<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" version="2.0" xml:lang="ja">
	<channel>
		<title>FOREX PRESS 外国為替取引ニュースサイト - マーフィーの日々是好日 - エピソード</title>
		<link>http://forexpress.com/column/murphy/</link>
		<atom:link href="https://forexpress.com/column/murphy/category-2/rss2.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
		<description>FXに関する総合ニュースサイト「FOREX PRESS（フォレックス・プレス）」では、FXに関する最新ニュースから、国内でのFX取扱業者一覧・各社のサービス・会社概要まで詳しくまとめてあります。</description>
		<language>ja</language>
		<copyright>© 2026 FOREX PRESS All rights reserved.</copyright>
		<lastBuildDate>Sat, 03 Jun 2017 23:53:02 +0900</lastBuildDate>
		<generator>a-blog cms</generator>
		<docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
		<item>
			<dc:creator>murphy</dc:creator>
			<title>トレーダーは楽しい仕事♪</title>
      
      <link>https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-885.html</link>
			<description><![CDATA[
				




<p>いきなり、何を書き出すのかと思われるかもしれませんが、自分自身の過去を振り返って、正直そう思うのです。<br />
<br />
僭越ながら、自分がトレーダーになった当時のことをご紹介すると、当初は、決してトレーダーという仕事に興味があって銀行に就職したわけではありませんでした。元々は、ラテンアメリカに興味があり、ラテンアメリカ諸国向けの国際シンジケートローンなどを手掛けたいと思い国際業務に強い銀行を選んで就職口を決めていたのです。<br />
<br />
その為、わざわざ、銀行に入ってからも1年間掛けて、ブラジルでポルトガル語やラテンアメリカ経済などの勉強をやって帰ってきたにもかかわらず、いきなり、全く畑違いの「国際資金証券部」などという、「トレーダーの世界」に放り込まれたのですから、こちらとしてはたまったものではありませんでした。<br />
<br />
ところが、どういうわけか、少し経験すると、直感的に、これは「楽しい仕事」だと思えたのです。理由は単純明快でした。すなわち、若輩にもかかわらず、自分の責任範囲で自由にトレード出来る、堂々と他の銀行に友人を作ることが出来るということが主な理由でした。<br />
<br />
もちろん、結果に対しては厳しいルールが課されていましたが、自分の頑張りがそのまま具体的な数値になって跳ね返ってくるわけです。まだ20代であったにもかかわらず、大きな額の資金を自由に動かせることに、国内業務をやっていれば味わえなかったであろう、大いなるやりがいを感じたのです。<br />
<br />
そして、なんと言っても、他行に友人をつくることが出来るという、とてつもない恩恵があったことは大きな励みや楽しみとなりました。つまり、外銀、邦銀問わず、同じ業界同士のトレーダー仲間を自由に作ることが出来たのです。<br />
<br />
このことは、一見大したことがないように見えて、実は、とても有意義なことだったのです。当時（今もそうでしょうが）、各銀行にとって他行はライバルであり、同じ地域内の支店などは互いに競争心剥き出しにして取引先の争奪、融資合戦をしていました。<br />
<br />
というわけで、たとえ顔見知り程度にはなっても、他行に友人を作るなどということは通常の感覚ではあり得ない話だったのです。その点、「トレーダーの世界」は異なりました。つまり、インターバンク市場というのがあって、流動性を互いに供給しあう環境にあったことから、他行のトレーダーはライバルであると同時に、互いに助け合う「戦友」であったわけです。<br />
<br />
私の場合は、ニューヨーク市場にて為替トレーダーを始めたものですから、外資系銀行の友人は必然的にアメリカ人でしたが、国民性も相まって、よけいに彼らとは仲良くなっていったのを覚えています。<br />
<br />
そんな事情から、私は、この「トレーダーという仕事」ほど楽しいものはないと思った次第です。その為、少々の辛さ（時には大いなる辛さ）はあっても、この仕事をいつまでもやっていきたいと心の底から感じ、その為に為すべきことを務めてきた結果が今につながっていると思っています。<br />
<br />
■「マーフィーの無料ＦＸ講座」のお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/ji/">「マーフィーの無料ＦＸ講座」</a><br />
短期間でスパンモデル、スーパーボリンジャーのエッセンスを無料で学んで頂けるコースです。<br />
<br />
■「無料メルマガ」のお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/mailmaga.html">「無料メルマガ」<br />
</a>相場と友達になる手法を無料レポートで公開中です。<br />
<br />
</p>













			]]></description>
			<category>エピソード</category>
      
      <guid isPermaLink="true">https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-885.html</guid>
			<pubDate>Sat, 03 Jun 2017 23:53:02 +0900</pubDate>
		</item>
		<item>
			<dc:creator>murphy</dc:creator>
			<title>久しぶりにラジオ出演してきました♪</title>
      
      <link>https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-859.html</link>
			<description><![CDATA[
				




<p>3月27日（月）に、ラジオ日経の「トレードパーティ♪」という番組にゲスト出演してきました。<br />
<br />
<a href="http://market.radionikkei.jp/tradeparty/327ustream_live.html ">http://market.radionikkei.jp/tradeparty/327ustream_live.html</a> <br />
<br />
番組は、上記ＵＲＬにて、オンデマンドにて視聴できます。<br />
<br />
また、ユーストリーム配信となっていますので、テレビの感覚で視聴して頂けます。お楽しみいただければ幸いです。<br />
<br />
尚、番組内では、時間制限があったものの、私の相場判断、トレード手法である、スパンモデル、スーパーボリンジャーについて、さわりの部分だけですが、簡単に解説させていただきました。<br />
<br />
また、新サインツールである、スパンオートシグナルについても、少しだけご紹介させていただきました。ご参考になれば、嬉しいです。ちなみに、番組進行中に、新サインツールのチャートが突然現れなくなった時は、かなり焦りました。しかし、おかげさまで、何とか、表示できたので、良かったです。パソコン環境の違いからのトラブルは致し方ないですね。<br />
<br />
尚、ラジオ日経の番組には、久々の出演ということで、当日、多くのスタッフの方々とご挨拶させていただきました。皆さま、私のことをしっかりと覚えて下さっていて、大勢の人に囲まれて、幸せな気分でした。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。<br />
<br />
<br />
■「マーフィーの無料ＦＸ講座」のお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/ji/">「マーフィーの無料ＦＸ講座」</a><br />
短期間でスパンモデル、スーパーボリンジャーのエッセンスを無料で学んで頂けるコースです。<br />
<br />
■「無料メルマガ」のお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/mailmaga.html">「無料メルマガ」<br />
</a>相場と友達になる手法を無料レポートで公開中です。<br />
<br />
</p>













