コラム:日米インフレ格差とドル円、150年の歴史から推理する展開=佐々木融氏

コラム:日米インフレ格差とドル円、150年の歴史から推理する展開=佐々木融氏
 8月31日、注目されたジャクソンホールでのパウエル米連邦準備理事会(FRB)議長講演を終えても、ドル/円相場は110円前後から離れなかった。為替市場参加者が大きな動きを決断するために注目しているのは、FRBの金融政策の微妙なタイミングの違いではない、ということだろう。写真は日本円と米ドルの紙幣。2017年6月撮影(2021年 ロイター/Thomas White)
佐々木融 JPモルガン・チェース銀行 市場調査本部長
[東京 31日] - 注目されたジャクソンホールでのパウエル米連邦準備理事会(FRB)議長講演を終えても、ドル/円相場は110円前後から離れなかった。為替市場参加者が大きな動きを決断するために注目しているのは、FRBの金融政策の微妙なタイミングの違いではない、ということだろう。
過去3カ月間、ドル/円相場はほとんどの期間を109円─111円の間で推移している。こういう状況になると、今後も現在のレンジ内にとどまり続けるのではないかと思ってしまう。しかし、何らかの形でマグマは溜まっていて、また、何かのタイミングで大きく動き出すことになるだろう。
<1ドル=1円で始まったドル円>
既に1年半以上続いている新型コロナウイルス感染拡大は、世界経済に歴史的な変化を与えている可能性が高い。感染が収束し、世界経済が本格的に再開してきた時には、どのような景色が見えてくるのだろう。市場参加者が本当に注目しているのは、そうした大きな歴史的変化なのかもしれない。
そういう意味で、本来は7─9月期にも期待されていた世界経済の本格的な再開が、デルタ変異株の感染拡大で後ズレしそうになっていることが、市場の静かな動きにつながっているのかもしれない。
前回の本コラムで、円の購買力が約50年前と同程度の水準まで下がり、日本の購買力が大きく低下して、20年前には世界で3番目に高かった日本の平均年収が、20位にまで後退してしまっている現実について指摘した。
我々は世界経済の歴史的な転換点の真っただ中にいる可能性があるため、今回も歴史的観点から大局観に立ってドル/円相場の動きを振り返ってみたい。
ドル/円相場は元々いくらから始まったかと聞かれたら、1ドル=360円と答える人が多いだろう。しかし、実際のドル/円相場は1ドル=1円から始まっている。
「円」は今からちょうど150年前の1871年に日本の貨幣単位として採用された。その時の1円金貨は当時の1米ドル金貨とほぼ同じ量の金で造られたため、1ドル=1円だった。
その後、西南戦争、関東大震災、世界大恐慌後の日銀による国債引き受けなどもあって、第2次世界対戦が勃発した1939年には1ドル=4円台まで円安が進んでいた。つまり、82年前までのドル/円相場はひと桁だった。
<戦後のハイパーインフレと360円>
米国と戦争している間はドル/円相場が無くなったが、1945年に戦争が終結すると、軍用交換相場として1ドル=15円という相場が設定された。戦時中は日本が戦費調達のために野放図に紙幣を刷り、その結果、日本の方がインフレ率が高かった。
そして、日本は終戦後も復興のために紙幣を刷ったので、数年間は100%前後のハイパーインフレに悩まされた。
ドル/円の軍用交換相場は1947年には1ドル=50円、翌年には1ドル=270円に引き上げられた。日本のインフレ率の方が米国より高い状態が続いたため、円安・ドル高方向に調整された。
その後、一般に使用されるためのドル/円相場を連合国軍総司令部(GHQ)が1949年に発表、それが360円だった。つまり、ドル/円相場はたった10年間で4円台から360円まで急激な円安となった。
そこから22年間、ブレトンウッズ体制と呼ばれる時代の中でドル/円相場は360円という水準を維持した。しかし、今から50年前の1971年にニクソン米大統領がドルと金の交換を停止し、ドル/円相場は急速にドル安・円高方向に動き始めた。 <名目値と実質値のかい離が生む窮乏化>
ここからの円相場は、実質的な価値と名目的な価値で分けてみる必要がある。まず、実質的な価値でみると、50年前から始まった円高の動きは、そこから24年後の1995年に実質的な最高値をつけた。
もっとも、その後の26年間で実質的な円の価値は50年前の円安水準に戻っていることは、前回のコラムでも紹介した。
一方、名目的な価値でも見てみよう。50年前から始まった円高の動きは、そこから40年後の10年前、つまり2011年にいったん、最高値をつけた。しかし、名目的な円の価値の上昇はこれで終わりではなく今後も続くだろう。
なぜなら、過去150年間の円相場の動きが示すように、ドル/円相場は日本と米国のインフレ率がどちらが高いかで30─50年単位の大きな流れが決まるからだ。
新型コロナウイルス感染拡大という歴史的事象を受けて、日米の消費者物価指数・前年比の差は、5%ポイント台後半まで拡大している。これは31年ぶりの大幅な格差だ。当然、米国のインフレ率の方が日本より高く、これはドルの価値が円に対して年率で5%減価していることを意味している。
150年間の円相場の歴史を振り返れば、ドル/円相場は1円から360円になり、一時は75円まで戻った。過去4年間のドル/円相場は101円─115円のレンジ内での上下動となっているが、これから150年後に円相場の歴史を振り返った時は、2017年─2021年の動きの解説は省かれるだろう。
しかし、今後のドル/円相場の大きなうねりりが、2020年からの新型コロナウイルス感染拡大を要因として説明される可能性は高い。
筆者は名目的な円の価値の上昇は続き、数年以内にドル/円相場は100円を割れるとみている。むしろそうならない方が日本経済にとっては不気味だ。
日米のインフレ率格差を考えると、このままドル/円相場が100円以上で推移すると、いずれ日本人にとってハワイ旅行は手が届かないほど高額なものとなってしまう。ただ、インフレ率格差ほどの円高は進まず、結果的に実質的な円の価値の下落は続くだろう。理由は前回のコラムで説明した通りだ。
つまり、ドル/円が100円台を維持するような事態のケースよりは、進行がゆっくりとなるだろうが、いずれにせよ、最終的には日本人にとってハワイ旅行は徐々に手が届かなくなる高額なものとなってしまう可能性が高い。
50年後に振り返った時、「コロナウイルスの感染が収束しても、ハワイに行く日本人の数があまり回復しなかった」などと、言われるようになるのかもしれない。
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*佐々木融氏は、JPモルガン・チェース銀行の市場調査本部長で、マネジング・ディレクター。1992年上智大学卒業後、日本銀行入行。調査統計局、国際局為替課、ニューヨーク事務所などを経て、2003年4月にJPモルガン・チェース銀行に入行。著書に「インフレで私たちの収入は本当に増えるのか?」「弱い日本の強い円」など。
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