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ディーラー烈士伝

「相場人生は全ての出会いによって」 ― 柾木 利彦 氏 [前編]

2010年09月08日(水)

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■意外な才能で人気者に

 ひとりで、絵を描いたり模型を作ったりすることが好きな、もの静かで引っ込み思案の子供は、中学生でモノマネの才能が開花して、一躍学校中の人気者になる。芸術方面に進みたいと考えていたが、ひょっとしたら芸能関係の方が向いているかもしれないと一時は真剣に考えた。高校入試を控えた中学3年の夏休み期間中でさえ模型飛行機作りに精を出してろくに受験勉強もしなかったが、中学3年生の2学期になってようやく勉強も人並みにするようになった。おかげで、進学校受験は無理、と言われていたほどの成績が、少し勉強したらグンと向上し、無事、大阪府立夕陽丘高校に合格することができた。

人生で最初の大きな出会いと転機は高校入学後に訪れる。小遣い稼ぎのために、近所のレストランでアルバイトをしていたら、同じバイトの50代のおじさんに「君なあ、こんなことしてたら、おっちゃんみたいになるで。一生懸命勉強せなあかんで」と言われて、何かがピカッと光った。まるで神の啓示のようだったと記憶している。

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「おっちゃんの言うとおりや」。すぐにバイトは辞めて、学年で一番の成績になるまで猛勉強した。銀行員の父は、兄と私が喧嘩をするたびに正座をさせて、シベリア抑留の話は必ずしても、勉強しろとは言わず、母に至っては勉強していると「はよ、寝なあかんよ」と怒り出す始末。これでは勉強するはずもない。未だもって、このおじさんへの感謝の気持ちは忘れていない。

大学は、経済的な理由で国立しか受験できなかった。法学部を2回受験して失敗し、同時通訳者の鳥飼玖美子さんに憧れていたせいもあって、結局、大阪外国語大学イスパニア語学科(現:大阪大学外国学部)に進学することにした。2回目の法学部受験では、世界史の問題を試験終了一分前に修正したことが仇となり、わずか1点差で落ちてしまったが、為替の道がここから開けていったと考えれば、なるべくしての運命的ミステイクだと思っている。

大学4年生で1年間、文部省、外務省協賛の政府交換留学生としてメキシコ、メリダの大学に留学した。周囲には多くのマヤの遺跡があり、人々は裕福でなくても活き活きと暮らしているのを見て、本当の人間の幸せとは何かということを考えさせられ、人生のんびり好きなことをやっていこうという感じになったが、帰国したら就職活動という現実が待ち構えていた。

■中南米志望が予期せぬディーリングルーム行き

 ある日、1年生の終わりにたまたま見学に行ったスペイン語会話クラブで初めて出会い、わずか1時間余しかディスカッションしなかった先輩が「柾木君は僕の銀行に来るんだ。将来は、一緒に大きな仕事をしよう!」と突然連絡してきた。既に、トップ推薦でトヨタ自販(現トヨタ自動車)に就職が内定していたのだが、先輩の執拗な説得に折れて、全く想定外の三和銀行(現:三菱東京UFJ銀行)にやむなく就職することにした。

新入社員として配属されたのは、京都の東寺支店で、仕事は金勘定ばかりでつまらなかったが、先輩といつか大きな仕事をするのだという目標に支えられていた。しかし、海外大学院に留学中の先輩が亡くなられたという悲報が届く。一番身近な目標にしていた人がいなくなって自分を引っ張っていた糸が切れてしまった。そんなとき、社内の留学試験に受かり、ブラジルの大学に1年留学することになったのは幸運だったと言えよう。

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ブラジル留学から戻り、亡くなった先輩が中南米のシンジケートローンを一緒にやろうと言ってくれていたこともあって、中南米の仕事をしたいとずっとアピールしていたので、当然そちらに行かされるものだと思っていたら、三和銀行東京本部で初めて行われた、国際本部研修の対象メンバーに、同期でただ一人抜擢された。2カ月間の研修終了後に、このメンバーの中から今度はディーラー研修生が選抜され、私はその中に含まれてしまった。

