「トレーダー」は楽しい仕事
いきなり、何を書き出すのかと思われるかもしれませんが、自分自身の過去を振り返って、正直そう思うのです。
僭越ながら、自分がトレーダーになった当時のことをご紹介すると、当初は、決してトレーダーという仕事に興味があって銀行に就職したわけではありませんでした。元々は、ラテンアメリカに興味があり、ラテンアメリカ諸国向けの国際シンジケートローンなどを手掛けたいと思い国際業務に強い銀行を選んで就職口を決めていたのです。
その為、わざわざ、銀行に入ってからも1年間掛けて、ブラジルでポルトガル語やラテンアメリカ経済などの勉強をやって帰ってきたにもかかわらず、いきなり、全く畑違いの「国際資金証券部」などという、「トレーダーの世界」に放り込まれたのですから、こちらとしてはたまったものではありませんでした。
ところが、どういうわけか、少し経験すると、直感的に、これは「楽しい仕事」だと思えたのです。理由は単純明快でした。すなわち、若輩にもかかわらず、自分の責任範囲で自由にトレード出来る、堂々と他の銀行に友人を作ることが出来るということが主な理由でした。
もちろん、結果に対しては厳しいルールが課されていましたが、自分の頑張りがそのまま具体的な数値になって跳ね返ってくるわけです。まだ20代であったにもかかわらず、大きな額の資金を自由に動かせることに、国内業務をやっていれば味わえなかったであろう、大いなるやりがいを感じたのです。
そして、なんと言っても、他行に友人をつくることが出来るという、とてつもない恩恵があったことは大きな励みや楽しみとなりました。つまり、外銀、邦銀問わず、同じ業界同士のトレーダー仲間を自由に作ることが出来たのです。
このことは、一見大したことがないように見えて、実は、とても有意義なことだったのです。当時(今もそうでしょうが)、各銀行にとって他行はライバルであり、同じ地域内の支店などは互いに競争心剥き出しにして取引先の争奪、融資合戦をしていました。
従って、たとえ顔見知り程度にはなっても、他行に友人を作るなどということは通常の感覚ではあり得ない話だったのです。その点、「トレーダーの世界」は異なりました。つまり、インターバンク市場というのがあって、流動性を互いに供給しあう環境にあったことから、他行のトレーダーはライバルであると同時に、互いに助け合う「戦友」であったわけです。
私の場合は、ニューヨーク市場にて為替トレーダーを始めたものですから、外資系銀行の友人は必然的にアメリカ人でしたが、国民性も相まって、よけいに彼らとは仲良くなっていったのを覚えています。
そんな事情から、私は、この「トレーダーという仕事」ほど楽しいものはないと思った次第です。その為、少々の辛さ(時には大いなる辛さ)はあっても、この仕事をいつまでもやっていきたいと心の底から感じ、その為に為すべきことを務めてきた結果が今につながっていると思っています。
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