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ディーラー烈士伝

「サラリーマンディーラーの一分」― 河村 正人 氏 [前編]

2010年07月14日(水)

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■内に秘めた反抗精神

 女系家族の中でとても大事に育てられた。親父は放任主義だったが、家付き娘の母親は、私を東大教授の親父と同じ道を歩ませようとし、手始めに聖心幼稚園に送り込んだ。回りは外国人、皇族、医者、実業家の子供ばかり。彼らは、シャレたサンドイッチなどを持ってくる。私は弁当箱のフタを開けるのが嫌で堪らなかった。

こういったこともあって、幼稚園時代から親の路線には乗らないぞという気持ちがフツフツと芽生えていた。そもそも頭の出来が親父とは比べ物にならない。一緒に碁や将棋をすると、物事を緻密に進めていく理系の思考に太刀打ちできるはずもなく、親父に対する劣等感は一層反抗心を煽ることになる。

学芸大学附属世田谷小学校はクジで受かっている。中学校はそのままエスカレーターで進み、特に勉強などしなかったが、周囲につられて都立日比谷高校に入学した。

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反抗心は常に胸の内にあったけれど、反骨精神というほどのものではない。自分はこだわらないアッサリした性格だし、人生は成り行き任せだと考えている節がある。ただ、どうしても、従順に言われた通りにやるとか甲斐甲斐しく働く素振りを見せたりするのは苦手だ。勉強も仕事も、一生懸命やっている姿を人に知られるのは好きではない。

東大の文科一類に中途半端な気持ちで入学してしまった。案の定まったく法律というものに興味が起こらず、ドンドン落ちこぼれていってしまい、留年を考えていたので、就職活動はほとんどヤル気なし。友人に誘われて、1日だけ会社訪問に付き合った。その1日で、東京銀行(以下、東銀)と三菱銀行から採用すると言われて、銀行員になるつもりは毛頭なかったので戸惑ってしまった。

しかし、銀行に就職すれば、いい加減な生活を改めるきっかけになってくれそうだと考えた。祖父が三菱のエンジニアで、親族は三菱系に勤務する人間が多かったので、三菱銀行にはいかないと決めた。となると、もう東銀しかチョイスがない。東銀の外為専門銀行という響きには、スマートな感じや海外の雰囲気があり、私に多くの可能性を与えてくれそうな予感がした。

後に、両行が合併することになって、このときのことを思い出し、感慨の念を禁じ得なかった。合併の話を聞いたのは、ロンドン駐在のときで、社内には重い空気が流れたが、マーケットに関係する仕事に従事している者としては、東銀だけではもうどうしようもないという閉塞感をずっと持っていたので、この合併のおかげで今までできなかったこと、為替に関して言えば、もっとリスクテイクなどができるようになるのではないかと喜んだ。

■保守本流は火星人

 68年に入行して東銀神戸支店に赴任した。仕事はつまらなかったが、ようやく親元を離れられる解放感と、東京から来た新米社員をチヤホヤしてくれる(当時の東銀は女性の比率が圧倒的だった)ので楽しく過ごしていたある日、海外勤務の指令が下りた。業務研修生(トレーニー)としてロンドンに派遣だ。念願の海外、嬉しくて飛び上がりたい気分だった。なお、おまえ行けと言われただけで、試験は受けていない。

東銀は、外為専門銀行としての権益が非常に大きくて、それを守るために為替などの市場関係を含む様々な海外関係においてそのプレゼンスが要求されていて、若手社員の海外派遣もその一環であった。また、68年のポンドの切り下げのあたりから、ディーリングの活性化を目指し、かなりの人数の若手社員を本部や海外拠点で、為替の専門職として養成し始めていた。

ロンドンでの研修課題は、国際金融の走りであるシンジケートローンだったが、親しくなった3~4年先輩の人たちがディーリングルームに誘ってくれた。為替のことはほとんど知らなかったが、銀行で大学の先生を講師に迎えて、変動相場制がいかに合理的なシステムであるかという話を聞いていたので、面白そうだなと思っていた。ちょうど大きな変化の兆しと為替ディーリングの機運が現れ始める時代に差し掛かっていた。

このときに、上の人から為替をやっていては銀行の中で偉くなれないと事前通告されてしまっている。なぜそんなことを言うのだろうと首を傾げたが、後に為替にどっぷり漬かるようになってそのナゾは解明した。

東銀の為替は外部からは保守本流と評されていたが、行内では、あの人たち、火星人みたいという目で見られていた。マーケットの仕事をしていると、どうしても、市場原理主義になってしまい、そういった方向の発言や発想が周囲にはなかなか受け入れてもらえないのである。こういった点では、東銀でも他行とそれほど違いはなかったのではないかと思う。

■竹槍 VS ハイテク

 ディーリングは実際に身体で覚えるものらしく、私はマルクのポジションを持たされた。トレーニーでといえども、決して小さくはないポジションだったから、張り切って、マトリクスのようなものを作成した。当時、スネークというのがあって、欧州通貨が対ドルではある一定の乖離幅を持ったまま、まさにヘビのように動く。

マトリクスで、ポンドがここまで下がると対ドルがここまで下がるとやっていたら、うまい具合だ。これはいいぞ、と思って、ポジションを残して旅行に出掛けてしまったら、旅行中にポンドが交換できない。理由を知って驚愕した。なんとポンドがスネークから離脱してしまったのだ。

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ポンドとマルクの関係はマルクが一番上にいて、ポンドが一番下にいて、一定の幅で動いていたわけだが、この幅が取っ払われた。上司におまえのおかげでひどい目にあった、全部買い戻すのに何日もかかったと叱られてしまった。まさか、こんな予期せぬことが起こるとは。為替の怖さを知った最初のイベントだった。

半年程為替をやって、その後数ヶ月間派遣されたロイズ&ボルサ(ロイズ銀行の子会社、マーチャントバンク)とジェームズ・ケーペル証券で大きなカルチャーショックを受ける。当時からイギリスの金融はハイテク化が著しかった。コンピューターで分析を行ったり、アービトラージもしていた。リスクテイクも大きいし、人材の集め方、設備など全ての金融力が日本より数段も勝っている。日本の竹槍戦法では全く勝負にならないことを痛感させられた。このときの経験が原体験となって、私の為替業務に影響を与えている。

73年に帰国して丸の内支店で国際金融業務を担当することになった。この仕事は非常に面白くて、こういう業務の方が為替より知的かなと思っていたら、わずか1年で為替に戻されてしまい、ここから長い為替生活が続くことになる。

(中編に続く)

*2010年05月10日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

【前編】為替の専門職としてスタート
【中編】プライスリーダーの光と陰
【後編】為替から経済合理性を学んだ

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TheFxACE(ザ・フェイス)企画チーム / TheFxACE

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[取材/文]
香澄ケイト(かすみ・けいと)/外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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