三和銀行の特色は、為替や資金などのマーケット部門だった。マーケット部門を強くして、国際業務を軸に収益ナンバーワンを目指そうとし、実際、ディーリング収益も著しく伸びていた1984年当時の、最先端の設備が投入された三和のディーリングルームには、ものすごい活気が溢れていた。

ディーラー研修が終了し、中から3名が選抜されて、ニューヨーク、ロンドン、香港に第一期研修生として派遣されることになった。私は、ニューヨークに派遣されることになって、周囲からすごくやっかまれた一方で、えらいところに行くね、と脅かされたが、そのときはその真の意味を知る由もなかった。自分が選ばれた理由として、三和銀行NY支店(以下、三和NY)には、中南米担当の大きな部隊があり、もしディーラーとして大成しなければ、スペイン語とポルトガル語ができるから中南米セクションに放り込めばいいじゃないかという考えが、会社にあったのではないかと思う。

■第一期ディーラー研修生NYで奮闘

 当時の三和NYは、一邦銀のニューヨーク支店としては、わずか8人のチームにもかかわらず、大ディーリングチームのシティNYなどの大手米銀と、ダイレクト・ディーリング(銀行同士がブローカーや電子ブローキングを通さずに行う直接取引)も含めて、互角に渡り合っていた。

それまでは、研修生というシステムはなかったので、三和NYでは私をどう扱ったらいいのか大変戸惑ったようだった。上司の宮森正和さんから、実践で使えない人間はお荷物以外の何物でもないと明言されて、意気消沈しかけたが、腐っているわけにはいかなかった。逆に、より前向きにもっときっちりと仕事をするしかないと腹を決め、黙々とやっていたら、少しずつ宮森さんが声をかけてくれるようになり、態度にも変化が見られ始めた。

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3カ月が経過し、宮森さんからドイツマルクのディーラーを任された。日本の銀行なのでドル円が主体であるが、当時マーケットのキング・オブ・カレンシーはドイツマルクだった。嬉しかったが、喜んでばかりもいられない。というのは、マルクの取引で、三和NYで、黒字で終わった人はかつて誰もいないという、相当手ごわい通貨だったからだ。

1カ月目は赤字、2カ月目は半分ぐらいの赤字で、もうこれで確実に中南米セクション行きかなと思ったが、マーケットは、資本主義社会の権化のようなもので、センチメントや需給、諸々のニュース、イベント等全ての変動要因が織り込まれていて学ぶものが余りにも多く、そしてとにかくおもしろい。

移籍をなんとか回避しようと、先輩ディーラーに相談したら「ポイント&フィギュア(以下、P&F)をつけてみたら」とサジェストしてくれた。それで、シカゴのIMMの数字を追いかけながらP&Fに従ってトレードをしていったら、3カ月目もスタートは赤字だったのに、終わってみたらプラスに変わり、そこから常勝に転じて行く。

三和NYの特徴は、なによりも完全な実力主義だったことだ。成績だけでしか、評価しない。一般的に、邦銀では、上司の損失限度額が部下より大きいのは当たり前なのだが、三和NYは、どんなに経験が少ない若手であろうが、成績次第でより大きなポジション、収益目標および損失限度額を獲得することができるというプロフェッショナル集団だった。このことを聞いて、チャーリー中山さんが、ぜひこのルールを自分の銀行内でも採用したいと言ったという事実がある。

(中編に続く)

*2010年07月16日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

【前編】実力主義の邦銀で鍛えられる
【中編】超一流のディーリングを知る
【後編】オンリーワンのライフワーク

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>>「The FxACE(ザ・フェイス)」インタビューラインアップへ





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TheFxACE(ザ・フェイス)企画チーム / TheFxACE

為替ディーラーのご経歴を持つ方々に、ご自身の生き様や相場に対する考え方などをお伺いしていきます。

[取材/文]
香澄ケイト(かすみ・けいと)/外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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