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佐藤三鈴

「為替が与えてくれた冒険と挑戦」 ― 佐藤三鈴 氏 [後編]

2010年01月27日(水)

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(中編はこちら)

■中東バーレーンに挑む

帰国すると本店為替資金部の次長になっておられた上林さんから、為替資金部に来るように言われ、クロス通貨を扱うクロス班で主にフレンチフランを担当することになりました。

ある晩、帰宅途中の神田駅付近でピンクサロンの看板を持ったお兄さんに「働く所あるよ」と声を掛けられました。フレンチフランのディールで悩んでいて、相当思い詰めた顔をしていたのでしょう。その言葉にハッとして、9時頃でしたが、踵を返して銀行に戻ってパリ支店にオーダーを出したことがあります。

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79年から、銀座支店で支店長代理として外国送金課で忙しい日々を送っていましたが、何か物足りなさを感じていたある日、バーレーン支店長の渡辺昌俊さんから、バーレーンに来ないかと電話をいただいたのです。バーレーン支店は80年に開設されたばかりで、バーレーンに転勤になった方々が大変な思いをして働いている話は耳にしていました。しかし、渡辺さんはお酒も飲めるし、それほどひどい所ではないと言います。

ほとんどの人が反対する中、病床にいた母が「人様に請われたら乗るものよ」と背中を押してくれたので行く決心をしました。銀座支店で1年後に働いている自分の姿は想像出来てもバーレーンで働いている姿は全く想像できませんでした。だったら想像できない方を選びたい。生来の好奇心がまた首をもたげたのです。

赴任してみると、確かに、バーレーンは気候や文化など、とまどう部分も多くありましたが、聞いていたほど過酷な環境ではなく、むしろ未知との遭遇に興味を覚える方が多かったくらいでした。

■大きかったバーレーン支店の意義

81年3月、バーレーンに赴任しました。東銀バーレーン支店は、中東産油国の豊富なオイルダラーの取り入れを目的として開設された、バーレーン・オフショア市場で邦銀唯一の支店です。また時間的にもバーレーンは世界中の金融市場と取引が可能であるところに位置するユニークな市場でもあります。

朝出勤してテレックスでサンフランシスコの担当者と情報交換を行い、夜になってそろそろ帰宅しようかと思っているとサンフランシスコの同じ担当者が出勤して、日中の動向を訊いてくることもあり、本当に地球は丸いことを実感しました。

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バーレーン支店では、主に、資金のプレースメント(マネーの資金化)を担当しました。サウジアラビアなどは、オイルマネーが溜まってくると預金するので、そのお金に対して、例えば6ヶ月間はいくらで預かるというプライスを出すのです。邦銀は、外貨を調達してきて国内で使用したりするので、こういったお金の調達が必要になるのです。

アラブ諸国は金曜日が休みで土日はオープンしているので、当然、東銀バーレーン支店も業務を行っていました。日曜日に、在日米銀の東京支店からドル円のプライスを要求するテレックスが入ったので、何か新しい情報を掴んだのではないかと、緊張したこともありました。

アラブのオイルマネー獲得のため最も早くバーレーンに進出したのは、やはり米銀でした。しかし少し出遅れたとは言え、オイルマネーは日本にとっても重要であり、ほとんどの邦銀や証券会社が駐在員事務所を開設してオイルマネーの取り入れにしのぎを削っておりました。その中で支店があったのは東銀だけでしたからバーレーン支店の存在意義は大きかったと思います。

■東京ドルコール市場の育成に一役

2年後に帰国して、為替資金本部で、東京ドルコール市場担当の資金ディーラーになりました。その頃邦銀は外貨資金の運用調達はロンドンのユーロ市場あるいはニューヨーク市場で行っておりました。従って東京ドルコール市場の市場参加者はそれ程活発でなく、地銀、信金の小口取引が主で、大手都市銀行の参加はそれほど積極的ではありませんでした。

それでも段々とトゥモロー・ネクストやスポット・ネクストなどの短期取引が活発になり、1億ドル単位の取引も飛び交うようになっていきました。香港やシンガポール市場の拡大に伴い東京市場にも力を入れ始め、86年に東京オフショアー市場(JOM)がスタートしたのです。

マーケットが厚くならないと、プライスが煮詰まっていかないのですが、東京ドルコール市場ではなかなか両サイドをサポートする人がいませんでした。私は、東京ドルコール市場の育成のために頑張らなければと気負ってファームレート(正式約定可能なレート)を出したものです。ある時、某銀行にファームで出していた私のビッドサイドを全部叩かれて、予定以上のポジションが積み上ってしまった事もありました。

■挑戦することを怖れない

今は、男性も女性もない時代になっていると思いますが、それでもまだ、女性は、ベテランになればなるほど、新しいものに挑戦したり変化したりすることに抵抗感を覚える傾向にあるようです。

新入社員で入社してきたときは、むしろ女性の方が元気がよいのに、男性は否応なしにチャレンジさせられて行く内に、何となく頼りなかった人が、本当に立派になっていきます。女性もチャンスを与えられたら、それをこなして行くことによって、やはり変わっていけるはずです。試練を乗り越えていけば、新たな世界がどんどん広がっていくのです。

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87年に新宿支店のマネーデスク課長に就任し、企業訪問をして、女性課長が市場商品の説明をすると言うと、最初は不安な顔をされましたが、5分後にはこの不安そうな顔をなくして見せるわ、と気合を入れてプレゼンをしたことを懐かしく思い出します。

私の場合、為替を学べる環境にいられて、しかも、様々なチャンスにも巡り合うことができました。もうできませんとギブアップしそうになったときに、もうちょっと頑張れよと励ましてくれたり、為替資金部に戻って来いと言ってくれる尊敬できる上司にも恵まれていました。

難しそうな仕事が来たとき、エーッ、できるの、私、と思いながら、やれと言うんだからやってみようじゃないのと頑張っていると、次どう?と、次のステップが差し出されました。一生懸命やっていると、必ず見てくれている人がいるというのが私の実感してきたことです。

為替は私の人生を本当に充実したものにしてくれました。それは、ロンドンのフォレックス・ルームに放り込まれたときから始まっていたのです。為替との不思議な出会いに、今改めて深い感慨を覚えずにはいられません。

(全編終了)

*2009年11月05日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

【前編】女ひとり“タコ部屋”に放り込まれる
【中編】ディーリングは自分の意思表示
【後編】挑んでいけば世界は広がる

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