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【The FxACE】ディーラー烈士伝

「終わりなき“生き残りのディーリング”の追求」 ― 久保田進也 氏 [後編]

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久保田進也


(中編はこちらから)


■ディーリングのベースは情報


僕のやり方は情報中心だった。チャートというよりも、あちこちにある情報をうまく手繰り寄せて、シナリオを組み立てて、これだったら相場がこっちに動いていくかなと、自分の推論を作り上げて、それに乗っかってポジションを作るスタイルだから、情報については、ものすごくお金も時間もかけたし、色々な方に手伝ってもいただいた。チームのメンバー各自ができるだけ多くの情報を収集して、僕のところに集中させ、持ち寄った情報を整理して意見交換をすることをディーリングのベースにしていた。

情報についてよりきめ細かいスタンスを取るようになったのは80年代の前半からだ。高橋征夫さんが僕の交代でニューヨークに13年間いてくれて、毎日ピッチャー・キャッチャーのように情報交換していたが、彼の世界中のディーラーと仲良くなろうというアイデアで、ニューヨーク、東京、ロンドンの担当者の3人で、毎年2月約4週間掛けて世界を回るツアーを開始した。


毎年、訪問した会社は120社にも及び何百人ものディーラー達と知り合いになった。この世界ツアーはその訪問先の多さから別名「シー・イトーズ・クレイジー・ツアー」と呼ばれるようになり、伊藤忠の存在は海外のマーケットでもかなり有名になった。それだけたくさんの人に会うと、自然発生的に情報が集まってきた。当初は銀行のディーラーだけだったのが、米国、スイス、イギリス、フランス、ドイツなどの中央銀行にも行って、話を聞くことができるようになった。ブンデスバンクは伊藤忠が金融機関でないので当初は難色を示したが、遂には介入局長まで会ってくれるような関係になった。


■心に残る優秀なディーラー達


坂本軍治さんは、東京外国市場の創成期の過程で最も早く外銀に移って、自分のオペレーションを始めた方でやはり先駆者だ。坂本さんは酒匂孝雄さんや大倉孝さんなど優秀なディーラーも育てられた。チェースにいた藤野昭午さんも面倒見がよくて、多くのディーラーが慕っていたマーケットの中で相当リーダー的な存在の人だった。シティバンクはしっかりした教育システムに皆さん鍛えられていて、小口幸伸さんや北出高一郎さん等面白い人が揃っていた。チャーリー中山さん、堀内昭利さん、橋本義宣さん、田川明夫さん、千葉公一さん、澁澤稔さんも優秀なディーラーの人達だ。名前は挙げきれないが、邦銀にも東銀を初めこれはと思う人が何人かいる。

各商社にも特色のあるディーラーがたくさんいた。三井物産の副社長を経て日銀の審議委員をなさった福間年勝さんは「タイガー」と呼ばれた凄いディーラーで尊敬している。ともかく相場が大好きな人だった。三菱商事の紀本さんは、実需原則があった時の為替の担当で、基本的に商事は石油を持っているので買いで入ってくる。そうすると、僕らはどちらかといえば売りで行くから、もうしょっちゅういじめられていた。僕らが入ると、逆にワーッとやってきてひっくり返されてしまう、そういう意味でのライバルだった。日商岩井には、ディーラーらしいディーラーのような人が随分多くいた。


伊藤忠出身者にも優秀な人材は多い。高橋征夫さん、児玉純一さん、三浦俊一さん、宇佐美正紀さん、五十嵐眞さん。ディーラーではないが、エコノミストの中島精也さんなど。僕が課長を譲った藤代昇さんは、肌感覚というか嗅覚というか独特のセンスを持っていて、僕なんかが分からないところで上手くポジションを回していた。ある銀行の偉い人に「久保田さんは会社では仕事をしないそうですね」と言われた。「え、そんなに悪い評判立ってますか?」と訊いたら「あなたは仕事を任せている。そのことによって部下が育っている。だからあなたが仕事をしないということは非常に効果があるんです」と言われて嬉しいなと思ったことがある。

