悔いのない人生
ちょっと私事ですが、私が日本の銀行を辞めて外資系銀行に行こうと思ったのは、自分がやりたいことをやらずに、将来、後で後悔するのが嫌だったからです。
つまり、「出来なかった後悔」より「やらなかった後悔」を辛いと感じたのです。
私が邦銀を辞めたのは、1992年8月でした。そして、米シティバンクに移籍しました。当時は、バブル崩壊後とは言え、まだまだ株価も高く、日本の銀行の力も強い時代でした。
一方、米国の景気は今一歩であり、米系銀行はどこも苦しい状況でした。実際のところ、シティバンクの株価は当時10ドルを割っていたと記憶しています。
実際問題、私の新しい勤務場所となったシティバンク東京支店では、ボーナスが現金ではなくストックオプションで支払われるということで騒然となっていたのを覚えています。
そして、シティバンクの同僚達が私に言った言葉が忘れられません。「柾木さん、どうしてうちの銀行なんかに来たのですか?私がそちらに行きたいくらいですよ。」と。
ところが、その後、シティバンクの業績はどんどん改善していき、株価も上昇、結局ストックオプションを受け取った人は全員が大きく利食いすることが出来るに至ったのです。
一方、日本の銀行はどうなったかと言うと、どんどん業績が悪化していきました。給与水準も上昇するどころか、減少していったのです。日本の株価も低迷を続けました。
結局、邦銀から米銀へ転籍したことは、私にとってラッキーではあったのですが、元々の動機が、自分としてやりたいことをやらなかったことで、後で後悔したくないということだけだったのです。
一生懸命生きていれば運命の女神が微笑んでくれるのだ、そんな気がしたのを覚えています。もちろん、その後、外資系銀行では、様々な試練が待ち構えていたのですが、それでも、結果として幸せなディーラー人生を送ってきたと思っています。「悔いのない人生を」という思いだけを心に抱きながら、ただ懸命に歩んできただけなのですが・・。
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