			]]></description>
			<category>エピソード</category>
      
      <guid isPermaLink="true">https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-859.html</guid>
			<pubDate>Tue, 28 Mar 2017 23:13:07 +0900</pubDate>
		</item>
		<item>
			<dc:creator>murphy</dc:creator>
			<title>１つのことを徹底的に信じて行うことの大切さ</title>
      
      <link>https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-625.html</link>
			<description><![CDATA[
				




<p>皆様はご自分の力、能力を心の底から信じていますか？<br />
<br />
自分は何でもこなせる、やり遂げることが出来ると思っている人がいれば、相当な自惚れか、楽天家なのかもしれません。ひょっとしたら、生まれながらにして、大きな事を成し遂げる人かもしれません。<br />
<br />
現実問題、人間誰しもそうですが、そう簡単に自分のことを信じることは出来ません。もちろん、誰しも自分自身にプライドがあるはずですし、絶対に譲れない面があると思います。しかしながら、自分の能力をとことんまで信じている人が多くはないと思います。<br />
<br />
ここで、私自身のエピソードを少しお話したいと思います。<br />
<br />
私は、マーケットの世界に1984年8月に入りました。実際にポジションを持ってトレードを始めたのは、翌年1985年の4月からでした。邦銀ニューヨーク支店にて、ドルマルクディーラーとして相場の世界でデビューしたのです。<br />
<br />
当時世界最強の通貨と言われたドイツマルクは現在ユーロに取って代られていますので、ユーロドルのトレードであったわけです。当然の結果ですが、マーケットの洗礼を思いっきり受けました。何故、自分をこの恐ろしいマーケット部門に配属したのだろうと、人事を恨んだくらいでした。<br />
<br />
しかし、世界経済、金融のど真ん中に位置する外国為替市場にて、外国為替のトレードを出来る喜びも同時に感じました。そして、自分次第で結果を残せ、また、個人単位で評価してくれるという体質、カルチャーがとっても気に入りました。ともすれば、大きな組織の中で埋もれてしまうかもしれないサラリーマンの一人であった自分が、自分を主張出来る数少ない仕事であると思ったのです。<br />
<br />
そこで体験したのは、一種の「天職」めいた感触でした。シンクロニシティが重なって、たまたまディーリング部門に配属されたわけですが、そこで、一種の「ひらめき」を感じ取ったのです。「気づき」と言い換えても良いかもしれません。自分はこの世界でやっていきたいという、ぼんやりした願望を心底に強く持ったのです。<br />
<br />
しかしながら、現実の目の前の相場、マーケットはあまりにも冷酷でした（私にはそう感じました）。いったいこんな世界で自分が生き残れるのかという不安、心配ばかりの毎日を送っていました。<br />
<br />
2か月連続でマイナスという収益結果を出しましたので、ボスである上司は、私の配置換えを考えていたはずです。しかし私は、何とかしようともがいた結果、これに頼ろうと思ったのは「チャート」でした。<br />
<br />
ポイントアンドフィギャーという、○と×の印をつける単純なチャートでした。先輩に聞いたところ、たまたま教えてくれたものでしたが、私はそれしか知らないことや、自分に残された時間は少なかったので、ただ信じて頼る以外になかったのです。自分なりにチャートの作成方法を調べ、さっそく方眼紙に書き始めました。<br />
<br />
どこで買い、どこで売るかというポイントをこのチャートだけで判断したのです。竹やりにも劣る、しかし、自分にとっては唯一信じることの出来る手段でした。それでも、何と、私はこのチャートのお陰で次第に収益を残せるトレードを出来るようになったのです。正直、その当時のことを思い出してみて、ただ、チャートが示すシグナルを信じるだけでした。<br />
<br />
そこには余計な疑いの余地はなく、世の中のポジション云々、経済指標云々等の「材料」「要因」が入り込むことはありませんでした。ただ、ただ、チャートを信じて邁進していったのです。<br />
<br />
そして、3か月目が終わろうとする月末に、何と、月間損益を、ほんの僅かながらもプラスにすることが出来たのです。月間10万ドル（当時約2500万円）の損失限度額を2か月連続でほぼ使い切った上に、3か月目の途中までやはりマイナスであったのが、月末日に、ほんの僅かではありましたが、プラス（収益）にすることが出来たのです！！<br />
<br />
それまで、ニューヨーク支店内のディーリングルーム内で、ドルマルクディーラーとして、通算でプラスの収益に出来た先輩ディーラーはほとんどいないと言われていた中での出来事でした。この出来事をきっかけに、私は、不思議と、自信めいたものが自分の中に生まれてきたのを感じました。<br />
<br />
いずれにしても、この僅かながらのプラスの収益のお陰で、あと数か月はディーリングを続けるチャンスを頂戴したわけです。そして、その後、信じる者こそ救われる、の境地で、自分の「竹やり」手段を信じて、コンスタントに収益を残し続けていったのです。まさか、その後、約30年後の現在もマーケットに関わる人生を歩めるとは全く予想だにしていませんでした。<br />
<br />
思い起こせば、「信じること」を徹底したお陰で、自分の運命を切り拓くことが出来たのです。自分が好きだと思ったことを、ただ続けたいと願望を持ったことは事実ですが、それに加えて、信じ続けることで救われたわけです。<br />
<br />
もし、あの時、あれもこれもと救いを求めていたら、自分は「助からなかった」かもしれません。「あれかこれか」で救いを求めたのが良かったのだと痛感しています。そして、その後、紆余曲折があったにせよ、自分のトレードスタイルを長い年月を掛けて築き上げてきたわけです。<br />
<br />
ここで私が申し上げたいのは、まずは、何かを信じること、そして、徹底的にやってみることです。そうすれば、今度は、自分自身に対する自信につながっていきます。自分自身を信じることが出来るようになるのです。皆様の将来もきっと、皆様の希望されるようになるはずです。以上、信じることの大切さについて、私のエピソードを交えてお話させて頂きました。<br />
<br />
■「遅行スパンアタッカー」発売のお知らせ<br />
 このたび、私が最も重視する「遅行スパン」をベースにしたトレンド発生のタイミングを教えてくれるツール、「遅行スパンアタッカー」をリリースしました。<br />
<a href="http://www.xfine.info/cspan/">「遅行スパンアタッカー」</a><br />
<br />
■「マーフィーの無料ＦＸ講座」のお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/ji/">「マーフィーの無料ＦＸ講座」</a><br />
短期間でスパンモデル、スーパーボリンジャーのエッセンスを無料で学んで頂けるコースです。<br />
<br />
</p>













