1998年の誕生から12年を経た今、外国為替証拠金取引(FX)は人気金融商品の1 つとしての地位を確立しつつある。2009年度の取引高は約2200兆円、実働口座数も65万口座(金融先物取引業協会調べ)に達した。経営者の中からも持ち株売却で百億円単位のキャッシュを手にする成功者が登場するなど、ガレージベンチャー的なFXの黎明期を知る記者としては、隔世の感がある。本稿では2回にわたり、業界の歴史を振り返るとともに、2010年から始まった新たな規制の影響について、探ってみたいと思う。
FXビジネスの誕生は、90年代後半の「金融ビッグバン」と密接に関係している。それ以前の外為取引は「外国為替及び外国貿易管理法」(外為法)によって厳しく規制されていた。当然、個人投資家が自由に外貨を取引できる環境ではなかった。一方で、厳し過ぎる規制により、東京外為市場の競争力が低下する弊害も指摘され始めていた。
そうした中、市場活性化を狙いに98年4月に施行されたのが改正外為法だった。法律の正式名称から「管理」の2文字が外されたことが示す通り、外為取引は自由化された。これを機に街のカメラ店でも両替業務が開始され、銀行では外貨預金が登場するなど、当時の人々の関心を集めた。
一方で、全く違った角度から、ひそかに外国為替ビジネスへの参入をうかがっていたのが、日本の商品先物業者だった。一部の業者は外為取引の自由化を見越して準備を進めており、早くも法改正から半年後の同年10月には日本初のFXが開始されている。
当時、米国ではシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)が急成長をとげていた。一介の農産物・食品取引所にすぎなかったCMEは、レオ・メラメド氏(現CMEグループ名誉会長)が提唱した通貨先物を1972年に上場したのを原点に、金融デリバティブへと軸足を移していた。2010年現在ではCMEグループは世界最大の先物取引所として君臨している。
日本の商品先物取引は、今から280年前の享保15年(1730年)に誕生した「大坂堂島米会所」をルーツとしており、世界有数の長い歴史を誇るが、国民経済へは浸透できないまま伸び悩んでいた。一部の野心的な経営者は、自身をCME のメラメドになぞらえて、FXに打って出たのだった。
とはいえ、初期のFXは、まさに手探り状態だった。商品設計は各社まちまちで、取引に期限がある「限月制」ルールを採用する業者もあった。インターネットの普及ととも始まったネット取引では、システムダウンが多発した。
商品先物由来の対面営業を重視する風潮もまだ根強かった。先行参入した商品先物会社の多くで、FX部門は傍流扱いの状態が続いた。
商品先物業界でFXに本腰を入れる機運が高まるのは、本業の商品先物ビジネスで、2004年末に手数料が自由化され、続いて2005年5月の商品取引所法改正に、厳しい勧誘規制が盛り込まれる可能性が濃厚となってからだ。ようやくFXの潜在的な成長力に気付いた経営者が少なくなかった。