ディーラー(トレーダー)は虚業か?!
これは昔実際にあった実話なのですが、私の友人が、ある日雑誌を読んでいて、自分のお父さんが雑誌の中でインタビューに答えて、「自分の息子がディーラーという虚業についている〜〜」と発言していたのを目にしました。実は、彼の父君は、今は亡き、ある著名な作家でした。
さすがに、友人は一瞬ショックを覚えたようですが、オープンな性格の良い人間で、私にすぐにそのインタビュー箇所を教えてくれました。彼も私も、同じ銀行で一緒にディーラーをやっている仲でしたので、二人で苦笑したのを今更ながら思いだします。当時、彼も私も30代半ばで、ディーラーとしてまさに脂が乗った時期でしたので、いくら父君とは言え、著名作家にけなされている思いがしたのも正直なところでした。
そんな私でしたが、内心では、ディーラーとしての仕事に心底、誇りを感じて、毎日を過ごしていました。そもそも、銀行という巨大組織にあって、自分の裁量で 数十億円単位の巨額の取引をルールの範囲内とは言え、自由自在に行えるわけですから、こんなに恵まれた仕事は他にないと思っていました。
しかも、各国経済、政治事情を最先端の通信技術を通じて一刻も早く察知、判断し、自分のポジションを操作するという仕事だけに、大いに「やり甲斐」を感じていたのは事実です。
ところで、一般的に言って、確かに、「相場」と聞くだけで、「博打」をイメージする人がいたり、宝くじのような感覚を覚えることがあっても不思議ではありません。世の中では、相場に対して、ちょっと怪しいというイメージを持っている人が多数いるのは事実のようです。
しかしながら、世の中の経済活動の多くは、需要と供給から成り立っており、そこには、生産者と消費者が存在し、供給される商品に対して価格が成立しているわ けです。世の中には多くの商社が存在していますが、常に、どのようにしたら収益を上げることが出来るかを考えているわけです。ものつくりのメーカーにして も、根本的には同じ原理原則で動いていると言っても過言ではないでしょう。
ちなみに、私は、トレードのみならず、相場そのものの動き自体の研究をすることに意義を見出しており、それはまるで、原子、分子の運動を解析するような感覚でもあります。近年、「経済物理学」なる分野も生まれ、その流れの中で「市場」「相場」に対しての研究も進んでいるようです。
また、さらに、私は、相場を音楽の旋律のようなものであるとも感じています。つまり、相場にはリズムが存在しているということ、相場の要素は、時間と価格であるということ、などなどです。
いずれしても、相場は奥深いものであり、それ自体研究対象としても充分過ぎるものであると思います。ましてや、相場は、金銭的経済幸福をもたらしてくれるも のである点で、大いなる副産物を与えてくれます。そんな相場の世界に長く生きている自分は本当に幸せ者だとつくづく思うのです。
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