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ディーラー烈士伝

「“押し引き”が勝負の極意」 ―今井雅人 氏 [中編]

2011年09月21日(水)

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(前編はこちらから)

■“せこせこディール”で常勝トレーダー

 シカゴ支店では為替をする人間が少なかったので、赴任前に3カ月間ほど修行した。このときに為替のディーリングのおもしろさを実感している。勝負事は嫌いではないから、(為替の)ディーリングは自分に適しているかもしれないと思った。

為替による収益は、圧倒的に東京、ニューヨーク、ロンドン支店の順に大きく、シカゴ支店は全体に比べたらものすごく小さいものだから、あまり重要視されず、まあ適当にやっておけといったところ。そのどうでもいいところで、小さな金額で、コソッと楽しくやらせてもらっていた。

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自分は “せこせこディール”(負けないようにしながら少しずつ収益を出す)をしていたが、成績はずっとプラスを維持していた。ただ、収益は安定しているにしても、爆発的に儲けているわけではないので目立たない。ところが、この状態が2~3年続いたから、本部は、地味な僕の存在に気がついた。シカゴのチーフディーラーが、東京へ行くたびに僕のことを宣伝してくれていたということもある。

シカゴには世界最大の先物取引所CME(シカゴ・マーカンタイル取引所)があり、シカゴ支店はCMEと同じビルにあった。また、三和BGK証券という現地のブローカーを持っていて、この会社がCMEの中にブースを持っていたので、僕も黄色と赤のジャケットをもらっていてよく行っていた。

当時、著名投資家のポール・チューダー・ジョーンズや『タートルズ』を作ったリチャード・デニスがシカゴマーケットで大暴れしていて、フロア(立会場)で、彼らのお抱えブローカーから大量発注されるオーダーから、超一流の連中の手口を見ることができ、そこから感じたのは、彼らも押し引きでトレードしているということだった。

上司だった内藤さんも同様だ。内藤さんは、いつもトレードしているわけでなく、寝ていたりときどきチャート見たり電話したりしているのだが、ある瞬間、狂ったように売り出したり買い出したりする。そして、それが終わるとまた何日も動かなかったりする。また、ロスカットにしても、もう駄目と思ったらスパッと切ってしてしまったり、それまでずっとショートだったのに突然ひっくり返したりもする。かと思うと全然やらないときがあったりする。そうやって、内藤さんは、常に儲けていて、またその金額も大きかった。

ツイてないときは何をやったって大体駄目な場合が多い。運を呼び込もうとする努力はある程度できても、例えば麻雀の場合は、最初に来た牌が悪かったら、なかなか勝てない。それは不思議とどれだけやっても、ある一定の時間や期間まったく駄目なときがあって、そのときにあせってやると、大損してしまう。

だから、そのときは諦めて、できるだけ損をしないようにしようと防御体制になる。防御しながら、ちょこちょこああでもないこうでもないと小細工しているとだんだん運が向いてくるので、向き始めてからバーッと勝負しに行く。

それもずっとは続かないので、また知らん顔をしてやり過ごし、次のチャンスを待つということを繰り返す。勝負事に勝つ一番のコツはこれだと僕は思っている。才能や持って生まれた運は絶対必要で、いわゆる天才のような人も世の中にはいるかもしれないが、そういう人はごく少数だ。

でも、天才ではなくても、誰でも秀才になれる可能性は秘めている。僕自身も秀才になろうと思ってやってきている。そのためには、押し引きのコツさえ会得してその通りにやれればなれると思う。

■チーフディーラーになっても手堅くトレード

公私ともにアメリカンライフを満喫していたので、本部に戻ってこいと指令が出てもうれしくはなかった。戻って何をするのか訊いてもはっきりした返事はもらえなかったが、帰国すると円のチーフディーラーに指名された。驚くと同時に、果たして自分にできるのか不安になった。というのは、取引金額がシカゴのときの100倍にもなるからだ。

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そこでまた気の弱さが出て、ちょこちょこトレードしていたら、チーフディーラー(為替部門全体のチーフ)は、このやり方が気に入らなかったようで、他の人間に替える意向を示し始めていた。僕は、東京のチーフディーラーの元で損したらいけないと考えていたが、全体のチーフは負けてもいいから度胸のあるトレードをやることを期待していた。しかし、僕は気が小さいから、わからないものに対してリスクを取ることができない。

駄目だと言われながらも半年ほどやっていると、この間、収益は一度もマイナスにならなかった。前任者たちは結構デコボコだった。ちょうどこのころ、派手にバンバントレードするのではなく、きちんと収益をあげるという時代に変わり始めていた。昔は対顧客取引によるバッファ(基礎の収益)が何十億もあったため、このバッファを背景にトレードしていたから大胆なトレードができていた。

しかし、TTSや TTBが縮小してきて、支店からのスプレッドも取れなくなり、基礎収益がどんどんなくなっていったので、だんだん丸裸になって実態が明らかになってきてしまったのだ。そうすると大損はできなくなってしまう。それでちゃんと安定して儲ける人がいいディーラーだという評価に変わっていった。

■意地にはならない

 円のチーフからスポットのチーフを経て、最後は為替部門全体のチーフをやって、結局、93年8月に帰国してから、04年4月に退職するまで通算11年間ずっと同じ部署に在籍した。

手堅くトレードはしていたが、それでも大きな損を出したことがあった。03年、介入期待でずっとドル円を買っていたのだが、介入が入らなかった。ちゃんと精度の高い情報を得て確信があってやっているのならいいけれど、自分の勝手な推測で期待を込めて、何気なしに買ってしまって、もうやめるにやめられなくなってしまった。

意地になってしまうとこういう結果になりがちだ。初期段階で、なんでこんなことしたのだろうとパッとやめてしまえばいいのだけれど、深みに入ってしまって(ロスカットした瞬間に介入が入ることを懸念したのも原因)、もう降りるに降りられなくなってしまった。

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それに、意地になってしまうときというのは、往々にして他人のせいにしてしまっている。意地になって良いことは何ひとつない、というのがこの人生最大の失敗から学んだ大きな教訓だ。

相場では感性が重要だと思っている。世の中はずっと同じことが続くわけではないので、相場も必ず反転し始める。これをどうつかむかということが感性だ。今でも鮮明に覚えているのは、98年8月、ドル円が147円台に向かって上昇しているときに、近いうちに暴落すると予想したことだ。

どうしてそう予想したかというと、流動性がとても薄くなってきて、値動きが非常に荒くなってきたからだった。しっかりトレンドができるときは、取引高が非常に厚くなるし、取引が活発になって確実に上昇していく。それがある瞬間からスカスカになり始めた。だが、下がらない。何かがおかしいと思った。

(後編に続く)

*2011年07月12日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

【前編】 勝負事の才能が開花
【中編】天才は無理でも秀才になる
【後編】相場と政治のつながりの中で

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>>「The FxACE(ザ・フェイス)」インタビューラインアップへ





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TheFxACE(ザ・フェイス)企画チーム / TheFxACE

為替ディーラーのご経歴を持つ方々に、ご自身の生き様や相場に対する考え方などをお伺いしていきます。

[取材/文]
香澄ケイト(かすみ・けいと)/外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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