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インヴァスト証券株式会社 代表取締役社長 川路猛氏(第2回)

2012年02月15日(水)

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(第1回はこちらから)

■大学では“商品”として教育される

私は、ビジネスでITを駆使するマネジメント・インフォメーション・システム(MIS:経営情報学)を専攻しました。入学式での校長先生のスピーチは今でも忘れることができません。「あなた方の両隣に座っている2人のうち1人は卒業式にはいません。成績の不良な半分の学生は、あなた方より優秀な編入生と入れ替わってもらいます」開口一番のこの言葉はわれわれフレッシュマンをビビらせるのに十分でした。

校長先生はにこやかにこう続けました。「あなたがたは商品です。あなたがたのご両親は、商品であるあなたがたを作るために材料を提供してくれたサプライヤー(供給者)です。われわれの顧客は、あなたがたを採用する企業です。あなたがたという商品を購入したいと思ってお金を出す企業を、大学の顧客と位置付けて、その企業が欲しい商品になってもらうように教育します」− この言葉は、深く私の心に刺さったのです。

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校長先生の言ったことは、ジョークでもなんでもありませんでした。実際、成績が悪いと次々と退学になっていきます。不安で夜中3時ぐらいに目が覚めてしまって、そこから図書館に行ったりして、人生で初めて真剣に勉強しました。だって、退学になるのは、悔しいじゃないですか。

授業は、科学の授業なども電気代の計算だったりして、全てビジネスに結び付ける内容でした。また、全ての試験や論文は、常に数人のチームで取り組むグループワーク形式で、暗記などは一切なし。しかもチームの3割程度がインターナショナルスチューデントでした。ほとんどの大企業がグローバル化していますから、実際に企業に入るといろいろな人種とチームを組んで仕事することになります。この学校では、それを踏まえて既に同様な環境の中で生徒がもまれるように授業をしていました。

人種などによってはあまり働かない人もいますので、そういう人たちを怒ったりなだめすかしたりしながら、チームで、期待されたクオリティを達成するというのは、リアルに会社で働いているような感じでした。当然、アメリカ人が一番人数的に多いわけですから、アメリカ人が外国人と仕事する環境というものを、学校としてはひとつの売りにしているのでしょう。

■“気合いと根性、粘りと頑張り”が身上

基本的には、金融ビジネスの世界で生きていきたいと考えていましたので、日本に帰るつもりは毛頭ありませんでした。私が大学に入ったころには、日本はバブルが崩壊し、高成長は過去のものになりつつありましたから、日本に対する興味は失せていたのです。

アメリカや欧州の金融機関への就職活動を経て、当時の米国系資本の証券会社、レフコのロンドン現地法人に入社し、インスティテューショナルデスクに配属させられました。法人の顧客の、現物株、株価指数先物、通貨オプションなど様々なマーケットの注文をうまいくさばいて約定させていくような仕事で、特段難しいことでもなく楽しくやっていました。

第二のターニングポイントはここからになります。レフコに入って4ヶ月ほど経ち、証券資格も取得し慣れてきたころ、当社(旧KOBE証券)の大株主だった父が、面白い人が入社したから、正月休みで帰ってくるのなら紹介したいと言ってきたのです。帰国して会ってみると、その人は良くも悪くもめちゃくちゃな人で、話をしているうちに、一緒に仕事をしたいという気持ちになりました。

それまでは、元々は父が大株主の会社ですので、私などが入っても何もできないと思って、ずっと外でやっていくつもりだったのです。電光石火のごとく、ロンドンに戻って退職届けを提出し、アパートを引き払って、6日後には帰国して出社していました。最初の師匠と言うべきこの人が朝6時半に出社していたので、私は6時出社しました。土日も無く、昼飯は3分と、熱血漫画を地でいくような環境でした。

自分は、決して負けず嫌いなタイプではありませんが、その人に「厳しいぞ、おまえなんか耐えられないだろう」みたいに言われて入社を誘われたので、「こいつはできるとびっくりさせたい。やってやろうじゃないか!」と、闘争心に火が付いてしまったのです。しかし、朝6時から夜中の1〜2時ぐらいまで、仕事に励む毎日を1年ほど続けていたら、ちょっと気温が寒い位で、すぐ体調を崩してしまうようになってしまいました。すべての免疫がなくなってしまったのです。それからは、土・日は休むようにしました。

■時代の流れを見据えた社名変更

私が、入社したあたりから、会社は大きく変化していきました。KOBE証券として、IPO(株式公開)を新規事業として立ち上げることになり、公開引受部を作り、その立ち上げを、私が課長としてやりました。KOBE証券が、IPO事業を手がける、このことには多くの方が大変驚かれたと思います。

というのは、日本で、大手や準大手証券以外にわれわれのような中小証券が主幹事を務めるのは歴史上ない出来事だったからです。折りしも、世の中は、IPOブームのようになっていました。証券取引所が、上場審査の基準を緩和するような傾向があり、われわれのような中堅中小証券も主幹事としてIPOのお手伝いができるような世論的な風潮になったおかげで、ベンチャー企業に対する引き受けを積極的にやっていくことになりました。

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私達の理念は、「成長企業と共に」でした。リスクを取って勝負しているベンチャー企業のオーナー経営者と共に、IPOを通じてリスクマネーを調達する、そんな想いでやっていました。ですから、基本スタンスは『気合いと根性、粘りと頑張り』です。「ぜひ、うちに主幹事をお願いします!」と外交した結果、「分かった。任せる」と初主幹事に決まったときのうれしさと言ったら!今でもあのときのことが鮮明によみがえってきます。その後で、KOBE証券自体の上場準備のための総合企画を自分が経営企画部長として遂行しました。

当社がIPOさせて頂いた際の社名はKOBE証券でした。元々、丸起証券という大阪本社の銀行系子会社でしたが、大株主が変わった際にKOBE証券と社名を変えました。当時は
阪神淡路大震災の後で『がんばろう神戸』という標語がありましたし、『がんばろう神戸』という想いで日本がひとつになろうとしているときに、日本を元気にしたいという思いを強く持ち、神戸市債などの販売や、当社自体で購入させて頂きました。それで「KOBE証券」という名前をつけさせていただいたのです。

昨年3月11日の東日本大震災には、会社としてできることをやろうと、義援金を寄付させていただきましたが、私個人としても、ものすごく感じるところがありました。親御さんを亡くしたようなお子さんが大勢いらっしゃいますから、そういったお子さんたちに何か支援する形を、自分なりに探したいと思って、現在いろいろと調べているところです。

(第3回へ続く)

*2012年1月17日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

(第1回)中学生で単身渡米、世界の広さを知る
(第2回)気合いと根性、粘りと頑張りで証券の世界に
(第3回)唯一無比、「シストレ24」という新アプローチ
(第4回)“インティグリティ(誠実)”の会社精神に則って

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