			]]></description>
			<category>エピソード</category>
      
      <guid isPermaLink="true">https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-625.html</guid>
			<pubDate>Sun, 28 Dec 2014 13:48:50 +0900</pubDate>
		</item>
		<item>
			<dc:creator>murphy</dc:creator>
			<title>ディーラーの世界（７）</title>
      
      <link>https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-546.html</link>
			<description><![CDATA[
				




<p>ところで、私のいた邦銀はディーリングに対する理解があり、やる気のあるディーラーや収益力のあるディーラーには次々と仕事を与える風潮がありました。<br />
<br />
ニューヨーク支店の場合で言うと、成績に応じてポジション枠が増えたり、損失限度額が増額されたりしたのです。特に驚いたことは、日本の銀行であるにも関わらず、上司よりも部下の方のポジション枠が大きくなるケースもあったことです。これにはさすがに戸惑いましたが、上司の方がとても素晴らしい方でしたので、 少なくとも面と向かって嫌な風をされなくて本当に助かったと今更ながら思います。<br />
<br />
そして、怖いチーフディーラー氏は部下である、その私の上司に対して、私に相場観を押し付けたりせず、自由勝手にディールをやるように「業務命令」を下したのです。何ともはや、恐ろしい世界に来たものだと痛感しました。<br />
<br />
如何に日本を代表する大銀行であっても、ここは、市場を相手にするディーリングルームです。社内での相場観など、何の役にも立ちません。上司 であろうが、部下であろうが、稼いでなんぼ、の世界なのです。もちろん、節度ある職場規律はしっかりと守られており、ディーリング以外では明確に上司、部下の師弟関係は保たれていたことは言うまでもありません。<br />
<br />
そのような、外資系でも厳し過ぎると思われる環境・条件の中で、私のディー ラーとしての基礎は叩き上げられていったのです。前にも書きましたように、「プラザ合意」があったところで、ニューヨーク市場はドル売り円買い一辺倒の市 場ではなく、「プラザ合意」のあった1985年の翌年1986年1年間を通しても、ニューヨーク市場オープン（朝8時半）からクローズ（夕方5時）にかけてドルが上昇した日が45％、下落した日が55％という結果でした。毎日、一体全体上がるのか、下がるのか、自分の相場観（あくまで直感）と竹やり武器で ある○×チャートだけが頼りだったのです。<br />
<br />
やがて、「ファンダメンタルズ」なるものを勉強しなければ「格好悪い」と感じ始めた私は、手 当たり次第に経済指標の勉強や、外資系が作成している英文レポートを読み出しました。ＦＲＢの金融政策に関する書籍を購入したりもしました。それでも、得た知識が日常のディールに役立ったことは残念ながら記憶になく、むしろ余計なことを考える習慣がついた為に、経済指標発表後の反応が遅れることがあったぐらいです。<br />
<br />
私の場合、幸いなことに、米系銀行に多くの友人を作ることが出来ました。それこそ、天下のシティバンクやBOA、 J.P.Morgan等のドル円チーフディーラーやドルマルクチーフディーラーとも仲良しになれたのです。<br />
<br />
性格が根っからのお調子者であった為、ボスに 「お友達の外資系の連中は何か言っている？」なんて質問されると、嬉しくなって、怖いもの知らずにあちこち電話してはマーケット情報を聞きにいったのです。<br />
<br />
彼らも、最初はこちらをそれほど相手にしてくれなかったものの、次第にインターバンク市場にてコンスタントに互いにプライスを呼び合ったりしている と、彼ら自身の方から興味を持ってくれたらしく、夕刻、市場が引けてから一緒に飲みに行くほどの関係に発展していったのです。<br />
<br />
何と言っても、こちらは日本人であり、Ｇ５以降、円は特に投機の対象になっており、日本の事情をちょっと話すだけで、充分興味をもって付き合ってくれたものです。 そして、たまに、ディーラーのパーティーがあると、出来るだけ参加するようにしました。一部の日本の銀行もインターバンク市場に参加してはいましたが、私の在籍していた邦銀ニューヨーク支店はニューヨーク市場にて益々存在感を高めていったのです。<br />
<br />
■「マーフィーの無料ＦＸ講座」スタートのお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/ji/">「マーフィーの無料ＦＸ講座」</a><br />
短期間でスパンモデル、スーパーボリンジャーのエッセンスを無料で学んで頂けるコースです。<br />
<br />
■スパンモデルとスーパーボリンジャーの基本解説ＤＶＤが発売になりました。<br />
<a href="http://www.tradersshop.com/bin/showprod?a=14905&c=9784775964149">「スパンモデル・スーパーボリンジャー基本解説ＤＶＤ」</a><br />
<br />
</p>













			]]></description>
			<category>エピソード</category>
      
      <guid isPermaLink="true">https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-546.html</guid>
			<pubDate>Mon, 07 Apr 2014 11:44:47 +0900</pubDate>
		</item>
		<item>
			<dc:creator>murphy</dc:creator>
			<title>ディーラーの世界「６」</title>
      
      <link>https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-545.html</link>
			<description><![CDATA[
				




