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ディーラー烈士伝

「勝負の世界に魅入られて」 ―野村雅道 氏 [中編]

2011年01月19日(水)

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(前編はこちらから)

■恵まれた環境の中で切磋琢磨

ディーリングの経験を重ねていくうちに、徐々に、米銀が仕掛けてきて大きく変動する時間帯がわかるようになってくる。インターバンクの仕事は殴り合いのようなもので、例えば、日本やアメリカのお客さんが米銀に1億ドル売ったとしたら、それを邦銀で叩いてくるとすると、邦銀はなんだかわからないのでやられてしまう。だが、流れをつかめていれば、こういった玉が来たら、すぐにいっぱい売ることで対処できるようになる。

銀行のディーラーはだいたいデイトレが中心と決まっている。東銀NYでとオーバーナイトのポジションを持つのは若林さんだけだった。若林さんは、相場を、100年や200年の長い期間で、チャートや流れで見て、ドルはどうあるべきだなどと予想する。それまでの東銀の先輩たちが、日本の膨大な貿易黒字というファンダメンタルズに根差してドル円を売るディーリングを主体にしていたのと比べて、若林さんはドル円上昇の局面で、買いでも儲けた初めての人だった。若林さんには非常に厳しく相場のイロハから教えていただいた。大変畏怖すべき存在であったけれど、今にして思えば、それだけ手取り足取り教えてくれたから親切な人でもあったのだ。

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NYから本店の為替資金部に戻って上司になった河村正人さんは、本当に器の大きい人だった。ほとんど何も言わず、私が4億ドルのポジション持っていても、苦しくなったら電話してこいとポツッと言うだけ。これだけ信頼して任せてくれると部下としても男としても、やらざるを得ない。若林さんは落合監督+古葉監督のようで、河村さんは権藤監督のような感じだろうか。東銀の為替は、人材の宝庫。上司だけでなく、同僚や後輩にも恵まれすぎた環境にいさせてもらっていたのだった。

帰国して、最初はポンドドルを担当した。ポンドドルで儲けられる人はほとんどいなかった。プラザ合意で、ドルが全面安になったのに、ポンドだけが対ドルで下落してしまったように、本当にやりづらい通貨だった。自分は、それまで負けたことはなかったので、ポンドドルが一番ひどい成績になった。負けず嫌いの性格がムクムクと頭をもたげて、その後のドルマルクの取引で負けは取り戻し、最終的にドル円のチーフに推挙されたときは、心底うれしかったものだ。

■苦しかったら前に出る

私は高校時代、三塁手だったので、監督に、苦しかったら前に出ろ、とよく叱咤されていた。ほとんどド根性の世界だが、実際、その方が後ろに行くよりも、ボールが見えて取りやすいのだ。為替にも通じるものがあるように思える。野球を通じて、修羅場には根性が座っていたのかもしれず、ドル円では、引退するまで単月で負けることはなかった。

為替の専門銀行である東銀は為替のあらゆる面においてリーダー的存在であった。取引量にしても圧倒的に他行を引き離していた。その膨大なフローから、市場の流れが的確につかめるので、東銀のディーラーは儲けやすいのである。ドル円のブローカーディール(仲介業者経由の取引)において、東銀のシェアが市場全体の10%を超えると、おおよその市場の流れを把握することができた。自分が市場で取引することでどの客が売っているのか、海外ではだれが動いているのか逐一わかるのである。

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また、顧客のシェアはマーケットの2―3割を占めていて、もし仮に顧客が他行を使ったとしても、その銀行は、インターバンクで東銀と取引しなければ、その玉がさばけなくなるので、その点でも、東銀に有利に働いてしまう仕組みになっていた。

例えばある顧客が東銀にドルを売ってきたら、他の銀行でもたくさん売るから先にどんどん売っておけばいい。その顧客が東銀に先に来なくても、他の銀行が先にぶつけてくる。その銀行がぶつけてきているということは、その銀行のバックにはその顧客しかいないということになるので、一緒になって売ってしまえばいい。

■自分が相場である

為替は、ポジションを持って損をしそうになったら我慢するか、損切るか、何倍かにしてポジションをひっくり返すかの3つしかないが、この3つ内のひとつを瞬間的に察知して行動できる人が良いディーラーだと思う。東銀の頭が良くて、おとなしいディーラーは我慢してしまう。輸出業者が売ってきたら、同業他社が皆横並びで売ってくることが多い。だから我慢していると、玉が溜まってしまい、どんどんアゲンストに行って、最後にバンザイしなくてはならない破目に陥ってしまう。

勝負をしているのだから、負けたくなかったら、なんとかそこから取り戻そうとしなくてはいけない。例えば、自分が25で売っていても、40とか50を全部買って80ぐらいまで上がればプラスになる。そこを、見極めるのは理論よりも勘になるのだが、とにかく流れに沿ってポジションを持っておかないと身動きがとれなくなる。

世の中には有名ディーラーと呼ばれる人もいるが、私が見ている限り、ブローカーから、銀行ディーラーに転身した人が最も儲けられる能力、つまり危機察知能力を持っているように思える。なぜかというと、ブローカーは手数料だけが収益なので、非常にシビアにならざるを得ない。手数料なんて100万ドル取引しても数千円程度にしかならない。それなのに、200万ドルしか玉を持っていなくても、顧客から500万ドル売りをかけられたりすると、300万ドルを自分のポジションとして抱えさせられてしまい、挙句の果てに、大きな損失になってしまうこともある。

そのロスをカバーし利益に転じさせるためには、しっかりと相場の流れを見て、早く回転してリスクから逃れるようにする。ブローカー出身の銀行ディーラーの中でも、野沢君と小宮山君が特に優秀な人たちだった。

東銀にいたときは、他行のディーラーと情報交換する必要性を微塵も感じなかった。東銀は情報の宝庫でもあったのだ。また、プラザ合意のときのように、為替介入は東銀が最初に依頼される恩恵もある。

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東銀は円に関しては、胴元のような役割を果たしていたし、市場をサポートする立場にあった。朝何もプライスがないところで、東銀が全てのブローカーに常にクォート(建値)することによって、そこから東京市場が始まっていく。この慣習はプラザ合意相場が終了するあたりまで続いていたのだった。

いかなるときも、東銀のディーラーとして常にクォートする。それも、自分の相場観で行うこと。ときおり、ドル円のプライスが消えるときがあり、ディーラーが慌てて、ブローカーからプライスを得て、その提示レートに近いものをお客さんにクォートしたりすると、若林さんは、自分が相場であるプライドを持てと怒っていたものだ。「自分が相場」− 私も、このことを常に心に留め、ディーリングにしてきたつもりだ。

(後編に続く)

*2010年11月20日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

【前編】野球の経験、為替で活きる
【中編】自分が相場というプライド
【後編】相場の本質を知って勝つ

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>>「The FxACE(ザ・フェイス)」インタビューラインアップへ





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プロフィール

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TheFxACE(ザ・フェイス)企画チーム / TheFxACE

為替ディーラーのご経歴を持つ方々に、ご自身の生き様や相場に対する考え方などをお伺いしていきます。

[取材/文]
香澄ケイト(かすみ・けいと)/外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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