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ディーラー烈士伝

「飽くなき為替の道 今も進む」 ― 岡安盛男 氏 [前編]

2010年11月10日(水)

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■子供の頃から興味の対象は次々に

 元々浅草橋で商売を営んでいた祖父は船橋に工場兼別荘を構え、船などを持って優雅な生活を送っていた。僕はそこの二男として誕生。商人とは封建的な世界で、女系家族である我が家に初めて誕生した長兄とは、1歳離れているだけで待遇がまるきり違った。奉公人たちと一緒に食事していた僕は、祖父母と店屋物の寿司などを食べている兄貴をいつもうらやましく眺めていた。不満は常にくすぶっていたのだろう、日課のように兄弟喧嘩をしていた。ただし、まともに戦っても勝ち目はないので体のある武器を駆使した。今でも、兄貴の顔には「爪跡」が残っていて、今さらではあるが申し訳なかったと反省。

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中学・高校は、男子校の私立市川学園に通った。5−6人の生徒に喧嘩を売られぼこぼこにされた事もあり、中学に入ると直ぐに柔道部に入部する一方で、空手道場に通って喧嘩に強くなるために身体を鍛えた。一時はプロレスラーになろうと思ったものだ。家業は兄貴が継ぐから、一人で生きていける職業に就こうという考えは既に持っていた。身長がもう10センチ高ければ、為替ディーラーでなく、プロレスラーになっていたかもしれない。男子校の男ばかりということもあり高校生になると女性にもてそうな、硬式テニス部と演劇部(ミキシングや小道具担当)を掛け持ちした。

高校2年の秋に、『何でも見てやろう』という小田実の世界放浪記に感化され、寝袋を抱えて家を飛び出そうとした。直前に父親に取り押さえられ、高校を卒業してから行けと諭されて、この計画は頓挫したままになっている。

この年の春にはパイロットに憧れて、開校したての宮崎航空大学校を受験。倍率は500倍以上と言われる程人気があり、2次試験で落ちてしまう。他にお金が儲かりかっこいい職業は医者だろう。某私立医大は受かっていたが、とんでもない費用を入学前に払わなければならないことを知り、ばかばかしさから国立の医学部を目指し3浪までしたが、挫折。料理には元々興味がありコックになるべくレストランで働き出した。大学に進学するよりも、渡仏してシェフになろうと考えたからだった。

少し素行に問題が出てきたのを見かねたのか、親父の「取りあえずどこでもいいから大学へ入って友達を作ってこい!」の一言で4年間を有意義に遊ぶことにした。既にクリスマスが間近での決断であったが楽しそうな大学を探し、青山学院大学に幸運にも合格した。

多くの物事にすぐ興味を示す一方で、一つも継続しているものがなかった。こんな性格の僕が30年以上も為替の世界で生き続けてきて、そしてこれからも最後まで唯一続けられそうなものが、為替の世界だ。いかに為替が面白く、奥深いものであるかの証左ではないか。

■「なんでも屋」に怖れるものはなし

 大学では将来的なIT時代の到来を予想して経営工学を専攻した。ただし、父の助言に素直に従い、勉学は二の次にして、在学中、ひたすら、お酒を飲んで遊びに遊んで、財産となる友人を大勢作った。「お酒のチカラ」には社会人になってからも、ディーラーになってからも、随分と助けられている。

卒業したら、就職よりも自分で商売をするつもりでいたので、就職活動は全くしていなかった。自分はサラリーマンにはならない、特に、縛られた職種のイメージが強かった銀行員と教師だけには絶対にならないと意気込んでいたが、好きになった女性から普通のサラリーマンがいい、と訊かされ、この意思は覆されてしまう。

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10月過ぎからの必死の就職活動が開始された。たまたま、同級生の父親が支店長をしていてときどき遊びに行っていたアムロ銀行(現ABNアムロ銀行、以下、アムロ)のIT部門で、ちょうどNCRのコンピューターシステムを導入のための人材募集をしており、受験することになった。

採用人数1名に対して、100点が僕ともう一人いたそうで、支店長に僕を押してくれたのが、よく飲みに行って親しくなっていたNCRの人だった。彼女には振られてしまう結末になったが、結果として生涯の伴侶のような為替と巡り合えることになったのは異な縁である。