<p>通常、「Limit Order（リミットオーダー）」と呼ばれる「利食いオーダー」はあの「忌まわしきワンタッチ・オール・ダン」ルールさえなければ、オーダーを頂戴する方にしてみると有難い話です。<br />
<br />
何故ならば、「Limit Order」があればあるほど、マーケットが荒れた時にメリットがあるからです。すなわち、ある経済指標の発表などに市場が反応して上げでも下げでも一方 向に動き出せば各レベルで注文成立となったオーダーは利食いに使えこそすれ、損することはないからです。<br />
<br />
例えば、市場レベルが 98.30−35レベルの時に、98.50円で売り10本のオーダーがある場合、仮に強いドル買いニュースが出て、いきなり98.60−65レベルにプラ イスが飛ぶとします。すると、98.50の売りオーダーは当然成立（ダン）であり、オーダーを持っているディーラーは98.50コストのドル円ロング10 本が発生するわけです。<br />
<br />
当然の結果として、利食いは容易いことになります。もちろん、マーケットの動きがスローな時は、各オーダーをブローカーなりに預けるケースが多く、上手にやらないと何のメリットもないことは言うまでもありません。<br />
<br />
従って、例えば1ヶ月に数回の荒れたマーケットを期待して、お客様からオーダー（「Limit Order」）をもらう目的は上記から察しがつかれることと思います。当時、友人が勤務していたある大手邦銀のロンドン支店では、月に一回の貿易収支発表 時の為に毎日があるようなものだと言っていました。プラザ合意後数年間はそれほど貿易収支発表が市場の最大関心事だったのです。<br />
<br />
実際のところ、貿易収支発表時に市場が大きく動くことで、その月の予算の収益が達成可能と先ほどの友人が言っていたにはさすがに驚きました。ちなみに、その経済指 標発表時はロンドン支店がオーダーを握っているにもかからず、その同じ銀行のニューヨーク支店はオーダーをもらえず、苦言を呈していたのを覚えています。<br />
<br />
私のいた邦銀はと言うと、大手行にも関わらず、顧客のオーダーが相対的に少なく、もっぱら銀行内のディーラーからのオーダーが多いという、自己勘定で儲けるディーリング軍団といった様相でした。ただ、個人的には、そのカルチャーを気に入ってはいましたが・・。<br />
<br />
そのような銀行ですから、ロンドン支店でさえ、先程の別の邦銀のような恩恵は残念ながら小さかったようです。いわんや、ニューヨーク支店おやということで す。何せ、経済指標発表時は、オーダーらしきものは何もなく、しばらく時間が経って、東京本部の自己勘定ディーラー各氏がディーリング玉をニューヨーク支 店にぶつけてくるわけです。こちら新米ディーラーは、サンドバック状態であり、如何に打たれ強くなるかが、生き残る為のテーマだったのです。<br />
<br />
■「マーフィーの無料ＦＸ講座」スタートのお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/ji/">「マーフィーの無料ＦＸ講座」</a><br />
短期間でスパンモデル、スーパーボリンジャーのエッセンスを無料で学んで頂けるコースです。<br />
<br />
■スパンモデルとスーパーボリンジャーの基本解説ＤＶＤが発売になりました。<br />
<a href="http://www.tradersshop.com/bin/showprod?a=14905&c=9784775964149">「スパンモデル・スーパーボリンジャー基本解説ＤＶＤ」</a><br />
<br />
</p>













			]]></description>
			<category>エピソード</category>
      
      <guid isPermaLink="true">https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-545.html</guid>
			<pubDate>Wed, 02 Apr 2014 00:05:22 +0900</pubDate>
		</item>
		<item>
			<dc:creator>murphy</dc:creator>
			<title>ディーラーの世界（５）</title>
      
      <link>https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-544.html</link>
			<description><![CDATA[
				




