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伊藤雅仁

ワイジェイFX株式会社 代表取締役社長 伊藤慎佐仁氏(第1回)

2014年09月21日(日)

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■伝統と進取の気性を持つ京都に感化される

鳥取県の八頭町(やずちょう)というところで生まれ、高校生まで育ちました。父は、食肉用ブロイラーを10万羽ほど飼育する、県内では有数の養鶏業を営んでいました。子どもの頃は、あまり両親から勉強しろとうるさく言われることはなく、また塾に行くようなこともなく、暇さえあれば友達と野球やサッカーで遊んでばかりいました。

ただ、大学に進学しなかった父から、常日頃、「大学はちゃんと行った方が良い」と言われていましたので、それなりには勉強しました。父とはよく話をしました。そして、生きていくためのさまざまな知恵を教わりました。将来、どういう職業に就くのが良いのかアドバイスしてくれたり、高校生のときに、勉強になるから株式投資をやったらどうかと勧めてくれたこともあります。父は、僕が物心ついたときには養鶏業をやっていましたから、一生懸命仕事に励む父の背中を見て育ったという感じです。

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県立八頭高校から同志社大学へ進学しました。当時大学進学する人は、地元の国立大学である鳥取大学を目指すというのが一般的で、県外の私立大学に行く人は珍しかったのですが、僕が希望していた経済学部が鳥取大学になかったことや外の世界を見たかったこともあり、京都の同志社大学に行くことに決めました(実際には商学部に入学)。東京の私立大学では早稲田、慶應、上智などが有名ですが、同志社は関西を代表する私立大学の一つです。同志社を選んで本当に良かったと思っています。同志社の校風は自由闊達。そのせいか本当にユニークな人が周囲に多く居て、非常に刺激を受けました。

また、京都という土地柄が良かったと思います。京都は、伝統の町でありながらも、進取の精神を持つ、新しいことに対してのチャレンジ精神がある町なのです。たとえば、京都には、日本電産、任天堂、オムロン、京セラ、村田製作所など、特定の分野で独自の強みを持つグローバルな企業が数多く存在します。また、日本の歴史を考えた場合、その舞台はほとんどが京都になっていて、戦国時代や明治維新などもそうですが、町のあちこちには世の中が大きく変化したときの痕跡が点在していることを目の当たりにできます。僕が思うには、京都は、わりと長いスパンで物事を考える気風があるのではないかという気がします。

■学生が運営する世界最大規模のNPOでグローバルな活動

大学時代は、アイセック(AIESEC:国際経済商学学生協会)という現在では、世界113以上の国と地域で、学生が運営する組織としては世界最大規模の非営利団体のサークル活動に、キャンパス生活のほとんどを費やしました。アイセックは、グローバルな人材育成機関のようなもので、メンバーの学生たちが、将来、経済界やビジネス界で活動するようになれば、結果的に世界平和につながるという壮大なコンセプトを持っています。当時、同志社大学は50名くらいのメンバーを保有する比較的大きなサークルでしたが、今も活発に活動している様子です。

普段の活動としては、ビジネスや経済からテーマを決めて、レジュメを作成してディスカッションをします。僕は、アジア経済を研究テーマにしていました。当時は、アジアNIEs(シンガポール、香港、台湾、韓国などの新興工業経済地域)に日本企業がどんどん進出していた時代で、どういう直接投資の仕方が良いのか、企業訪問をしてインタビュー・レポートをまとめたり、またシンポジウム(研究発表会)なども開催しました。

また、アイセックにはインターンシップ制度があります。僕は、大学4年生のときに休学して、アメリカの大手医療機器の会社で9カ月ほど働きました。製造現場、在庫管理、営業などそれぞれの現場を体験し、レポートにまとめて日本に報告していました。今考えると拙いものだったかもしれませんが、僕にとっても何事も興味深くて、一生懸命やっていました。

アイセックの運営自体を学生が行っていますので、資金も各大学のサークルが地元の企業などに協賛してもらうことになります。京都の大手企業や信用金庫などに、協賛を募るだけでなく、海外の学生を受け入れてもらう枠を作ってもらうようお願いにも行きました。

■生き残る銀行を予想して就職

非常に有意義だったアメリカでのインターンシップから帰国して、最初にやらなければならなかったのは就職活動でした。4年生で就職活動をしないで、インターンシップに参加したため、1年遅れで就職したのですが、当時はまだバブルの頃でしたので、就職環境は悪くはなく、何もハンディはありませんでした。

就職先は、大学のゼミが金融だったこともあり、元々金融業界を本命で考えていました。そもそも経済やビジネスに興味を持っていて、中でも、金融が一番普遍的なものだと思って金融のゼミに入りましたから、金融業界に就職するのがごく自然な流れだったのです。

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当時の金融業は、業種ごとに規制が分かれていましたが、僕は、金融の勉強をしている内に、いずれこういったものは一体化して行くだろうと考えるようになりました。そして、そうなったときに、銀行に集中すると予想したのですが、その主な理由は、他の業種は、銀行の窓口のように強力なネットワークは持っていませんし、銀行の金融機関としての信頼感が金融業の中で最も強いと思ったからでした。

当時、都市銀行は12行存在していましたが、金融再編によって3行に集約するというのが大方の見方でしたし、自分もそう考えました。であれば、就職先はその集約される銀行を選ばなくてはなりません。三菱銀行は、伝統があり財務基盤がしっかりしていたので、その3行の内の1つに残るだろうと予想したのです。つまり、就職先は、金融⇒その中で銀行⇒その中でどの銀行が勝ち残るか⇒三菱銀行、という順番で考えて選んだのです。

その読みは当たり、実際に三菱銀行は、1996年に東京銀行と合併し、僕が退職した後になりますが、UFJ銀行と再び合併し、三菱東京UFJ銀行としてメガバンク3行の中の1行に集約されました。

(第2回に続く)

*2014年8月18日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

(第1回)京都に学んだチャレンジ精神
(第2回)起業するつもりが人の縁で上場会社役員へ
(第3回)「わくわく金融カンパニー」の船出
(第4回)会社経営のおもしろさは「喜び」に有り

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