商社には人事異動がつきものだったが、新しい形の為替市場に対応できる組織を創りたいと考えて僕が課長になった時に、今いる人たちを10年間異動させないで預けて欲しい、と人事部長に依頼した。ローテーションを組んで、10年後も含めて為替の組織を創る必要性を感じたのだ。例えば誰々は何年目にディーリングをさせて、ここまでの仕事をさせたら3年目なら3年目にニューヨークの駐在に出して何年間か経験させ、帰ってきた時には課長代理や課長としてやってもらう。それを認めてもらった。だから、他の商社のように為替から逃げていない。


■ディーラーの必須条件


これだけプレッシャーの強い仕事は、何よりも健康でなくては長続きできない。また、優れたディーラーに共通するのは集中力と決断力を持っているということ、そして常に前向きでいられることだ。僕は非常に楽観的で、ああ、そうかいね、終わったね、と悪いポジションも閉めてしまったらお終いでリセットももうすぐにできてしまう。やられても、3回、4回後で取り戻せばいいと考えている。そこでメゲない、それにこだわらない。しかし、行けると思ったら思い切って攻める。

ただ、その時に、最初から仕掛けをしながら、反対方向に出た場合、どのくらいやられるかという計算は当然しておく。勝てると思って乗り込まないで、勝てなかった時の逃げ道を考える。そうすると、そこまでの損だったら体力的に受け入れられる。今までの利益の中でやれるか、あるいは、利益の中でなくても、今までの通常のオペレーションだったら回復できる範囲内なのか、考えておくことが必要だ。


逆境に対しても非常に強く、自分で自分の精神状態をコントロールできる強さも必要だ。逆に、プライドのある人はダメだ。自分に持っているのは構わないが、人に対して自分のプライドを見せつけるのではなく、ある程度捨てて、フレキシブルに動ける人でないといけない。勝ちを吹聴する人を、本当のディーラーは非常に冷たい目で見る。負けを負けとして認めることができて、それを笑えるぐらいの人はすごい。僕らの仲間は、あの時やられたとか損したとかそんな話ばかりして、お互いにもういい格好なんてしない。そういう人をディーラーとしても、友人としても信頼してきた。


■決断は1秒しか許されない


ディーリングの決断までは1秒しか許されてないと思っている。1秒の決断力を発揮するための準備が非常に大切だということをものすごく感じる。そのためには、さまざまなことに全部目を向けなくてはいけない。経済的なニュースでも予期して出てくるものと予期しないで出てくるものがあるけれど、どちらであっても、ともかく決断しないと良いとこ取りができないし、自分が逃げるチャンスを失うかもしれない。だから、1秒間許された決断のためのひとつのプールみたいなものをどう創るか大事になる。その過程で、自分に広がりや重みが出てくるのではないかと思う。
 
為替は、自分を磨き上げてくれたものである。為替がなかったら、今の自分はない。これは一緒にやってきた仲間のおかげかもしれないし、時代だったかもしれない。そういう時代をこういった仲間と一緒に過ごすことによって、自分をひとつのある形に仕上げてくれた。それは、相場を離れても活きている。

ディーリングはやはりとてつもなく面白い。だから、生まれ変わってももう一度ディーラーをやりたい。そして、負けがないディーリングなんてあり得ないから、それを承知で、負けがあっても、差し引きで生き残れるディーリングとは何なのか、今世ではつきとめきれなかった答えを来世でも追いかけてみたいと思っている。

(全編終了)

*2009年7月30日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/構成:香澄ケイト)


【前編】自由なディーリング時代の幕開
【中編】本当の戦いが始まった
【後編】為替は自分を磨き上げてくれた






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プロフィール

香澄ケイト

Kate Kasumi

外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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