<p>さて、私が何とか、為替トレーダーとして生きながらえている矢先の1985年の9月にあの歴史的な一大イベントである「プラザ合意」が起こりました。<br />
<br />
「プラザ合意」とは、1985年の9月22日にアメリカのプラザホテルにて、Ｇ５（先進５カ国蔵相・中央銀行総裁会議）と言われた５カ国が集まってアメリカの対日貿易赤字を修正する目的でドル安円高政策が採られたのです。<br />
<br />
会議直前の前週末金曜日に1ドル＝238円程度であったドル円相場が会議直後の翌週月曜日には、協調介入でもって円は対ドルで急騰、一日で13円程度円高になったのです。その後は、皆様ご存知の通りの急激な円高時代が到来したのです。<br />
<br />
そんな時に、ディーリングルーム内のドル円担当であった先輩ディーラーはある事件（あのチャーリー中山氏こと、中山茂氏がモデルの小説「8割の男」の「義の折半」の章に詳細が書かれています。）をきっかけに担当をはずれ、何と私がドル円を担当することになったのです。<br />
<br />
それまでも毎日が戦場でしたが、さらに激しいマーケットに連れ込まれることになりました。私自身、ディーラーを「クビになる予定」の月から4ヶ月目の出来事であり、もはや、ディーラーとして生きていく「覚悟」を固めた時期でもありました。 <br />
<br />
ところで、海外支店にいると、東京本部のディーラーからの電話はひっきりなしに掛ってきますし、彼らのポジションの調整絡みのオーダー（利食い、損切り等） が急増していきました。<br />
<br />
実は、当時、私のいた邦銀ニューヨーク支店では東京本部との間でチーフディーラー同士が取り決めた恐ろしい「ルール」が存在していました。どんなルールかというと、「ワンタッチ・オール・ダン」と言うルールです。すなわち、あるプライスが1本（百万ドル）でも出会ったら、そのプライスでのオーダー（利食いオーダーも損切りオーダーも全て）全ての本数が成立するというルールなのです。<br />
<br />
例えば、1ドル＝98.50円での 50本の売りオーダーがあれば、市場で1本でも出会ったら、50本全てがダン（成立、執行）となるわけです。東京とニューヨーク支店のチーフの二人が取り 決めたルールでしたが、東京本部のディーラーは全員ベテランの優れた経験者であり、年次も上の人であり、私などの新米ディーラーとは持っているポジション のサイズも違うし、何と言っても、リスクの許容度が全然違うという、ものすごいハンディキャップの中でのルールでした。 <br />
<br />
このルールは、 皆様、容易に分かることと思いますが、オーダーを受けるディーラーにとって非常にリスクの高いものなのです。先の例で言うと、1ドル＝98.50円で50本売りオーダーがあり、ブローカーにオーダーを置いておいて、例え、5本しか出来なくても98.50円の出会いが1本でもあった瞬間に50本全てダン（成 立）するわけです。<br />
<br />
仮に、5本だけ出来て（98.50円で売れて）ドル円が98.40円に下がったら、自分は98.50円のロングポジションを45本持たされるはめになるわけです。ぞっとする話ですが、事実なのです。何ともはや、こちらニューヨーク支店の若手のディーラーにとっては「大変 迷惑」なルールを作ってくれたものだ、と思いましたが仕方がありません。言い訳などしても、自分のディーラーとしての命を縮めるだけだと観念しました。逆に、何としても、生き残ってやるという必死の思いが毎日の自分を奮い立たせたのです。<br />
<br />
そこで考えたのは、例えば、先ほどのオーダーで言 えば、98.48円や98.49円でドルを売って、すぐに98.46円や98.45円で買うオーダーを置きます。そこで、幾らかの本数が出来れば、たとえ 98.50円で50本売れなくても損失は減らせます。万一、98.50がつかずにドルが下がれば、大きく利食いするチャンスもあるわけです。と、このように単純な利食いオーダーに関しては、それほど深刻ではなかったのです。 <br />
<br />
問題は損切りオーダーでした。あのニューヨーク市場というところ は、とにかくプライスが軽く飛ぶように動く市場です。当然、毎朝8時30分に経済指標が発表になったり、重要発言があったり、それこそ、突拍子もない ニュースが飛び込んできて、マーケットが荒れることは日常茶飯事です。そんな中で、「ワンタッチ・オール・ダン」ルールは「殺人的」であると言っても過言 ではありません。<br />
<br />
仮にマーケットが98.30−35の時に、98.50で50本のドル買いストップオーダーがあるとすると、一体どうなるか、ちょっと想像しただけでも如何に恐ろしいことがお分かり頂けると思います。突発的なニュースで98.35−40レベルがいきなり98.65−70 レベルに豹変するわけです。<br />
<br />
98.50でのストップロスオーダーは何と98.50でダンしなければならないルールですから、自分はコスト98.50でのドルショートポジションが発生するのです。瞬間的に大損するわけです。しかも、自分は月間の損失限度枠があり、それを越えると「クビ」という運命です。これはたまったものではありません。 <br />
<br />
そこでどうしたかご説明しましょう。98.35−40のレベルの時に、自分でドルを買っていって、 98.50円を自分で「つけに」いくわけです。無理にでも98.50円の出会いをつくりにいくわけです。ＦＸの世界で言われる「ストップ狩り」とは訳が違うのです。まさに、そこには生き残りを掛けた「血みどろの生存競争」があったのです。<br />
<br />
とは言え、こちらは新米ディーラーであり、ポジションリミットも小さく、そんなに多くの玉を振り回せるわけがありません。98.35−40円レベルから50本もドルを買ったのはいいが、98.48円ま でしか上がらなかったらどうするか。その後反落して、買いのコストを下回ると自分の首を絞めることになるわけです。 <br />
<br />
損失限度額を越えたら理由の如何にかかわらず「クビ」というルールの下に、「ワンタッチオールダン」で、しかも、同レートで成立させなければならないという「拷問とも言えるルール」を指して、あのチャーリー中山氏も驚かれたというエピソードもあります。<br />
<br />
とにかく、こんなことばかりやって、毎日を生き抜いていったのを昨日のように思い出されます。ああ、為替ディーラーというのは、何と過酷な仕事なのだろうと思ったものですが、毎日が新鮮で刺激があり、本当に楽しかったのも正直なところです。<br />
<br />
■「マーフィーの無料ＦＸ講座」スタートのお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/ji/">「マーフィーの無料ＦＸ講座」</a><br />
短期間でスパンモデル、スーパーボリンジャーのエッセンスを無料で学んで頂けるコースです。<br />
<br />
■スパンモデルとスーパーボリンジャーの基本解説ＤＶＤが発売になりました。<br />
<a href="http://www.tradersshop.com/bin/showprod?a=14905&c=9784775964149">「スパンモデル・スーパーボリンジャー基本解説ＤＶＤ」</a><br />
<br />
</p>













			]]></description>
			<category>エピソード</category>
      
      <guid isPermaLink="true">https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-544.html</guid>
			<pubDate>Sun, 30 Mar 2014 18:06:18 +0900</pubDate>
		</item>
		<item>
			<dc:creator>murphy</dc:creator>
			<title>ディーラーの世界（４）</title>
      
      <link>https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-543.html</link>
			<description><![CDATA[
				




