ディーラーの世界(4)
それでは、どういうわけで、「ディーラー命6ヶ月」の運命であった私がさらに4ヶ月も生き延びることが出来たのか、ご説明したいと思います。
正直、ファンダメンタルズ分析能力が優れていたわけでもなく、市場情報ルートにしても、まだ米銀等に友人を多く持っていたわけでもなかったことから貧弱なものでした。そこで、私が行ったのは、ただ一つ、シカゴIMM(通貨先物市場)のプライスの動きのチャートを、毎日オープン直後からクローズにかけて作ったことでした。
手法は「ポイント・アンド・フィギャー」というものでした。ご存知の方も多いと思いますが、価格が上昇すれば×マーク、下落すれば○マークをつける至極簡単なものです。しかし、それが私にとっては、まさしく最強の兵器(竹やりではありましたが)となったのです。 ただの○と×がディーラー首寸前の私を救ってくれたわけです。
そもそも、ディーリングで勝つには、とにかく安く買って高く売る、高く売って安く売るかしかないわけで、しかもそのタイミングを荒れたニューヨーク市場にて瞬時に判断しなければならないわけです。そうなると、マーケットが開いている間に、米国経済指標の分析など呑気にしていたらあっという間に大手米銀の餌食になります。
すなわち、相手銀行からプライスを求められて出すたびに損を計上する羽目になるのは目に見えていました。ところが、相手が買ってくるのか、売り浴びせてくるのか、こちらがマーケットの動きを事前に把握、予想しておけば怖いものはありません。逆にこちらが相手(大手米銀)を攻めることだって出来るわけです。というわけで、私は、毎日日雇い労働者のごとく、腕をまくり上げて朝から夕方まで昼食もろくに取らず稼ぎ続けたのです。
収益が上がり出すと、あの怖いチーフディーラー氏でさえ私に対して何となく優しくさえなってきました。時には相場観を聞かれるようにもなり、さすがに私も踊る気持ちを覚え、嬉しくなったのです。そうすると、どんどん良いように回転を始め、ディーリングが楽しくて仕方なくなったのです。毎日、ワクワクのディーラー生活です。
とは言え、私のディーリングの武器は「○×」しかないわけで、上司、先輩に、相場観を聞かれた時は、ただ何となく感じたフィーリングを伝えたものです。そうすると、その私のフィーリングがどういうわけか結果的に評価されてしまい、私が買うところで、彼らも買う、私が売るところで彼らも売るなんてことも起こり出したのです。「勝てば官軍」とはよく言ったものだと、自身、身をもって痛感するに至ったわけです。
とにもかくにも、当時の私は、一日中、ドルマルク相場のプライスをブローカー経由で聞き続けて、○×チャートだけを頼りに、他行よりプライスを求められればクオートし、売り買いを繰り返す毎日でした。ディーリングは「力仕事」以外の何物でもないとの認識を持っていたような記憶があります。所謂ボードディーラー(担当の通貨を任されて、顧客や、他の銀行にプライスを出すディーラーのこと)というのは、理屈抜きにディーリングのテクニックなるものを有していないと生き残れないと心の底から思うようになっていました。
このようにして、私は、いわゆるファンダメンタルズ分析などに時間を掛けているぐらいなら、チャートを勉強して、相場というか、価格の変動そのものを探求することの必要性を目の当たりに感じたわけです。たまに、米国金融事情や経済の勉強をする一方で、英語で書かれたチャート分析の書籍に目を通し始めた時期でもありました。
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