入行時の条件に、システム導入が完了したあかつきには、行内研修をして自分の好きな部署に入ってよいことになっていた。経理部での研修中に、一番収益を上げているのが、為替のディーリングチームで大変活気があることがわかり興味が湧いた。その内に、富士銀行から出向で来ていたチーフディーラーと頻繁に飲むようになり、しきりにうちの部に来い、と誘われるようになった。ディーリングルーム行きはこうして簡単に決まった。

70年代後半は、規制のせいで、ディーリングと言っても、外貨を円転(円に交換)する為替スワップ(以下、スワップ取引)のようなアービトラージ(裁定取引)が主体で、スポット(直物)にしてもほとんどがアービトラージに絡んでいた。

為替取引に加えて、国債(現先)やコール(短期金融市場)などのマネー(資金取引)まで全部やらされたばかりでなく、ブローカーのコンファーム、日銀券のデリバリー、日銀のレポートに至るまでも全て自分一人が担当することになった。チーフが僕をリクルートしたのは、ディーリングルームには他に外国人ディーラーしかおらず、富士銀行に戻るために、今まで自分が担当していた業務を引き継いでくれる人間を必要としていたからだった。

事情はどうであれ、おかげで、為替全体の仕組みが学べ、後にオプションが出てきても、全く怖るるに足りなかった。難しいものなどない、やればできる、の自信が「何でも屋さん」の経験を通して出来上がっていた。

■あらゆるものでアービトラージ

 為替は徒弟制度で見よう見まねで学ぶのが基本。実際、ディーリングの勉強をしたくても、貿易為替の本くらいしかなかった。それでも、短資会社からもらった本を熟読したり、就業後に財務会計の学校に通ったり、英会話の個人レッスンを受けたりして、寝る時間はほとんどなかった。大学の4年間の勉強を1年でやってしまうくらいの集中力を発揮していたのは、既に為替に魅了されていたからだと思う。

為替を知ることにひどく渇望していた時期でもあった。例えば円転とは何か、またなぜ円転枠があるのか、など、わからないことをひとつひとつ調べて理解していくことは純粋に面白かった。

なぜ円転をするかというと、外銀が円の貸付業務を行うには、円預金があるわけではないので、借りてきたドルなどの外貨資金を基に、円を調達する必要があるからだった。その円転に、為替スワップ(ある時点での通貨の売買と将来時点での反対売買を同時に約定すること、以下、スワップ取引)が利用される。円転枠とは、外貨調達力の高い外銀に対して日本での円の貸付業務を制限するために設けられた規制で、日銀から、その銀行のサイズに応じて、最高1日5,000万ドル分を円転していいですよ、などというように決められていた。

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ドルは米国の本店から借りてくればよく、しかも低利のコストで調達できた。スワップ取引で3ヶ月物取引のドルの売って買いをやったら、3カ月分の円が調達できる。その円資金を企業に貸出したり、運用したりして利益を上げる。

スワップ取引は、円転に利用するだけでなく、積極的なさや取りとしても活用できる。ギルダーとマルクで、6カ月の売って買いをして、買って売りで3カ月をするなどのミスマッチのスワップを組んでさやを抜いていくこともした。他にも、債券を絡ませてみたりして、あらゆるもので裁定を効かせる。どれとどれを組み合わせ、ターム(期間)も、6カ月で運用するか、それとも3カ月+3カ月でやった方が取れそうだとか、確実に最も高い収益が得られる仕組みを考える。

現在の自由競争舌で行われるアービトラージと違って、当時のアービトラージは、規制が生み出すマーケットの歪み(不確実性)に助けられて収益性は高かった。円転枠にしてもその枠があったからこそ、利ざやが稼げたのだ。

84年の実需原則(商業取引以外の為替取引の禁止)の撤廃や規制緩和で、それまでは100万ドルが大きな取引金額と言われていた世界から、為替は大きく変貌を遂げていく。自分も一層の大きなやりがいに燃え始めていた。

(中編に続く)

*2010年09月14日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

【前編】なんでも屋のアービトラージディーラー
【中編】生き残れる人が良いディーラー
【後編】いつも明るく感謝を忘れず

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[取材/文]
香澄ケイト(かすみ・けいと)/外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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