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ディーラー烈士伝

「生き方を教えてくれた為替の世界で」―川合美智子 氏[中編]

2013年04月17日(水)

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(前編はこちらから)

■東銀を出る

自分にとってチャートはまさしく“心のよりどころ”。相場は、ファンダメンタルズや材料で動くと考えている人が圧倒的に多いのではないかと思いますが、実際は、相場のほうが速く動いて、理由は後からついてくることも多いので、テクニカル分析が必要になってくるんです。

例えば、オージーのように、金利は高いし、ファンダメンタルズも良好だと思って買っていても、皆がそう思っているからポジションが偏りやすいというリスクがあります。ロングの投げで急にズルズルズルと落っこちていってしまうこともありますから、そういうときに1つ信じられるもの、例えば一目均衡表だったら、雲が切れたらとか基準線が切れたらなどというポイントを抑えておくと、自分の心のよりどころ、つまり損切るなり利食うなり1回やめるなりという決めどころにはなるはずなんです。それが、私の場合は、ローソク足チャートなんです。

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84年4月に実需原則が撤廃されると為替のディーリングが非常に活発化しました。相場変動も大きくなってNHKや民法の取材が来たりすると、当時はまだ女性ディーラーが珍しいので、TVカメラの前に立って相場状況を説明したりする機会も増えました。例えば、輸出入業者は実需原則が撤廃される前まで実需取引の裏づけがないと為替取引が出来ませんでしたが、その規制が撤廃されたことによって、為替取引が自由にできるようになったのです。それまで通貨の売り手であった輸出企業もヘッジのためにドルを買っていいし、輸入企業もドルを売っていいことになりましたから、輸出予約を取り過ぎてしまった分を買い戻して、もっといいところで売ろうとか、まさに為替のディーリングを、企業がこぞって行うようになりました。これに商社や生損保、証券会社などの機関投資家も加わり、おかげで85年以降は、為替取引は飛躍的に増加しました。これらの人々は、時には100本(1億ドル)といった大きい玉(オーダー)を振り回して、市場を動かすような状況になって行きました。

そうなってくると、取引ボリュームが大きくなりますから、お客さんが売ったり買ったりしてくれるだけで手数料収入や、インターバンクも儲かるチャンスが生まれます。インターバンク・ディーラーや、その橋渡しとなるカスタマー・ディーラーの数も増員されましたし、それと同時に外銀などからのヘッドハンティングも盛んになっていきました。中でも、東銀は外国為替専門銀行で専門分野での人材の宝庫でしたから、格好のターゲットにされ、大勢のディーラーが流出して行きました。

私も、数社からのヘッドハンティングのオファーを受けて、結局セキュリティーパシフィックナショナルバンク(以下、セパック)に転職することになりました。ヘッドハンティングは自分の価値を高く売ることが必須です。転職先の会社が長期間の雇用を保証してくれるわけではないからです。バジェットを達成できなければ即、首になっても仕方がない世界ですから、入社すれば実力勝負になります。

実力があるかないかは1年後の評価次第ということになりますが、最初が肝心ですから自分で給与交渉もしました。期待した利益が達成出来なかった場合は給料を半分にしてくれても構わないからと言って、提示金額より上げて貰うことが出来ました。結果的にはその年はボーナスも貰い、幸運なことに翌年は給料も20%上がりました。バブルの頂点だったということでしょう。当時は5年も持てば上出来だと思っていましたから、勇気を振り絞って強気で交渉したのが正解でした。

■カスタマーディーラーでお客のケアに励む

外資に入って気づいたのは、東銀は外銀と変わらないということでした。特に最初の転職が米銀でしたから環境も良く似ていたのです。東銀では、役職者でも役職名で呼ばれることはなく、トレーニー以外(研修生は奴隷ニーとも呼ばれていて、さん付けで呼ばれることはありませんでした)は部長でも「○○さん」でした。女性は皆ファーストネームで呼ばれるのが当たり前。お茶だって女性が入れるのが当たり前という先入観もなく、セルフサービスが基本でした。米銀では実力勝負でしたから、上司であっても意見やアイディアは直接通ります。結果を出せばボーナスも貰えます。

東銀では、さすがに結果を出してもお給料が増えることはありませんでしたが、上司や部長でもストレートに意見が言える環境でした。辞めてから改めて、東銀での職場環境の良さや優秀な人材が多かったことを実感しました。外銀で実力を発揮できたのも東銀だからこそ育ててもらえたんだと思います。外に出てみていい銀行だったことをしみじみ感じました。東銀に入行していなければ、恐らく私はとっくに富山の田舎に帰って、結婚でもして、今頃は孫でもいるような生活を送っていたことでしょう。

さて、東銀を去る前の私の担当は、石油会社でしたが、石油関連のお客さんをセパックに持っていくようなことはしませんでした。恩義がありましたからそんなことはとてもできませんでした。というわけで、セパックに入ってからは、馴染みの少ない商社、メーカー、証券会社を相手に積極的に営業しましたが、折りからのブームで当時の為替市場での取引が活発であったことが幸いして多くの新期顧客の獲得に繋がりました。

私がディーラーになるきっかけを作ってくださった若林さんは、私が退職する2年前に既に東銀を辞められてNYの日系の証券会社に転職されていました。本人曰く、自分はマネージメントに向いていない。銀行の役員になるより、トレーディングをやりたい、というのが移られた理由でした。というわけで、私がセパックに移ってからは、今度は、上司からお客さんとしてご縁が続くことになりました。そして、現在では当社の代表であり、またペンタゴン分析者としての顔、相場大局観の鋭さを目の当たりにする日々を送っています。不思議な縁で一緒に働くことが出来ることを、本当に幸運なことだと感じています。

