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JFX株式会社 代表取締役社長 小林芳彦氏(第1回)

2012年12月17日(月)

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■「坊主頭」改革に挑む

父親の勤務先、安田生命の社宅があった世田谷区尾山台で生まれました。父が42歳のときの子供で、しかも一人っ子だったので、とても大事に育てられたと感じています。

父は、裁判官を目指して、東京大学への入学を希望していましたが、合格しなかったため、京都大学の法学部に入り、安田生命に就職しました。セールス・レディを束ねる所長の仕事よりは、細かい保険の約款を扱う仕事の方が向いていたのでしょう、企業人としては、約款課の課長で終わりました。一般的には、企業の中での成功者ではなかったでしょうが、一社会人として、家族のために定年退職まで働いてくれた父の背中を見て、子供心に、父は堅物だなあと思っていましたが、人間コツコツとがんばることの大切さを覚えたような気がします。

尾山台にいたころ、中くらいだった成績は、中学2年生の4月に神奈川県中央部の都市に引っ越したとたんに、ほぼ全教科がアップし大変びっくりしました。東京と神奈川の学力に差があったというだけのことなのですが、そうであっても、もらうとうれしいですし、両親も喜んでくれましたから、それから勉強に対するモチベーションはグンッと上がりました。

転校した中学校は、男子は、校則で髪型は「坊主」に決められていて、それがたまらなく嫌でした。この学校は、ものすごく生徒会活動が活発な学校でしたが、自分が生徒会の役員になったときに「坊主」の校則を改正してから、卒業しようという公約を掲げました。

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その努力は実を結びました。残念ながら、僕たちは、坊主頭のまま卒業しましたが、下の学年から髪を伸ばせるようになったのです。ただ、この後からパンチパーマをかけて、ボンタン(だぶだぶの幅広学生ズボン)を履いたりするような生徒が増えてしまったので、僕たちが行ったことは良くないことだったのかもしれません。

この学校には、その地域の学校で模範になろうとして、生徒にプレッシャーをかけるような先生が多かったと思います。僕も、期待に応えようとする良い生徒を演じていたかもしれません。そんな自分を恥じて、高校になるとその反動で、生徒会の活動は一切やりませんでした。

高校は、県立厚木高校に入学しました。この学校は、昔は、神奈川三中と言われたナンバースクールのひとつで、たいへん歴史のある文武両道の学校です。新入生歓迎会で、僕はある意味自分の人生に多大な影響を与える出会いをしました。体育館の床に座らされていたら、応援団の大団旗が入場してきたのです。そのときの応援を見て、かっこいい、自分もやりたい!と強く思いました。

応援団は、一般的に知られている通り、男っぽくて厳しい上下関係を持った集団です。そればかりでなく、特に、厚木高校の応援団は、通常の運動部より非常に基礎体力向上に重点を置いたかなり過酷なトレーニングをしていましたから、当時、応援団に喜んで入る人は少なかったのです。クラスから一人選出しなくてはならないので、手をあげる人間がいないと悲惨です。だから、僕のように自ら進んでやるなんて申し出る人間は少し変わり者扱いをされましたが、良くぞ、言ってくれたと、その時ばかりはクラスメートから大感謝されました。

■神宮球場でステーキ

応援団ならではのびっくりするような逸話はいくらもあります。中でも、最も驚愕したのは、拓大出身の先輩に、亜細亜、拓大などの東都六大学と早稲田、慶應と言った東京六大学の応援の方法がどう違うか今後のために実際見た方がいいからと誘われて神宮球場に行ったときのことです。球場の席に着くと、先輩が、俺はステーキ食べるけど、おまえは何を食べる?と訊くので、夕食のことかなと思いながら、自分も同じものをいただいてよろしいですか、と答えました。

そうしたら、丸坊主の強面の人がダーッと走ってきて、先輩が耳打ちしたら、素早く去っていきました。すると、15分後に、皿にのったステーキが運ばれてきたのです。ちゃんとナイフもフォークも付いています。ミディアム・レアを注文していましたから、肉の状態が変らないように速攻で持ってきたのでしょう。どう考えても、ステーキハウスから、タクシーで皿ごと持って来たとしか思えません。その強面の人が、片膝ついて、高校生の僕にステーキを切ってくれるのですから、いやはや、あのときは本当に驚いたと同時に、明日の自分が想像でき、とても恐ろしくなりました。

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この先輩が、無人島で合宿もしたりするなんて話をするので、僕たちは恐れおののきました。無人島だと逃げられないではないですか。だから、われわれ応援団の同期で、大学で応援団に入りたくないと思った連中は浪人しました。入学したら応援団にスカウトされるのは火を見るよりも明らかでしたから。僕は、勉強不足がたたって現役では合格できなかったので、予備校で頑張って勉強して、翌年慶応大学に入学しました。




僕は、応援団が好きでしたが、高校時代にやり尽くした感もあり、大学では軽音楽部に入りました。小学校4年生のときにお小遣いを貯めて、エレキギターを買ったくらい、実は根っから音楽は大好きなのです。

高校では、応援団だけでなく音楽部にも入っていましたし、中学の同級生とコットン・キャンディーと言うバンドも続けていました。コットン・キャンディーは、ヤマハのポピュラーソングコンテスト(略称ポプコン)などの予選に出場したりしていました。バンドの連中は、プロになりたいという夢を持っていましたが、自分たちの実力ではやっていけないとわかっていましたので、バンドは社会人になる前に、解散することにしました。

応援団と音楽は自分の青春の全てだったかもしれません。特に、応援団における縦社会で揉まれたことは、社会に出てから非常に役に立ちました。厳しい中でも、根底に温かいハートを持つ先輩方に、57歳の今でも、呼び出しをされます。先輩方には、株や不動産に投資する方もおり、今後の日本経済と株・為替の動向などを知っておきたいと考えられているからです。相場に携わることになって、先輩方にも少しはお役に立てているのかな、と思って呼び出しには嬉々として駆けつけています。

(第2回に続く)

*2012年11月19日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

(第1回)熱血応援団
(第2回)わが職は銀行に有り
(第3回)誠実な精神がセールスにも活きる
(第4回)為替で恩返しの志強く

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