自分を許している。しんどいときに、お前があと1歩足を出せたら、その一歩の相乗効果でチームのメンバーが2歩も3歩も楽になる。倒れそうでしんどいけど、そういうぎりぎりの時の1歩で、相手はお前の1歩の分だけよけい動く負担が増えて、フォーメーションが変わるし疲れも増える。味方は、この1歩によって余裕ができる。お前が、苦しい時にこそその1歩を出せるかどうか。そしてその1歩の価値を本当に解ったら、もっとサッカーがうまくなるし、人生にも役立つぞ」と言われた。
この教えはチームとしての為替ディーリングにもまさに通じるものがあると深く感じ入り、常に念頭に置いておいたもので忘れられない。
2002年4月、3行統合後、みずほコーポレート銀行本店営業第4部長で不良債権処理に奔走したときに「取引先の申出どおりに銀行が支援していたら、銀行の負担は際限なく増えます、希望的観測は持たずにもう止めましょう。ここでやめたら処理損は35億で終わりますが、後2カ月遅れたら50億になりますよ」と、みずほコーポレート銀行の当時の斎藤頭取に進言したこともあり、斎藤頭取はよく理解して頂いたと思っている。
早く処理し身軽になれば、パッと客観的な視野が開くこともある。まさしく為替の損切りと同様だ。バサバサやるには花井が適任者だろうと、為替から不良債権処理に抜擢されたかもしれないとの勝手な理解で、その期待添えるようにやったつもりだ。為替が出来れば奴は何でも出来る、そういう自覚と自信が必要だ。
■為替の感応度を高める好機到来
為替ディーリングのお陰で、人生の貴重なモノサシができたのに間違いはない。中国・アジアの総代表時も、現職でも、為替ディーリングで経験した精神は生き続けている。現在、楽天では金融業務担当役員で、FXに関わることは多く、思い入れも強い。楽天が推進する国際化には英語は不可欠だけれども、そのときに武器や兵糧がいる。武器というのは、資金も必要だが、例えば10億円投資しても、それが本当に10億円であり続けるのか、それとも9億円になるのか、12億円の値打ちになるのか、為替がわかっていた方がよい。
本来、日本や日本人は、農耕や漁業、林業という自然界を崇拝し自然と関わることの術に長けており、非常に高い相場感応度を持っている。世界でも先進的な先物取引があった堂島米相場、そこから発祥した相場手法、酒田五法などの世界的な相場分析をとっても、デリバティブや相場に対して歴史的に優れた市場感覚を持っていることがわかる。それを政治が育てなかっただけだ。
島国で貿易立国であるがゆえに、他国以上に潜在的な為替に対する感応度は高いはずである。なおかつ国際化のひとつの武器とするために、為替をもう一度歴史から紐解くべきではないだろうか。明治維新以降、または戦後の教育において、残念ながら、為替はなおざりにされてしまって、真剣に取り組まれることはなかった。日本の貿易量、海外投資額、外国為替特別会計、これだけの為替の関わりがあるのに国家的コンセンサス、国民的理解がまだ足りない。
FXで短期のトレーディングに関わる人が増えることはあれ、減ることはない。形は違うが、もともと為替とは何で、ドル、ポンド、円、ユーロなどがいつ誕生してなどという通貨の歴史を知れば、経済の本質を真正面から見られるようになる。
FXに馴染む人が増えてきた今だからこそ、為替の感応度を高める好機到来だと前向きに捉えている。FXを日本の歴史のダイナミズムの主人公にまで高めたいというのが、私の抱いている夢だ。これからも、今までお世話になった為替関係者との付き合いの深耕や再開を通じて、そして高まり広がりを見せるITリテラシー拡大の波を確実に捉えながら、古き為替の精神は生かしつつ、新しい為替の時代、FXの世界を探って生きたい。
そして、人智人力の限界を洞察し、絶対物の存在は否定しながらも、同様に現実の人とのふれあいの場では絶対の愛を信ずるという相矛盾する気持ちを融合させながら、もうこの歳になったらいろいろな考えに無闇に叩頭や右顧左眄もせず、自分なりの「知の極地と心の極地の合一」を目指して再び為替に対峙したいと思う。必ずや為替は常に来るべき次の人生への指針を私に与えてくれるものと信じてやまないからだ。
(全編終了)
*2010年04月19日の取材に基づいて記事を構成
(取材/文:香澄ケイト)
【前編】「虫の眼、鳥の眼、魚の眼」のディーリング
【中編】「円の歴史」から相場を知る
【後編】飽くなき探究心で為替に一生携わる
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