<p>それでは、どういうわけで、「ディーラー命6ヶ月」の運命であった私がさらに4ヶ月も生き延びることが出来たのか、ご説明したいと思います。<br />
<br />
正直、ファンダメンタルズ分析能力が優れていたわけでもなく、市場情報ルートにしても、まだ米銀等に友人を多く持っていたわけでもなかったことから貧弱なものでした。そこで、私が行ったのは、ただ一つ、シカゴＩＭＭ（通貨先物市場）のプライスの動きのチャートを、毎日オープン直後からクローズにかけて作った ことでした。<br />
<br />
手法は「ポイント・アンド・フィギャー」というものでした。ご存知の方も多いと思いますが、価格が上昇すれば×マーク、下落 すれば○マークをつける至極簡単なものです。しかし、それが私にとっては、まさしく最強の兵器（竹やりではありましたが）となったのです。 ただの○と×がディーラー首寸前の私を救ってくれたわけです。<br />
<br />
そもそも、ディーリングで勝つには、とにかく安く買って高く売る、高く売って安く売るかしかないわけで、しかもそのタイミングを荒れたニューヨーク市場にて瞬時に判断しなければならないわけです。そうなると、マーケットが開いて いる間に、米国経済指標の分析など呑気にしていたらあっという間に大手米銀の餌食になります。<br />
<br />
すなわち、相手銀行からプライスを求められて出すたびに損を計上する羽目になるのは目に見えていました。ところが、相手が買ってくるのか、売り浴びせてくるのか、こちらがマーケットの動きを事前に 把握、予想しておけば怖いものはありません。<br />
<br />
逆にこちらが相手（大手米銀）を攻めることだって出来るわけです。というわけで、私は、毎日日雇い労働者のごとく、腕をまくり上げて朝から夕方まで昼食もろくに取らず稼ぎ続けたのです。<br />
<br />
収益が上がり出すと、あの怖いチーフディーラー氏でさえ私 に対して何となく優しくさえなってきました。時には相場観を聞かれるようにもなり、さすがに私も踊る気持ちを覚え、嬉しくなったのです。そうすると、どんどん良いように回転を始め、ディーリングが楽しくて仕方なくなったのです。毎日、ワクワクのディーラー生活です。<br />
<br />
とは言え、私のディーリ ングの武器は「○×」しかないわけで、上司、先輩に、相場観を聞かれた時は、ただ何となく感じたフィーリングを伝えたものです。そうすると、その私の フィーリングがどういうわけか結果的に評価されてしまい、私が買うところで、彼らも買う、私が売るところで彼らも売るなんてことも起こり出したのです。「勝てば官軍」とはよく言ったものだと、自身、身をもって痛感するに至ったわけです。<br />
<br />
とにもかくにも、当時の私は、一日中、ドルマルク 相場のプライスをブローカー経由で聞き続けて、○×チャートだけを頼りに、他行よりプライスを求められればクオートし、売り買いを繰り返す毎日でした。 ディーリングは「力仕事」以外の何物でもないとの認識を持っていたような記憶があります。<br />
<br />
所謂ボードディーラー（担当の通貨を任されて、顧客や、他の銀行 にプライスを出すディーラーのこと）というのは、理屈抜きにディーリングのテクニックなるものを有していないと生き残れないと心の底から思うようになっていました。<br />
<br />
このようにして、私は、いわゆるファンダメンタルズ分析などに時間を掛けているぐらいなら、チャートを勉強して、相場という か、価格の変動そのものを探求することの必要性を目の当たりに感じたわけです。たまに、米国金融事情や経済の勉強をする一方で、英語で書かれたチャート分 析の書籍に目を通し始めた時期でもありました。<br />
<br />
■「マーフィーの無料ＦＸ講座」スタートのお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/ji/">「マーフィーの無料ＦＸ講座」</a><br />
短期間でスパンモデル、スーパーボリンジャーのエッセンスを無料で学んで頂けるコースです。<br />
<br />
■スパンモデルとスーパーボリンジャーの基本解説ＤＶＤが発売になりました。<br />
<a href="http://www.tradersshop.com/bin/showprod?a=14905&c=9784775964149">「スパンモデル・スーパーボリンジャー基本解説ＤＶＤ」</a><br />
<br />
</p>













			]]></description>
			<category>エピソード</category>
      
      <guid isPermaLink="true">https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-543.html</guid>
			<pubDate>Sun, 23 Mar 2014 22:12:11 +0900</pubDate>
		</item>
		<item>
			<dc:creator>murphy</dc:creator>
			<title>ディーラーの世界（３）</title>
      
      <link>https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-542.html</link>
			<description><![CDATA[
				




<p>さて、ディーラーとしての「余命」が精々6ヶ月程度であった私の成績はどうであったかというと、最初の月は損失限度ぎりぎりの大負けでした。<br />
<br />
言い訳に聞こえるかもしれませんが、とにかく、当時のニューヨーク市場にて、いったん大手の米銀にプライスをヒットされてポジションを持たされるものなら、倍返しでもするくらいの根性がないとすぐにロスだけが積み上がったのです。<br />
<br />
これは具体的にどういうことかと言うと、例えばシティバンクにドル円のプライスを求められて、101.50−55とクオート（レート提示）するとします。マーケット慣習として、相手行に対しては、必ず、Bid（自分の買値）とOffer（自分の売値）を出さなければならないのです。この例で言うと、101.50 が私のBid、101.55がOfferなわけです。<br />
<br />
ちなみに、このようなスプレッド5銭は、当時、インターバンク取引（銀行間取引）の世界では決してワイドではわけでなく、充分に良いレートでした。取引金額も、通常、1千万ドルと大きな単位であったこともありますが・・・。<br />
<br />
そして、取引相手行であるシティバンクが私のOfferプライスである101.55にて1千万ドル買いたいと伝えてきてディールが成立するとします。即ち、私は、101.55円のコストにて1千万ドルのドル円ショートポジションが発生するわけです。この間、数秒の出来事です。<br />
<br />
そして往々にして、マーケットは既に101.60−65程度に上昇しているケースが多いのです。なぜなれば、相手銀行であるシティバンクは、自らのバックにいる顧客からの巨額の注文を処理するために、こちらの銀行を呼んできたわけです。ですから、市場では相当な金額のドル買いが発生していると想定されるからです。<br />
<br />
ここで、もし私が、持たされたポジションのカバーにいけば、101.65円にてドルを買うことになり、1千万ドルのポジションで10銭相当損する、瞬間にして、100万円のロスとなるわけです。これはたまったものではありません。こんなことを繰り返していれば、あっという間に損失は膨れ上がります。<br />
<br />
ただ、もし、私が、ドル円相場が今後上昇すると読み、市場にて、コスト101.65円にて2千万ドル購入し、首尾よく上がり、 例えば101.80円にて1千万ドルを売れば、最初にシティバンクにヒットされて持たされたポジションで100万円損しても、残りの1千万ドルで150万円 儲かり、合計で50万円の益ということになるわけです。<br />
<br />
以上からお分かりになると思いますが、自分のポジションを如何にコントロールして、損失を抑えるか、そして、如何にして相場の流れを読んで、ポジションを造成するかが、収益を上げる上でのキーポイントとなるわけです。<br />
<br />
ところで、当時、私が在籍した邦銀ニューヨーク支店の為替及び債券ディーラーはそれぞれ個人別に損失限度額が設けられていました。そして、その損失限度額を越えてロスを出すと、理由の如何に関わらず「クビ」でした。<br />
<br />
「クビ」と言っても、別に銀行を辞めるわけではありません。ディーリングルームから出されることを意味しました。しかしながら、この「クビ」、即ちディーリングルームから追い出されるという配置転換は、そもそもディーラーとして派遣されている行員にとっては、あり得ない、あってはいけないことでした。<br />
<br />
現実問題として、当時の先輩ディーラーは戦々恐々として、必死になって収益目標目指して一日中マーケットと「格闘」していました。この、「理由の如何に関わらず損失限度額を越えるとクビ」というルールは、一寸先が闇である為替市場にて、しかもあの荒っぽいニューヨーク市場にてディーリングを行う者にとって、いかに過酷であったかは、言葉では表せないくらい厳しいものでした。<br />
<br />
かくして、為替担当のディーラーはそれほど長く勤まるわけがなく、損失限度額を越えることでディーラーをクビにならないまでも、1〜2年で為替ディーラーからはずされるケースが大半だったのです。<br />
<br />
ところが、このような「過酷な条件・環境」の中で「一大異変」が起こったのです。どういうことかと言うと、あと3ヶ月かそこらでクビになる「予定」であった私が、何と3ヶ月目にして収益をプラスにすることが出来たのです！！　<br />
<br />
そして、他に代わりとなるディーラーがいなかったせいもあるのでしょうが、上司から、「もうしばらくの間続けてみろ」という業務命令の下で、私のディーラー人生は延命されることになったのです。既に、コツを掴みかけていた私は、俄然やる気になり、その後、まさに必死になってマーケットと「格闘」した結果、それ以降4ヶ月連続して収益をプラスにするという「離れ業」をやってのけることが出来たのでした。<br />
<br />
■「マーフィーの無料ＦＸ講座」スタートのお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/ji/">「マーフィーの無料ＦＸ講座」</a><br />
短期間でスパンモデル、スーパーボリンジャーのエッセンスを無料で学んで頂けるコースです。<br />
<br />
■スパンモデルとスーパーボリンジャーの基本解説ＤＶＤが発売になりました。<br />
<a href="http://www.tradersshop.com/bin/showprod?a=14905&c=9784775964149">「スパンモデル・スーパーボリンジャー基本解説ＤＶＤ」</a><br />
<br />
</p>













