信じるものは救われる?!
投資家というものは、「自分」で「自分」を救うべきものであり、「自分」の投資方針、投資哲学、投資テクニック等々を「自分」で納得して、心の底から信じられる形を「自ら」作り上げるべきだ、と私は考えます。
よく、他人に手っ取り早く儲かる方法を教えて欲しいと頼る人がいます。そして、恐らく、頼った相手がそれほど大した投資家でなくても、たまたま相場の流れに合致していたり、もしくは単なるビギナーズラックで、収益が上がるケースがあります。実は、結果的には、これが最悪の事態につながることをよく理解する必 要があります。
何故ならば、なまじっか他人に頼って収益が上がった、もしくはトレードを始めて早い時期にたまたま儲かったりすると、その 投資家のその後のスタンスは一体どうなるでしょうか?十中八九、自分自らの投資哲学、投資テクニックを磨くことなく、たまに収益を上げつつも、トータルでは損失が収益を上回る事態に至ると思われます。
つまりは、「1勝」は誰でも簡単出来るのですが、「必勝」にはつながらないということです。
また、ケースによっては、たとえ収益が上がらなくても、その投資家は、投資(投機)に伴う スリルを楽しむことに無意識にも幸福感を抱くのです。ほとんどあらゆる人が投資(投機)から「効用」としての「何か」を得ているわけです。たとえ、それが 収益でなくて、損失であってさえも・・・。
例えば、損失を出した時、自分一人で反省し、トレードシステムに修正を加えることをせずに、 他人に話をして慰めてもらおうとする、飲酒でもって憂さ晴らしをする、ネット上の「掲示板」にあたるなど様々な人がいます。それらの行為は、損失を出して も、ある種の「報酬」を自分に与えているのと同じことになるわけです。
すなわち、自虐的な精神状態になることを「楽しんで」さえいるわけです。そして、その人は下手な投資を辞められなくなります。一種の「トレード中毒」となるわけです。これでは、まさに、博打の感覚となってしまいます。
私は投資で成功を収めるには、ファンダメンタル・アプローチであれ、テクニカル・アプローチであれ、自分自身が納得したトレーディングシステムや投資方法に従う必要があると確信しています。この「自分で納得」というのがミソだと思います。自分を知って、自分にあったトレーディングシステム、投資方法を見出し、常にそれに従うことが大事だと思います。
この場合、自らがトレードする際に利用するトレードモデルをどこまで信じることが出来るかが成功するかどうかの大きな分かれ目です。トレードをしていると、 必ずと言っていいほど「絶望」という感情を持つことがあります。自分が依っているトレードモデルに従っていても上手くいかないのではないかと心配し、自信 が持てなくなると、結果はついてこないものです。
どこまで信じることが出来るか、このことは大きな要素です。あの一目均衡表理論の創始者 である一目山人翁が「歎異抄」の研究者であったことはなるほどと思えるのです。「歎異抄」のエッセンスは「ただ信じること」だからです。自分が信じること が出来るものを、どこまで持っているかが、トレードで成功出来るかどうかの試金石とも言えそうです。
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