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株式会社FXトレード・フィナンシャル 代表取締役社長 鶴泰治氏(第2回)

2012年05月02日(水)

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(第1回はこちらから)

■熱く燃えられる仕事がしたい

入社して、神奈川県横浜の上大岡支店に配属させられ、外回りしてお客さんのお金を集めることを担当させられました。担当は鎌倉や逗子。社会人になってサーフィンに熱中し始めていたので、願ってもない仕事でした。サボってサーフィンをやったりしていても、目標の数字さえあげていれば、会社は何も言いませんでした。鎌倉や逗子はお金持ちが多い地域なので、目標を達成するのは比較的簡単だったのです。

特に何の不満もなく楽しく過ごしてはいましたが、独身寮にいればいろいろな業務の人に出会います。丸の内の本店に一番近い独身寮に入寮していた環境から、為替ディーラーの人たちもいて、食堂でドルを買うとか話しているのを小耳にはさんで、そういった仕事があることを初めて知りました。同じ銀行員であっても、支店の金集めをやっているのとは全然違う。それはショックに近いものがありました。そんな入社2年目のある日、トム・クルーズ主演の映画『トップガン』を観ているうちに、突然、今の仕事は自分がすべきものではないという考えが、天啓のごとく閃いてしまったのです。

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もっと、自分の仕事に対して誇りを持って感動を与えたり、得られたりするような熱く燃えられるような仕事をしたい!翌日、早速、支店長に「すみませんが、職を変えてもらえませんか。今の仕事は、自分が目標とする仕事じゃないんです」と生意気に言ってしまったのです。

支店長は、あっけにとられていましたが、「じゃあ、実際に何をやりたいんだ」と聞いてきました。「為替ディーラーです。寮でそういう先輩たちがいることを知りました。お金を預かる側じゃなくて運用するほうに回りたいんです」すると支店長は「ディーラーの仕事!?おまえ、英語できるのか?あそこは国際業務でみんな英語できないと勤まらないんだぞ」と言われて、「じゃ、英語やります!」と答えてしまいました。

そこから毎日のように外回りの車中ではずっと、FEN(在日米軍向け放送)を聴いていました。ディーラーの世界で、『トップガン』に感化されてディーラーを目指した人は、私以外にはいないでしょう。

信託銀行ですから、社員は全員、支店営業維持のために不動産業務の資格である宅建(宅地建物取引主任者)の取得を義務付けられていたのですが、私はサーフィンで忙しかったし、不動産業務はやりたくなかったので、1年目は、受けませんでした。受験すらしなかったのが後で支店長にわかり、相当怒られました。2年目は絶対取るように言われたのですが、勉強する気がなかったので予想通り落ちました。そうしたら、もうこんな人間は支店に必要ないということになったのでしょう、落ちた直後の人事異動で本店の資金為替部(ディーリング部署)に異動になりました。宅建に落ちて良かったわけです。結局、それ以降銀行を退職するまで宅建は受験しませんでした。

最初は、英語ができないので、日米会話学院に3カ月ほど行かしてもらいました。なんせ、入社時のTOEICは、380点だった人間です。会社に行かずに、会社のお金で、毎日英語の勉強ができるのですから、これほど幸せなことはありません。

60〜70名の資金為替部の大半は、自分のような、支店で言うことを聞かないような、普通の銀行員らしからぬ人が多くいました。私は、支店に2年しかいなかったので、何かしでかしたのかと、思われていたようです。最初のころは丁稚奉公ですから、体育会系の職場では、大学の運動部の経験が活きました。本当に、運動部出身者の多い部で、一時期は、為替チームのほとんどを、慶應の体育会出身者(当時同じ為替チームに所属していた当社副社長の太田順也は慶應義塾大学体育会「庭球部」)で占めていたくらいです。

■「トレード日誌」でコンスタントに勝てるようになる

2年ほどしたら、為替グループのドル円のチーフディーラーに抜擢されて、好きなようにやってみろと言われました。その当時、太田順也は私の筆頭アシスタントディーラーでした。その課長の言葉に甘えて、自分の思うままにディーリングしたら、いきなり月間のストップロスに抵触してしまって、最初の1カ月も持ちませんでした。当時の私の次長で後の三菱信託銀行社長(現会長)の上原治也さんに報告に行くと、「おー、授業料だ、また来月から頑張れよ」と言われハッとしました。上原さんの言葉は、勘でやっている場合ではない、真剣にやらなくてはならないということを、気づかせてくれたのです。

信託銀行は、年金部門などの機関投資家の大口玉(注文)がガンガン来ますから、ディーリングは、パワープレイでやっていました。従って、他の大手銀行と比べても、優位性はありました。実際、自分は銀行に支えられているんだな、と思っていました。その当時は大手都銀、興長銀、信託のトップクラスは総じてパワープレイで外資系銀行東京支店を大きく凌駕し、東京外為市場をロンドン・ニューヨークに並ぶ世界3大市場といわれる地位にまで引き上げた時代でした。バブルが崩壊する前後でしたから、日本の銀行は、イケイケドンドンの最も華やかなりし時代でした。

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チーフディーラーになってから、昨日は2,000万円負けて、今日は3,000万円勝つという凹凸が激しくてもいいようなやり方では駄目だと考えるようになりました。勝つためのしっかりした手法を身につけなくては!そう考えて、毎日、密かに自宅に帰ってから「トレード日誌」をつけるようにしたところ、そこからコンスタントに勝ち始めるようになりました。この「トレード日誌」については存在すら誰にも話したことがありません。

最初に、「為替ディーラーをまず3カ月やってみろ、向いてなかったらすぐ言ってくれ」、と言われていました。ディーラーにも、向き不向きがあって、くよくよしたり考え込む性格の人や学者肌の人は難しいかもしれません。

私の場合は、明るい性格で切り替えは早いほうです。過去は変えられませんし、過去から得られるものは反省だけです。大事なのは、今現在、もしくは明日何が起こるかです。切り替えできない人はずるずると行ってしまうから、ディーラーには向いていないでしょう。

逆に、東大出身で、頭で勝負しようとして銀行に入ってきたのに、ディーリングさせられて、能力がないなどとバッテンをつけられる人もかわいそうです。そういう人たちは他の部署でやったほうが自分を活かせると思いますから、私も、部下が向いてないとわかったら、為替チームから金利チームに変えてあげるとか、部を変えたりしてあげていました。

継続的に勝てない人、いわゆる一定期間内に利潤の確保ができない人は長くディーラーはできません。当然交代させられます。負け続ける人をディーラーにしておきはしませんから。また、私は、臆病でもあります。私にとって、相場以上に怖いものは、この世の中にはありません。

(第3回に続く)

*2012年2月29日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

(第1回)独立自尊の精神は今でも
(第2回)映画『トップガン』でディーラーの道へ
(第3回)為替ディーラーの経験を社会に還元
(第4回)分散投資としてのFXを広めたい

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