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【The FxACE】ディーラー烈士伝

「知性と勇気と情熱がディーラーの条件」―宮崎晃一 氏[中編]

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宮崎晃一


(前編はこちらから)


■「背番号制ディール」でヘッドハントに対抗


「背番号制ディール」は、情報は共有するけれど、ディーラーは与えられたポジションの範囲内で、自分の相場観で好き勝手にディーリングをやってよいというもので、権限は完全に各ディーラーに委譲される。全部背番号をつけて、この人はドル買い、この人はドル売りというようにした。それでトータルスクエアになっていたら、全然儲からないのではと思えるかもしれないが、皆自由にディーリングができるのだから、同じスクエアでも、上がっていった時に売って、下がっていった時に買ったら、両方で儲かることになる。従って個人個人が自由にディーリングでき、チームとしても収益を得ることになるのだ。全体のリスクコントロールはチーフディーラーの僕の担当だった。

MOF(旧大蔵省、現財務省)、日銀そして東銀の為替課長の河村正人さんからも、どんなふうに人材流出を防いでいるのだと訊かれたが、「ステータスの向上」と「背番号制ディール」に加えて、新しいディーリングスタイルを創る使命に燃えていたディーラーたちは、現ニコス社長の佐々木宗平君などを筆頭に、外銀に移る者は誰一人としていなかった。


人事部長に「おまえのボス(資金証券為替部長)はどういうのがいいんだ?」とも訊かれてまったくのど素人でいいから、超エリート、いわゆる頭取になれるような人を持って来て欲しいと頼んだ。そうしたら二代続けて本当にそういう人を部長に据えた。一人目の部長は「俺はもうディーリングのことは分からないから、おまえに全て任せる」と言って負けている時でも本当に何にも口出さなかった。ただ一つ彼がやったことは我々ディーラーの顔色と背中の表情をいつも見ていることだった。その次の部長は、「俺は、全部知りたい。お前たちの知っていること、やっていること全て教えろ。ただし口は絶対ださない」二人ともその通り有言実行したのには恐れ入ったし、心底敬服した。

僕は、優秀な銀行員である前に優秀なディーラーであれという方針でやっていたから、勤務形態もまったく自由。朝何時に来てもいい、何時に帰ってもいいことにし、自ら率先してやった。MOFの丸山課長補佐に「宮崎さん、星取表を作ったけど、あんたは1勝14敗でした」と言われた。14敗とは、15日間の内、僕が朝出勤していない回数だった。それでも、口を出さないと約束した2人の部長は何も言わなかった。その後、2人とも副頭取と専務に抜擢されている。


■「ママの貯金」でチーフディーラーを送る


各海外支店にチーフディーラーを送り込む際に僕は二つの教えを贈っていた。ワンオブディーラーとの違いを教えるためだった。為替ディーリングは、ものすごくアゲンストに行った時に苦しくなり、それで耐えられなくなってしまう。ポジションを全部切って、スクエアにして、もう白紙に戻したいと思う時が必ず来る。その時にチーフディーラーは、ワンオブディーラーにはポジションを全部切らせる。一旦切らせて、頭を冷やさせる。「ペナルティボックス」で週刊誌を読んで過ごしたり、遊んだりさせてもよい。

しかし、チーフディーラーは、そこで自分が正しいと思ったらもう一度ポジションを持つようにする。ナンピンをしても構わない。ただし、事故につながったらいけないので、その下で必ずストップロスを置き、布団をかぶって寝る。


僕の経験則では、そういう時は8割方、相場は戻ってくる。世界の連中はロスカットを出させに来ているわけなので、ロスカットさせた後、彼らは買い戻していく。だから、相場は戻っていく。もちろん時々は突き抜けることもあるから、ちゃんとストップロスのところでロスカットするようにする。

「ママの貯金」も贈る言葉だった。「ママの貯金」は昔アメリカでベストセラーになった小説で、ママが夫に死なれて、貧乏な中でたくさんの子供たちを育てていく。子供たちはママはお金を持っていないと思うから、欲しい物があっても遠慮したり、屈折したりしてしまう。それではいけないと思ったママは、何かというとママには貯金があるんだから、ちゃんと欲しいものは言いなさいと言って、子供たちをすくすくと素直に育てる。子供たちが大人になってママが死ぬ時が来て、子供たちは、ママが言っていた貯金を捜すのだが、ママの貯金なんてどこにもなかったという話だ。

ディーリングの世界でも、長たる者は本当に苦しい時や貧乏になった時に、そんなところを見せずに悠然として、取り返すから大丈夫という顔をしていろと教えた。本当はチーフディーラーが一番辛いのだが、チーフディーラーがバタバタ焦りだしたらろくなことはない。


■ディーリングの不良債権は作っていない


非常に大きなポジションを持って寝た時に、朝方何やらザワザワとして起きることがある。膝が震える時もある。こういった経験を重ねながら、段々とそれに耐えられるようになる。仮に負けても自信につながっていく。自分で毎日毎日やっていって、実績を積み上げて、その壁を自分でぶち破っていくことで、自分のポジションをいかに拡大できるか学べるようになる。

僕は3億〜4億ドル程度のポジションを持っていた。ドル円のポジション規制が1億なかった頃だから非常に大きな金額だったけれど、何兆円もの不良債権と比べれば、こんなのゴミだな、これ大丈夫なんだ、と自分でも言い聞かせて、布団をかぶって寝た。そんな大きなポジションを持っていてやられたらどれくらい損が出るかは分かる。僕はトレンドディーラーなので、きちんとポジションを切って1日を終わらせるということをしないでずっと持ち続けていたわけだから、すごくしんどかった。


おかしなことに、経営陣は皆、為替は怖いと思っていたから、経営会議で「不良貸出のあのリスクを取っているのに比べたら、私の取っているポジションなんてゴミみたいなものですよ」と言って丁寧に説明しなくてはならなかった。僕が一つだけ自慢できるのは、ディーリング収益は必ず半年や1年で全部ゼロになり、またそこからスタートするわけだから、ディーリングによる不良債権は作っていないことだ。僕の世代で、ディーラー出身で高い役職についた人が多いのは、不良債権に対する時代の要請だったと思う。リスクというものにディーラーは非常に敏感だからだ。

当時の銀行は、収益が右肩上がりだったが、為替は絶対にそんなふうにはならないことを上層部に教えるのがまたひと苦労だった。昔の為替をやっていた連中は、皆、バッファ(取り返せる余裕)を作っていて少しずつ出していく。本当は負けているのに、月間で損失を出さないのを止めようとした。やはり負ける時があるのだというのを経営陣に知らせなくてはいけなかった。

(後編に続く)

*2009年9月29日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/構成:香澄ケイト)


【前編】「ステータス向上」と「背番号制ディール」
【中編】チーフディーラーに贈る言葉
【後編】勇気を持って革新を





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プロフィール

香澄ケイト

Kate Kasumi

外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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