			]]></description>
			<category>エピソード</category>
      
      <guid isPermaLink="true">https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-542.html</guid>
			<pubDate>Wed, 19 Mar 2014 22:48:33 +0900</pubDate>
		</item>
		<item>
			<dc:creator>murphy</dc:creator>
			<title>ディーラーの世界（２）</title>
      
      <link>https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-541.html</link>
			<description><![CDATA[
				




<p>私に任されたポストはドルマルク担当ディーラーでした。<br />
<br />
マルクは当時の西ドイツの通貨であり、世界の外国為替市場でも最も活発に取引されていた通貨でした。当時のドルマルクディーラーは米銀の中でも花形ポストであり、有能な辣腕ディーラーがひしめいていました。そして銀行間取引、すなわち、銀行が互いにプライスを注文し合い、互いに出し合ったりする取引にて戦国バトルロイヤルを行っていたのです。<br />
<br />
この銀行間取引については個人投資家の皆様にはあまり知られていませんが、要するに、銀行が自分の顧客注文を市場で売買して処理する為に、仲介業者であるブローカーだけでは間に合わず、対銀行間の取引を行うことで、巨額の注文をこなしていっていたわけです。<br />
<br />
昨今は、個人投資家の皆様にとって、目の前にプライスがあるのは当たり前であり、その上で1ポイント、2ポイントのスプレッドを要求されているわけです。いや、もっとタイトな1ポイント以下のスプレッドを要求されているのが実情です。ところが、本来の為替市場の基準からいくと、それはあまりにも過剰なサービスとも言えるのです。<br />
<br />
元々、相場が激しく動いている時は、レートが存在しないこともありました。重要経済指標の直後などは、100ポイントや200ポイントのスプレッドでレートが提示されていたことも当たり前だったのです。<br />
<br />
ところで、私の担当していたドルマルク市場は、ドル円市場も同じようにプライスを出し合い打ち合っていましたが、特に荒っぽい動きをしていたのです。シティ バンク、バンカーズトラスト（その後ドイツ銀行と合併）、モルガン（当時）、アメリカ銀行などの米銀はもとより、当然のことながらドイツ系銀行ニューヨーク支店も手強いカウンターパーティでした。<br />
<br />
なぜ、手ごわいと言うと、彼らにプライスを求められ、甘いレートを出してヒットされた瞬間に市 場のプライスは消えるかの様に動いたからです。当然の結果として、彼らにヒットされて「持たされた」自分のポジションは含み損を抱えることになります。 あっという間に何百万円もの含み損を抱えることは日常茶飯事でした。<br />
<br />
簡単にご説明しますと、インターバンク（銀行間）の市場では、通常 ビッドとオファーを一緒に相手銀行に提示します。そして、相手銀行から、買いたい、売りたいと取引を求められて、取引成立した瞬間に、こちらは、ポジションを持たされたことになるわけです。この間、数秒の出来事です。あっという間に、相手銀行から強制的に持たされる格好で、ポジションが出来てしまうのです。<br />
<br />
もちろん、このような「恐ろしい」銀行間取引市場に好き好んで参加しなくても良いのですが、大きな金額のオーダー（顧客からの注文）を処理する必要に迫られると、その為の流動性確保のために、どうしてもプライスを提供してくれる他の銀行に頼らざるを得ないわけです。<br />
<br />
当時は、「実需原則撤廃」（それまでは、貿易など実需に基づく外国為替取引だけが認められていた）という一大イベントが日本でもあり、益々外国為替市場に参加する顧客が増えていた時代です。<br />
<br />
そして、大手邦銀は外国為替流動性の提供者として大きな任務・責任があったわけで、東京本部はもとより、主な海外支店で は銀行間取引を行っていました。そして、邦銀の中で大手外銀とまともにプライスを提供し合って打ち合う関係を持っていたのはごく一部の大手銀行数行だけというのが現実だったのです。<br />
<br />
ところで、ニューヨーク市場というのは、ことのほか荒れる市場として有名で、特にニューヨーク市場午後の時間 帯は、ヨーロッパの銀行が取引に参加していないので、市場が薄くなり、「値が飛ぶ」ことが頻繁でした。東京時間、ヨーロッパ時間帯とある一定方向に動いた 相場がニューヨーク市場の後場に入って突然変化することも多かったです。<br />
<br />
事実、あのプラザ合意（1985年9月に主要先進国が集まって、 米ドルを中央銀行、政府が政策的に減価させると決めた）の後、ドルが一方向に下げた局面でも、シドニー、東京、ロンドン市場とドルが下げ続けた後、ニューヨーク市場にてポジション調整から買い戻されるというケースがかなり見られたのです。<br />
<br />
確かに、私が記録簿から計算したところ、プラザ合意 の翌年の1986年にて、ニューヨーク市場オープンから引けにかけてドルが下落したのが55％に対して、上昇したのが45％もあったのです。<br />
<br />
当時、よく 「ドルを売っていれば儲かった」なんて言われたものですが、ことニューヨーク市場にてトレーディングを行っているディーラーにとっては何ら方向感もなく、 難しい相場であったのです。<br />
<br />
ですから、常に「思い込み」は禁物であり、相場と言うものは、一寸先は闇であると自戒して市場に臨んだものでした。「世の中の大勢の相場観」でもってポジションを張って儲かるほど為替相場は易しいなんてことは絶対にありえないことを、自らの身をもって実体験することが出来たわけです。また、相場予測をしたところで、それは結果としては大してトレード収益に貢献しないと実感したのもその頃です。<br />
<br />
このような経験を踏まえて、外国為替市場で生き残るには一体どうしたら良いのか、自分に問い続ける毎日が始まった次第です。<br />
<br />
■「マーフィーの無料ＦＸ講座」スタートのお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/ji/">「マーフィーの無料ＦＸ講座」</a><br />
短期間でスパンモデル、スーパーボリンジャーのエッセンスを無料で学んで頂けるコースです。<br />
<br />
■スパンモデルとスーパーボリンジャーの基本解説ＤＶＤが発売になりました。<br />
<a href="http://www.tradersshop.com/bin/showprod?a=14905&c=9784775964149">「スパンモデル・スーパーボリンジャー基本解説ＤＶＤ」</a><br />
<br />
</p>