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この仕事をやるきっかけになったのは若林さんですが、東銀時代に、怒られながら鍛えられていった日々も、今では懐かしい思い出です。男性陣と同じように分け隔てなく平等に鍛えてもらった、そういう育て方をしてもらったから、私は、30年余の長い年月を為替の世界で生きて延びてこられたのだと思っています。

カスタマーディーラーは、夕方になると自分のお客さんのオーダーを、海外の本支店に流して翌朝にその結果をお客さんに報告をします。まず、東京市場が終わったところでロンドンへオーダーを送り、ロンドン支店がNY支店へ、そしてNYがシドニーに転送して、シドニーから結果報告を受け取るというパターンです。どこかの市場で(大抵相場が大きく動くのは日本時間の深夜1時〜3時)損切りがついたりすると、夜中であってもお客さんに連絡が行くし、私の家にも電話がかかってきます。

そんなときはお客さんからも、「出して置いたオーダーにストップがついてしまったんだけどどうしよう」とか、「注文を出したいんだけど」など電話が入りますので、昼夜に関わらず夜中でも対応しなくてはならないことが、カスタマーディーラー時代の大変さといえば、いえたかもしれません。

自分自身でポジションを持たない分、お客さんのケアをしなくてはいけないので、そういうところはプレッシャーと緊張感がありました。自分だったら損切りするところだけれども、切らない人もいますから。だから、どこでナンピンするかとか、あるいは、損切りしたら次の手も一緒に考えなければならない。本当にトレンドが変わってしまった場合は手遅れにならないうちに、切ってもらわなければなりません。こういう時は、お客さんはもちろんですが、我々カスタマーディーラーも精神的にも肉体的にも大きなストレスがかかります。利益を取り戻すまでのレスキュー作戦に入るからです。

■自己ディーリングの楽しさ

セパックには約3年程度在籍したのですが、たまたまバンク・オブ・アメリカに吸収合併されることになり、迷った末にリーマン・ブラザース(以下、リーマン)に移りました。リーマンは証券会社でしたが、為替市場が活況を呈しているため銀行のライセンスを取得して、東京で為替取引に参入する計画がありましたから、セパックのチームでリーマンに移ったんです。リーマンでは、お客さんを開拓しながら、自分でもディールを行いました。

そこで初めて自分でポジションを持ったのですが、お客さんに切らせるのではなく、自分で損切り出来るということが精神的にはどんなにか楽になりました。お客さんのポジションを考えて散々ハラハラドキドキしましたから、自分でやるディーリングはとても楽しかったです。

会社では決められたロスリミットがありましたから、それを守りながら収益を上げるディーリング方法については試行錯誤しました。ロスリミットに到達すると、次の月までディーリング停止になってしまいます。そうなると折角チャンスが到来してもディーリング出来ないことになります。組織の中で行うディーリングは利食いも損切りも早く手仕舞うのが鉄則でした。ディーラーは、1年間のバジェットが決められていて、例えば半年で利益を達成してしまったら残りの半年は全くトレードしなくてもいいし、逆に成績がはかばかしくない場合は、そのバジェットを達成するための最大の努力をしなくてはいけないわけです。

いくらバジェット以上の儲けが出たとしてもボーナスは一緒ですから、あんまりよけいなことをして減らしてしまうよりは賢明ということです。逆に、マイナスになったらボーナスはもらえませんから、そうならないように必死でした。

(後編に続く)

*2013年03月22日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

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川合美智子、著書「FXプロの定石」に込める個人投資家への思い

「FXプロの定石」は、ある程度自分でFXトレードできるようになって、ふと迷ったり悩んだりして、もう一度原点に返って自分を見直してみたいときに読んで貰いたい、小学生向けではないけれど、成長半ばで肉体と精神が不安定な状態の中学生を教える教師のような存在を意識して書きました。

自分でトレードを重ねている内に、なんだかわかったようなつもりになっていても、意外とそうでなかったり、思い込んだりしていることがたくさんあります。そういうときに、つまづいてしまうと軽い怪我なのに、表面の怪我は治っても心が痛みを覚えてしまって恐怖が先にたつことがあります。なんかやり方違うかなと思ったときに参考にしていただきたい本です。

相場と対峙するための基本的な考え方や姿勢が中心の内容になっていますが、決して難しくないトレンドに乗るための方法や、儲けるためのさまざまな実用的ヒントも載っています。例えば、シドニーマーケットは、ほとんど参加者がいませんから、“ダマシ”で大きく変動することが多く、その動きは無視するくらいでもいいですし、逆にシドニーのクセを活かした「隙間トレード」で利益を上げることもできます。

実際に私自身が行っている、スイング・トレードのテクニックをわかりやすく体系的にまとめてありますので、“個人投資家さんに実際に使ってもらえる基本書”として、私のモットーとする、“為替相場と楽しくと付き合っていく”ための、ご参考としていただければ幸いです』

【前編】東銀女性ディーラーのパイオニア
【中編】カスタマーディーラー、深夜奮闘する
【後編】70歳になってもやれるトレード法の確立

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>>「The FxACE(ザ・フェイス)」インタビューラインアップへ





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プロフィール

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TheFxACE(ザ・フェイス)企画チーム / TheFxACE

為替ディーラーのご経歴を持つ方々に、ご自身の生き様や相場に対する考え方などをお伺いしていきます。

[取材/文]
香澄ケイト(かすみ・けいと)/外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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