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インヴァスト証券株式会社 代表取締役社長 川路猛氏(第1回)

2012年02月08日(水)

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■元気いっぱい少年は中学生から単身渡米

 1974年(昭和49年)に九州の福岡で生まれ、幼稚園から東京で育ちました。幼稚園が終ると、園児の名簿を上から(たまに下から)順番に電話して、その日の遊び相手を決めていました。小学校時代は、5人ほどの仲間と、街の全部のビルに登ることを目標にする遊びをしていました。実際、高いビルは全て制覇しましたから、かなりこの遊びにハマっていたのでしょう。このように、わんぱくで元気いっぱい、いつも外で遊んでばかりいる子供でした。小学校の通信簿には常に、落ち着きがない、と書かれるほど、ジッとしていることは苦手でした。

何よりも好きだったのはスポーツでした。当然、一番成績が良かったのが体育。小学校1年生からサッカーを始めましたが、これだけでは、私のエネルギーを消費させるのには不十分でした。そこで、心配した母が案じた一計が、少林寺拳法を習わせることでした。近所の道場を見学しに行かされたところ、とてもおもしろそうだと思いましたので、即決で入ることにしました。

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道場の練習は、サッカーが終わって夕方6時から夜8〜9時くらいまで。それでも全然平気でしたから、本当にエネルギッシュな子供だったのでしょう。少林寺拳法は、世田谷区大会などで何度か優勝したりするほどのめり込みましたが、初段を取って、2段は18歳にならないと取得できないと言われたので、6年生でやめてしまいました。サッカーと少林寺拳法に熱中していれば、勉強がおろそかになっても仕方がありません。幸いなことに、両親はあまり勉強しろとは言いませんでした。

私の人生で最初のターニングポイントは、中学生でやってきました。1年生の夏休みに、母の勧めでアメリカのユタ州に1ヶ月間ホームステイをしたのです。つい10年ほど前、母から、アメリカ映画が好きで留学に憧れていて、そういう機会を自分の子供には与えたいと思っていたということを、聞かされました。私自身も、新しい物好きというか、チャレンジするのが大好きですから、母の勧めにはふたつ返事でした。両親には、本当にいい機会をもらえたと感謝しています。そうしてもらわなかったら、今の自分はなかったかもしれないですから。

ホームステイ先は、ユタ州ソルトレイクシティからグランドキャニオンを通って、車で7時間ほど南下したオレンジヴィレッジという本当に田舎の町の、子供5人、両親を合わせると7人という大家族のモルモン教徒の家でした。あの辺りでは、大家族が普通でした。

大家族でしたから、私ひとりくらい増えても大丈夫だったのでしょう、実の子供のように扱ってもらって、大変居心地良く過ごさせてもらいました。その家の玄関を出た右手には雄大な地平線が広がっていて、そこに太陽が沈むのを見たときに、かつてないほどの感動を受けました。

東京にいたら、水平線を眺められることはあっても、地平線を見る機会なんてありません。世界って本当にデカイいんだな!知らない世界って有るんだ!そう思った瞬間に、日本のような狭い国でなく、アメリカみたいな大きなところで暮らしたいという気持ちが湧き上がってきたのです。

■高校は“ワン・ビッグ・ファミリー”

 中学2年の夏休みにもまた同じホストファミリーにお世話になりました。今度は、ホームステイプログラム経由でなく、直接自分で手紙を書いてお願いをしました。2度目は、漠然と抱いた願望が、なんとしても絶対に、アメリカで暮らそうという決心をしていました。

3度目は、高校を探す目的で、中学2年の冬休みにボストンに、ホームステイプログラムを利用して行きました。ホームステイ先が、お父さんがハーバード大学の教授で、お母さんが高校の教師をしている家だったので、ボストンの郊外のガバナー・ダマー・アカデミー(現ガバナーズ・アカデミー)という私立高校を紹介してもらって、15歳の9月に入学しました。この学校は、1763年にマサチューセッツ州知事だったウィリアム・ダマーにちなんで創立された歴史ある学校です。

高校は、寄宿舎生活。全校生徒約350人(最初の頃は日本人は自分ひとり)と先生達もキャンパスに一緒に住んでいましたので、ひとつのコミュニティというか大きな家族のようなものでした。週末ともなれば、校長先生が自分の自宅を開放してくれるので、そこでテレビを見たりお菓子を食べたりビリヤードをしたり、とても楽しく生活していました。今思えば、なんていい環境だったのだろうと懐かしくなります。

しかし、たいていのプライベートスクールがそうであるように、勉強は猛烈にさせますし、スポーツもどんどんさせる、まさしく文武両道を地で行っていた学校でした。スポーツはシーズンごとに変わるようになっていて、秋はサッカー、冬はレスリング、春はラクロスをしていました。水を得た魚のように、スポーツに打ち込んだ4年間(アメリカの高校は4年制)といっても過言ではありません。

■起業家教育で有名な大学に進学

 勉強意欲のほうも芽生えて来ました。特に歴史、中でも、日本の戦国時代以降の歴史に興味を持ち、多くの本を読みました。中でも、『坂の上の雲』には興奮しました。自分の日本人としてのアイデンティティは海外にいると、より強く感じるようになるのかもしません。その結果、日本のことをもっと知りたいという欲求が生まれてくるのだと思います。

この学校の良かったところは、他にもあります。人間としての幅が広がるような、経験を与えてくれる機会が豊富だったこと。例えば、半年に1度、男子だったらネクタイをしめて、演劇、オペラ、バレエなどボストンの劇場に行く芸術鑑賞のような授業があって、それは強制的であっても、行くと予想以上に感動させられたものでした。

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アメリカの高校では一般的ですが、私の学校でも、プロム(プロムナード:舞踏会の略称)と言うフォーマルなダンスパーティが催されていました。男子はタキシード、女子はドレス着用で、1年に1度、その日だけは、一晩中皆で楽しく遊びなさいという主旨のものです。男子が女子を誘うパターンが一般的で、その時期が近づくと、あの子は断られたらしいとか、彼女はまだ決まってないとか、そういう駆け引きが繰り広げられていました。私も、自分がいいなと思っている女の子に頼んで、パートナーになってもらえるときもありましたが、結果は2勝2敗ぐらいだったでしょうか。

昨年、私の10歳になる娘に、この学校を見せに連れて行ったのですが、ボストン市内から車で40分程度の大自然に囲まれた田舎に、そのままのキャンパスがあり、少人数制で、健やかに育ててもらった私の時代と、現在も状況としては変わっていませんでした。むしろ偏差値は上がったらしく、とても良い感じで拡張していました。

行く前に、何気なくフェイスブックで昔の仲間を探したら、なんと9割方の人と連絡がついたので、ビックリしました。その内の何人かと食事をして、互いに年を重ねたなという実感はありましたが、そこは4年間同じ釜の飯を食った仲間、昨日会っていたかのように会話が弾みました。

当然のことながら、進学はアメリカの大学以外には考えられませんでした。ボストンの「バブソン・カレッジ」は、起業家教育で、19年間連続で全米ナンバーワンの有名な学校です。イオンの岡田会長やトヨタの豊田社長などが同校のMBAを取得されています。そこで、アントレプレナーシップを学ぼうと思いました。

(第2回に続く)

*2012年1月17日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

(第1回)中学生で単身渡米、世界の広さを知る
(第2回)気合いと根性、粘りと頑張りで証券の世界に
(第3回)唯一無比、「シストレ24」という新アプローチ
(第4回)“インティグリティ(誠実)”の会社精神に則って

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