歴史的な相場
今週は、歴史的な大相場となりました。
大きく円高に推移したということだけでなく、ドル円相場が1995年に付けた最安値である79.75円を一気に割り込み、76.25円を付けたことです。それにしても、安値76.25円を付けた17日の早朝の動きは凄まじいものでした。
前日16日のニューヨーク外国為替市場にて、下値重要ポイントであった、昨年11月1日の80.32円をブレイク、さらに、大台の80円を割り込み、79.56円まで下げた後、NY時間午後5時の終値は、79.60円でした。今は、夏時間となっている為、NY午後5時は、東京時間の午前6時です。つまりは、東京時間午前6時のドル円相場は79.60円だったわけです。
それからの、たった30分の間に、76.25円まで暴落したのです。確かに、この30分間に見られた動き自体は、異常と言えば異常ではありました。
しかしながら、為替相場としてみた場合、決して前例がないわけではありません。例えば、リーマンショック等で荒れた2008年3月、そして10月にも突発的な動きは見られました。また、個人投資家が入ってくる前の1998年当時、ロシア危機を発端に円高に振れた時などは、2日連続で1日だけで12円も円高に振れたことがありました。つまり、動きだけを見ると、2日で24円落ちたのです。
さらに、過去に遡ると、私が邦銀のニューヨーク支店でディーラーをやっていた当時(1984年から1990年)は、重要経済指標の度に大荒れのマーケットを経験していました。あの当時は、マーケットの関心事が貿易不均衡問題であったことから、米国貿易収支の発表の度に、マーケットからレート(価格)が「消えた」のを覚えています。経済指標が発表になった直後は、当然のことながら値がつかず、買値と売値の間のスプレッドが100ポイントから200ポイントは「ごく当たり前」だったものです。
1日に3円から5円動くことは決して珍しいことではなく、特にドルマルク相場(当時は、ドイツマルクが重要な通貨でした)は1日に1000ポイント以上動いた日もあったぐらいです。つまりは、為替相場というのは、本来、そのようなものだということです。
今回の動きは、価格が歴史的な水準であったことから、確かにインパクトはあったのは事実ですが、一寸先は何が起きてもおかしくない、というのがマーケットだということです。
一部の報道では、個人投資家のポジションの「ストップ狩り」が狙われたとの解説が見られましたが、かなり的外れなコメントに思えました。そもそも、この「ストップ狩り」と言う表現自体、違和感を覚えます。マーケットに対する理解が偏見を伴い、相当歪んだものであることがよく分かります。まるで「被害者意識」剥き出しの見方だからです。
そもそも、昨今のFX(外貨証拠金取引)に関する顧客サービスの向上には目を見張るものがあります。各FX会社や証券会社がスプレッド縮小競争をして、スプレッド1ポイントは当たり前、1ポイント以下に縮小している会社も珍しくない状況には、正直、驚愕します。まさに「過剰サービス」を行うことで、FX会社が自ら首を絞めているようなものだと言っても過言ではありません。
通常、重要イベントが生じたり、重要経済指標が発表になるとスプレッドが拡大するのは至極当たり前なのですが、いついかなる時もスプレッド固定ということを「うたい文句」にしている会社があるのも、異常な行動にさえ映ります。そして、少しでもスプレッドが拡大すると、顧客から「苦情」が入るという世の中そのものが異常な気がします。
何もかもが「与えられて当たり前」という「風潮」が諸問題を引き起こしているような気がします。これでは、個人投資家の、本来の為替市場に対する理解が歪んだものになっているのも仕方ないのかなと、半ば諦めてしまうほどです。
表現が適切ではないかもしれませんが、「個人投資家が甘やかされてしまっている」という印象すらあります。普段、「過剰サービス」を受けていることが災いして、本来のマーケットらしい動きが見られると「異常なマーケット」に映るのかもしれません。
極論すると、今回の大震災を経験して、如何に私たちが普段、多くの恩恵を受けているのかが良く分かった気がします。電気、ガス、水、ガソリンはいつでも供給されて「当たり前」という生活に慣れてしまうと、その「ありがたさ」に感謝する気持ちが失われていた気がします。まさに、「有り難い」わけであり、「有ること」に感謝しなければならないと思います。
このように、相場においても、「当たり前」と考えていたこと自体を考え直す良いきっかけとなったと思います。
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