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為替コラム

アヴァトレード・ジャパン株式会社 代表取締役社長 丹羽広氏(第3回)

2009年11月16日(月)

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■ロンドン・興銀証券で開放感を得る

総合企画部への所属は、わずか1年半と短いものになり、ロンドン興銀に異動となりました。94年10月から1年間だけでしたがロンドンにいました。ロンドンでは、仕組債などのデリバティブの仕事を担当していました。仕事はきついですが、自分の中では開放感がありました。やっただけのことが、きちんと業績や収益で出るのでやりがいもありました。

ロンドンの後は、興銀証券に出向になりました。仕事は、ロンドンでやっていたことの延長で、公募社債のアレンジ(シンジケーション)でした。公社債の例でいいますと、利率が高いと投資家は買いたくなりますが、資金を調達する側にとっては資金調達コストが高くなってしまいます。つまり、引受の営業と販売の営業との間に利益相反の関係が発生します。発行体寄りの条件を出すと自分のブック(勘定)が赤字になる、投資家寄りの条件では引受に入れず、発行体営業担当からどやされる、という難しい機能を担うことになりました。

■外資系証券への移籍

興銀証券には5年間在籍していましたが、2000年にモルガンスタンレーに移籍しました。当時、興銀が、みずほグループに入り、銀行より先に証券が合併しました。ただ、この合併は、単に中間管理職の数が3倍になるようなものであり、最悪の合併を予感させました。

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ようやく自分の中で、悪い意味での興銀らしさから解放されたと思っていたところに、再び権力闘争が入り込んできたことが、我慢できなくなりました。そんな折、モルガンスタンレーから引受の営業のオファーがありました。日本のブランドある金融機関が、こういう体たらくなのであれば、外資系で頑張ったほうが自分のためになるだろうと思い、移籍を決意しました。

興銀証券ではシンジケーションを担当しており、隣で引受の営業を見てきましたが、少人数で何でもかんでもやり切るのが外資系だとそのときは感じました。例えば、一人あたりの取引先数は、日本の証券会社の3倍くらいはあったと思います。さらに英語でも苦労しました。モルスタにいた2年間で英語は相当鍛えられました。

■引受営業だけでは物足りない思い

モルスタで引受の仕事をしているうちに、自分の中で投資銀行の仕事をしたいという気持ちが強くなってきました。お客様と付き合ううちに、社債の話しかできないのが不満になってきたのです。私としては、その会社が抱えている問題点を全て解決するような仕事をしたかったのです。

本来であれば、モルスタで投資銀行部門に異動するべきだったのかもしれませんが、ITバブルの崩壊や、9・11のテロを通じ、モルスタのやり方だと危ないなと感じていました。そんな中、当時たまたまBNPパリバから、投資銀行部門の新しいチームを設立する話があったので、良い機会だと思い移籍しました。

BNPパリバでは、小林洋行という商品先物会社もお客様のひとりでした。小林洋行は、商品先物業界で唯一の東証一部上場企業なのですが、主幹事はBNPパリバだったのです。不動産の証券化や税の最適化に関するアドバイスのほか、格付けアドバイザーや公募増資のアレンジもやりました。

■バカと言われつつも社長就任のオファーを受ける

ある日、小林洋行のオーナーから「相談がある」ということで話をすることになりました。話を聞いてみると、小林洋行参加の証券会社がうまくいっていない、という話でした。そこで私は、人脈だけはあるので、社長になる人材を紹介します、と話をしました。すると、オーナーは、そうではなくて私に社長として来てほしい、というのです。

金融機関にとってお客さんというのは、たいていの場合、営業担当者が好きで付き合っているのではなく、金融機関を怒らせるとマズイから嫌々付き合っていることが多いと思います。そうしたことを、年齢を重ねるごとに分かってきたところに、給料はそんな払えないが身内になってくれ、と言われることは、営業で心をすり減らした人間にとって、最も嬉しいねぎらいの言葉でした。この話については、ずいぶんリスクを感じたのですが、一生においてもなかなかない話と思ったので、一肌脱ぐことにしました。

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この決断については、パリバの先輩や上司からは、「何考えてんだ」と、他のお客様たちからは「残念です。ただ、家族にはどう説明したんですか?」などと、いろいろと言われました。ただ、パリバでは、給料がいいからといって、クビになるまでずっといるっていうことが、自分にプラスなのか、と考えたのです。

小林洋行からオファーがあったとき、パリバにいても投資銀行らしい仕事ができないのでは?という直感が働きました。投資銀行というビジネスは、近年では米系でも苦しんでいますし、ましてや、フランチャイズもなければリスクもとらない会社の場合、さらに難しい位置にあります。私が辞めた当時は、不動産バブルの萌芽期であり、積極的に対応した会社が儲かっていました。しかし、パリバの場合、商業銀行のカルチャーが優勢だったせいか、投資銀行の先端で戦うには不十分な体制でした。そんな考えも頭をよぎり、小林洋行からのオファーを受けることにしました。

(第4回に続く)

(第1回)優等生が音楽の道を志す
(第2回)音楽から経済・ビジネスの道へ
(第3回)外資系エリートが証券会社の社長へ
(第4回)私のFX道、歩むべき道

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