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大熊義之

「介入で為替のダイナミックさを知る」 ― 大熊義之 氏 [後編]

2010年02月24日(水)

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(中編はこちらから)

■介入より相場に任せる

 それまでと違って、ディーラーの皆さん一緒にやってくださいよと、日銀が、マーケットで介入をオープンにしたことが、プラザ合意のドル高是正に貢献したと思っているが、介入が本当に成功したのかどうかはわからない。成功したと勝手に当局が思っているだけかもしれない。

ドル円は85年2月25日に1ドル=263円台のピークに達した後、少しずつ下落していたから、熟し柿が落ちつつあるところにたまたまプラザ合意が起こり、フラフラしているところに当局の介入がコンと最後のひと突きをしたと考える人も少なくない。僕も事実、そう思っている節がある。

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ただ、放っておいてドル安円高に行った可能性は高いにせよ、介入が明確にそういう方向に相場をリードしたという価値と効果はあった。あったけれど、ある意味、それよりもあったと思い過ぎるマイナスのほうが僕には気になる。

そもそも介入は、相場の乱高下をならすことが目的である。つまり為替の交換比率の安定を狙って実施するはずのものであって、ある特定の水準をピンポイントで置いて、そこに向けてやっていくものではない。

例えば日本が、円安がいいと言っても、アメリカも同じように考えていれば、アメリカだってドル安がいいという話になってしまう。そうでなくて、為替がどう動くかはマーケットが決めることである。とは言っても、マーケットが極端に行き過ぎた方向に行ってしまったら、行政の腕力でならすのではなく、お金という実弾を使ってこれを行うことも、ひとつの意味があることだと思う。

■男らしくないと思ったルーブル合意

 その後のルーブル合意以降、円安の局面ではまったく介入したことがないということに、自分としてやや疑問を感じる。円高だけは介入し、円安は全部放置していたから、逆に人為的なほどまで円安を進ませてしまった。本来、日本はこれだけ物価が安定していたわけだから、やはり徐々に円高になっていくとしたら、それは素直に容認すべきだったのではないか。

円高が過ぎれば輸出に支えられた日本の製造業が窮地に追い込まれるから、これが過度になってはいけないが、それなりに円が安くなったり、高くなったりしてきていれば、もっとうまく行っていたかもしれない。やはり、基本的に、為替は市場の動きに任せた方がいいのではないか。

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プラザ合意後、ドル円は240円台から1年間で154円台まで円高に進行する。それはプラザ合意で想定した範囲内に収まらず、大幅に行き過ぎてしまい、竹下蔵相は「私の名前はノボルで名前の通り円はノボッたが、そのおかげで人気の方はサガリっぱなし」と青くなり、87年2月21日のルーブル合意でドル安修正に奔走する。

政治家が、自分が何か言うと為替は動くもの、あるいは動かせるものだと思うようになってしまったのも、プラザ合意による介入の成功がもたらした弊害のひとつと言えなくもない。為替は巨大なマーケットであるがゆえに、政治が相場を思いどおりに動かそうとするのは、そうそう簡単なことでないはずだし、第一長続きもしない。

僕は、プラザ合意の介入にも初めあまり乗り気でなかったけれど、ルーブル合意は、本心を言えば、それ以上に乗り気になれなかった。プラザ合意のとき、相場を動かしたら止まらなくなるリスクを承知で介入を始めたにもかかわらず、それがルーブル合意で、なんでアメリカに頭を下げて、今度は円高を止めてくださいなんて言うのか。単純に男らしくないと思ったし、それ以上にアメリカに頭を下げて借りを作るというところが一番気に入らなかった。

僕は、あの状況で円高阻止の介入をしたって、結局のところディーラーを儲けさせるだけでしかないと思っていたし、また正直ディーラーにバカにされるのも嫌だったから、大蔵省の介入指示にも、陰に陽にかなり抵抗した。そしたら、日銀の大熊というやつはちっとも介入しないと評判が大蔵省のなかで立ってしまったらしい。

後年、あるパーティーの席で、内海孚さん(元財務官)に当時大蔵大臣だった橋本龍太郎さんのところに連れて行かれ「大臣、これが、ルーブル合意のときに、俺がいくら介入しろと言ってもやらなかったやつですよ」と言われた。内海さんには今だにそういうことを言われているけれど、僕は、勝手にこれを、内海さんが戦友として認めてくれた私にくれた勲章だと思っている。

当局が、為替に携わる立場として、もう少し介入のやりようがあったのではないかと今だに思っている。現在は、為替介入をまったくやらなくなっていて、それは、やっても動かないと思っているからなのだろうが、決してそんなことないはずで、やりようではないのだろうか。

■プラザ合意が与えてくれた様々なこと

 プラザ合意が与えてくれたものは数々ある。僕は、計量モデルをやっていたときに、理屈をこねていたが、そんなことはおかまいなしに動いてしまうのが為替だ。ずばりマーケットのすごさというか、ダイナミックなところを存分に実感できたのはかけがえのない経験になった。

マーケットに対峙する上で、物事へのこだわりや思い込みがいけないことも痛感した。そして、自分を過信するのもいけない。僕は立場上、銀行、商社、輸出メーカーなどのポジションがほとんど分かっていて、一番情報持っている自分が相場を動かしているような錯覚を覚えそうになったこともあるが、巨大なマーケットは、自分の思うとおりになどなってはくれない。

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プラザ合意は、自分の性格や人生観にまで影響を与えている。僕は、元々、色々なことがウジウジと気になってしまうタイプだったが、ディーラーは、切り替えが早く、前向きに行動する人の方が良い結果をもたらしているように感じられた。ディーラー仲間に感化されたこの部分は大きい。おかげで僕も、こと仕事に関しては、スパッと割り切って考えられるようになり、やはり前向きに生きていかなくては、人生は楽しくないなと思うようになった。

そのうちのひとり、東銀の河村正人さんは、僕に、多くのディーラーと接する機会を与えてくれた人でもある。気さくに「当局の人間が、こんなところに本当は入っちゃうとまずいのかもしれないけど、大熊さん来る?」なんていろいろな会合に誘ってくれたから、僕も「おお、いいよ、行くよ」と言って参加させてもらったものだ。

やはり人間は信頼できるかできないかに尽きる。お陰で、当時の銀行の為替課長クラスの人達とは今でも交流があるし、また銀行以外でも、三菱商事の水野一郎さん、伊藤忠の久保田進也さん、トヨタファイナンスの尾崎英外さんなどとも交流させてもらったが、彼らもそう思わせてくれる人たちだった。

プラザ合意という為替の大きな歴史の一部に、偶然にも身を置かせてもらったことは、僕の人生の歴史においても、重要な出来事として活き続けている。

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大熊氏のビジネス手帳:G5プラザ合意(1985年9月22日)当日のメモ

(全編終了)

*2009年12月01日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)


【前編】プラザ合意の4ヶ月前に日銀為替課長に
【中編】介入の秘策に躊躇なし
【後編】戦いの跡を振り返り今思う

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