			]]></description>
			<category>エピソード</category>
      
      <guid isPermaLink="true">https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-541.html</guid>
			<pubDate>Sun, 16 Mar 2014 20:13:07 +0900</pubDate>
		</item>
		<item>
			<dc:creator>murphy</dc:creator>
			<title>ディーラーの世界（１）</title>
      
      <link>https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-540.html</link>
			<description><![CDATA[
				




<p>私が始めてディーリングの世界に入ったのは1984年12月でした。三和銀行（現在の三菱東京ＵＦＪ銀行）のニューヨーク支店に転勤命令を受け、12月8 日に赴任しました。12月8日と言えば、第2次世界大戦最中の「真珠湾攻撃」のメモリアルデーであり、自分の心の中には、何かしら穏やかならないものを感じたのを覚えています。<br />
<br />
赴任するまでの約3ヶ月間、東京本部にてディーラー養成研修を修了した直後にニューヨーク支店転勤の内示をもらい、ビザ取得手続き等慌しい日々を送りながら、東京本部内のディーリングルームの中の独特のムードを傍観者的に味わっていました。<br />
<br />
私自身は、スペイン語、 ポルトガル語が得意で、中南米の仕事をする前の数か月間、「お客様」としてニューヨーク支店内で研修するかもしれない程度の中途半端な心構えですから、まさか本当にこのディーリングの世界に入るとは自分では想像出来ませんでした。<br />
<br />
ところで、前々稿でもご紹介した通り、当時のニューヨーク支店 のチーフディーラー氏は、銀行内はもとより市場でも名うてのディーラーであり、且つ厳しい指導でも有名な方でした。私のようにたった数か月で即席に養成された新米ディーラーなどはすぐに首になるだろうと思っていたのです。<br />
<br />
事実、私の渡米のタイミングと同時に東京本部の国際資金為替部長が ニューヨーク支店での会議に出席、その会議が始まるや否や、チーフディーラー氏は、本部から会議出席の為に出張して来た部長に向かって「即戦力とならない ディーラーなど必要ない」と言い放ったのです。<br />
<br />
まるで、赴任したばかりの私への当てこすり以外の何物でもない、これはとんでもないところに来てしまった、と思っても後の祭りでした。このような出だしで、精々「余命６ヶ月のディーラー」人生が始まったわけです。<br />
<br />
配属されて最初の3ヶ月は 当時のドル円ディーラーのアシスタントをすることでした。理論面の研修は受けたものの、東京本部でまともにディーリングルームのプロパーの要員として下積みを経験したわけではなかったので、要領が掴めない上、やたら短縮の多い英語が聞き取れませんでした。私は英検1級を持っており、英語には多少自信が あったものの、当初1ヶ月ほどは毎日耳鳴りがしていたのを覚えています。<br />
<br />
為替ブローカーが一日中伝えてくるプライスが耳に残ってしまって、ルームを出た後も、町中で聞こえてくる英語が全てプライスに聞こえたものです。当時は今のような電子ブローキングは未だ存在せず、全て人間がボイス ボックス経由で市場のプライスを読み上げるという、所謂「人間ブローカー」というものでした。<br />
<br />
あれやこれやと悪戦苦闘しているうちに、翌 85年の3月終りになってドルマルクを担当していた先輩ディーラーが係替えとなり、何と私がドルマルク（今で言う「ユーロドル」のこと）ディーラーの席に座ることになったのです。どちらに せよ、あと残り3ヶ月程度の運命、ニューヨーク支店での良き思い出になるだろうと思って観念しました。 <br />
<br />
そして、先輩から、当時のドルマルクディーラーで儲かった人はかつていないというのを直後に知らされ、益々戦々恐々としましたが、もはや後には戻れません。こうして、「修羅場」とも思えた私のディーラー人生が始まったのでした。<br />
<br />
■「マーフィーの無料ＦＸ講座」スタートのお知らせ<br />
<a href="http://www.span-model.com/ji/">「マーフィーの無料ＦＸ講座」</a><br />
短期間でスパンモデル、スーパーボリンジャーのエッセンスを無料で学んで頂けるコースです。<br />
<br />
■スパンモデルとスーパーボリンジャーの基本解説ＤＶＤが発売になりました。<br />
<a href="http://www.tradersshop.com/bin/showprod?a=14905&c=9784775964149">「スパンモデル・スーパーボリンジャー基本解説ＤＶＤ」</a><br />
<br />
</p>













			]]></description>
			<category>エピソード</category>
      
      <guid isPermaLink="true">https://forexpress.com/column/murphy/category-2/entry-540.html</guid>
			<pubDate>Thu, 13 Mar 2014 22:03:48 +0900</pubDate>
		</item>
	</channel>
</rss>