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宮崎晃一

「知性と勇気と情熱がディーラーの条件」―宮崎晃一 氏[後編]

2009年11月25日(水)

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(中編はこちらから)

■つなぎ的業務が本業へ

85年8月に、ドルマルクのドル売りでやられて月間で赤字になった時に、部長を説得して損失を出したら、案の定頭取に呼ばれた。部長についていって「2月に、プリンストン大学でリチャード・ベーカーが、ドルが安くなっても良いというような講演をした。誰かが講演するたびに、ドル安は良くない、ドルは高くあるべきといったコメントが必ず出ていたが、この時だけはそれがなかったので、おかしい、何かやるな、と思って、そこからずっとドルを売っていったが、アゲンストにいって赤になりました」と説明したら、頭取は「ああ、そうか、それじゃしょうがないな」と分かってくれた。

上層部に言えば分かってもらえるのに、中間で慮り過ぎてしまって言わない。だからいつまで経っても進歩がない。臭い物には蓋をしろ式でものすごく反発も大きかったが、全部ディスクローズしていった。こういう革新的なことを遂行していったから、三和はおもしろいと外部から見られていた。

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僕がディーリングをやり始めた頃、副頭取に「宮崎君、これは銀行の本来の仕事じゃない」と言われた。当時、銀行の利鞘がどんどん圧縮されて儲からなくなってきていたので、何かで収益強化するために、ディーリングに力を入れ始めていたが、本来の銀行業務が復活するまでのつなぎ的業務だった。しかし、いつの日か、ディーリングは新本業だからと言われるようになっていき、僕たちもどんどん力が入っていった。87年の三和銀行の為替ディーリングによる売買益は都銀13行中、1、2を争い、預金量ランキングでは上位の銀行をディーリングでは圧倒的に引き離していた。

為替のディーリングの醍醐味は、ものすごく自由にやれて、世界で最初にニュースをつかんで、それを自分でリスクテイクできて、すぐに結果がはっきりする。こんな醍醐味は他の仕事では味わえない。世界はどっちに行くのかということを真剣に議論して、それが仕事になって給料もらえる。こんな楽しいことはない。だから、ディーラーのステータスだけを上げてあげれば皆満足してやれるんだなと思った。

頭取に損失の説明をした1ヶ月後の9月22日、プラザ合意が起こった。ちょうどこの時、僕はお膝元のニューヨークに滞在中で、マンハッタンにあるニューヨーク支店長宅から東京に指示を出し、円はポジション規制があってそんなに持てなかったので、他の通貨でドルを売りまくった。

■二大イベントとローカルカレンシーで儲けた

日銀の為替課長の大熊義之さんは、それまでの課長の人たちの、情報だけは都銀から吸い上げるけれど、フィードバックをしないというやり方を大転換させた人だ。介入を一緒にやろうぜと言って、情報はもちろん収集するのだけれど、僕らに必ずフィードバックしてくれるから僕らもちゃんとした情報を提供するようになる。こうして、ディーラーたちの心理をドル高是正の方向に向けさせたのでプラザ合意は成功し、僕らも儲けさせてもらった。

87年10月19日のブラックマンデーの時もニューヨークに出張していた。帰りの飛行機が飛び立って少ししたら、ニューヨーク株式市場が500ドル以上も暴落している、理由は分からないとアナウンスが流れた。機内は騒然とした。それで、成田に到着するなりまっしぐらに電話に駆け寄りドルを売った。株、債券、ドルのトリプル安で、もうこの世は終わりかと思わせたのだが、実はそんなにドルは簡単に下げず、債券は上がっていってしまって、マーケットは乱高下したので、収益チャンスは拡大した。

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この二大イベントが最も収益を上げさせてくれたが、ローカルカレンシーも本当に儲かった。南アフリカランドは国ぐるみで通貨投機をやっていたので、我々もそれに乗じて激しくトレードした。メキシコペソは切り上げや切り下げを見ながら拾っていけば儲かった。サウジリアルは、僕が3年間勤務したロンドンから転勤させられたバーレーンで見つけてアービトラージした。サウジリアルはドルリンクしていて一定のレートになっているうえに、金利差が大きかったのでその金利差を狙った。ジッと買っていれば自動的に儲かるので、非常に美味しいトレードだった。

儲けたことばかり話しているようだが、やられたことはこの3倍もある。ディーリングとはこのやられた回数は多くてもそのボリュームを抑え、儲けは大きく取らなくてはならない。全く何とも厄介で難しいものである。

■結果を怖れず挑戦する

実際に会ったことはないが凄いディーラーだと思った外国人が二人いる。一人は、ニュージーランド相手に戦って国を降参させたバンカーズのアンディー・クリーガー。これ以上やられたら国の経済がメチャクチャになってしまう、全部良いレートで引き取るから止めてくれないかと嘆願され、彼はそれで大儲けをしたのだけれど、幼い息子の「パパさ、こんなこといつまでもやってていいの」の一言で、全部を辞めてインドの山奥に入って哲学者になった人だ。
 
アメリカのイーストマン・コダックのトレジャラーだったネルソンも凄い。夜中にヨーロッパの連中から起こされて、3カ月先のイタリアリラ・アゲインスト・オーストリアシリングのアウトライトレートを出してくれないかと訊かれたらパッと出せる。ローカルカレンシーの3カ月先のレートは、金利差も全部読まないと出てこないのにそれを起きざまにパッと出せる彼はまさしく天才だと驚嘆した。彼はヘビのようにしつこくしつこくディーリングをするので、ヘビ男と呼ばれていた。

僕の1年先輩の宮森正和さんも有名なディーラーだった。情報力、物事を深く見る洞察力、論理立てて予測していく力は誰よりも優秀だった。 

日本人は農耕民族だからディーリングに向いていないのではないかと悩んだことがあった。日本人は相場のアヤ戻しを取るのは上手だが大相場が取れない。ヤンキーな連中は、西部開拓史をやった人達だから、彼らは地雷に引っ掛かるけれど、その後をまた踏み越えてどんどん行くから、大相場が取れる。農耕民族は勇気が足りないのだと思った。雪道で人の歩いた足跡を辿るのは怖くない。しかし、新しい雪が降ってまったく真っ白になり、その下に地雷が埋まっているとしたら、その上を進んで行くのは大変勇気がいる。皆、知性と情熱は持っているが、なかなか勇気を出せない。そんな時「おまえ、やってみろよ、大丈夫だ、俺たちがついている」と言って背中を押してあげたり、人によってディーリングスタイルを変えさせたりした。

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為替に携わっていて得たことは、やったことを後悔するよりは、やらないで後悔する方が自分にとっては大きいと認識したことだ。だから結果を後悔せずに、これはと思うことをやってきた。それが、インフラの部分も含めて、三和銀行の内外での為替ディーリングの位置づけに貢献したと思っている。同時に、仲間と一緒に、友情とフェアプレイの精神を得られたことは非常に幸せなことだった。

(全編終了)

*2009年9月29日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/構成:香澄ケイト)

【前編】「ステータス向上」と「背番号制ディール」
【中編】チーフディーラーに贈る言葉
【後編】勇気を持って革新を

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