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ディーラー烈士伝

「為替との勝負、未だ終わらず」 ― 堀内 昭利 氏 [中編]

2010年06月16日(水)

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(前編はこちらから)

■東京市場のプライスリーダー

 当時の東京市場の1日の出来高は10億ドルくらいと小さかった。その中で私は常に3,000〜5,000万ドルの玉を抱えるようになり、売ったり買ったりの頻度は目立ってきた。他のディーラーたちの本数とは桁が違った。ひどいときは市場の出来高の8割は私が絡んでいるようになり、マーケットのプライスリーダーになっていった。

スポット(直物)取引を制しただけでは飽き足らず、スワップ取引にも手を伸ばした。当時は直物市場並みに、スワップ市場も1日1円動いたり、スプレッドの10〜20銭はザラだった。自分はスワップ取引も数字の勘だけで勝負に出た。アメリカは短期間で頻繁に金利を動かしていたので、当然相場は荒れていた。

自分の提示したレートはすべて叩かれた。ドテンしてディスカウントからプレミアムの方向に賭けるつもりだったが、スプレッドはとてつもなく大きく広がってしまっていた。結局全部ひっくり返すことはできたが、損失は6億円だった。この相場が日米の金利差だなんてことを知ったのは後になってからのことで、今もって恥ずかしい話だ。

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辞表を提出したが、上司から残るよう説得された。減俸処分が言い渡され、反省の顔をしていたが、心の中ではファイティング・スピリッツに燃えていて、7月から強烈な勢いで損を取り返すことにした。3ヶ月で12億円を稼ぎ出しすべての損を取り戻した。このときの3ヶ月で12億円の稼ぎの記録はディーラーを辞めるまで破れなかった。

チャーリーがヒタヒタと私の後ろを走り始めていたのはこの頃だった。当時は業界で一番私の名前が出ていたから、彼は私を抜いて上に行きたいという気持ちは強かったのだろう。やはり目標があると人間は強い。先を走るよりもだれか前にいて、その後を追いかける方が楽なのだ。ふと気がつくと彼は私を抜いており、先頭に立ってしまっていたのだった。後年私がハングリー精神を失い、また初心を忘れ、勝てなくなったときに一番イライラしたのは彼だと思う。

83年1月、7年間勤めたSBCからBHF銀行(以下、BHF)に移った。初めて自分のディーリングルームを創れる喜びに満ち溢れていた。自分が稼げばすべてうまくいくと考えていたので、完全に独裁制にした。銀行本来の業務であるローンや輸出入などのビジネスが最初からあるはずがなく、全員が私のギャンブル収益に頼るといったいびつな経営形態だった。

伊藤忠が一番最初のお客だった。私の相場観が他の銀行と違うので面白いという理由だけで、久保田進也さんが始めてくれた。伊藤忠のように実戦部隊に銀行を選ばせるような会社は少なかった。それだけ久保田さんに実力があったのだろう。手数料は1銭もらっていた。邦銀は日本の会社から何十銭と手数料をもらっていた。

久保田さんの私の使い方は「今いくらくらい」「市場は(137円)85銭買い90銭売りです」「85銭の買い玉はどのくらいありますか」「全ブローカー合わせて13本(1,300万ドル)です」「じゃそれ全部売って」「売れましたけど」「80銭の買いはどのくらい」「15本」「それも売って」この調子で70銭くらいまでの買いをつぶす。今日のドルは弱いと伝えてあるので、彼はそれに乗ったのだ。久保田さんは私がこの玉に売り乗せて儲けたと思っていたらしかったが、私は彼の分しか売っていなかった。

基本的に稼ぎは自分で相場を張って儲けるという考え方で、客の玉は手数料だけにするということにしていた。何しろ他の大銀行と同じ事をやってもかなうわけがないので、私は私のやり方に固執するしかなかった。

■集積の中から「勘」が生まれる

 85年9月22日のプラザ合意は今でも鮮明に記憶している。何か動きがおかしいというか変な匂いを感じ取っていた。このときにおかしいと匂うことがディーラーとしてのセンスみたいなものだと思う。24時間相場のことを考えていなければ、いわゆる勘の力は育たない。

様々な経験を積んでくると、感覚が研ぎ澄まされる。集積の中から勘ができる。ただ経験を積んでも分からない人は分からない。経験が10教えてくれるとしたら、それを、2しか受け入れられない人と8受け入れられる人とでは、大きな差になってしまう。

当然売りに回った。じっと売りっぱなしにしておけば、ひたすら莫大な儲けになったと思うが、ガタガタ崩れたかと思うと、突然張り倒しに来るような買い攻勢が出たりして、乱高下し始めた。欧州、ニューヨークが参戦するに従い、ひたすら雪崩のような売り物を浴びてまさに暴落を演じることになった。

24日、休み明けの東京市場オープンと同時に、欧米人と逆の発想で日本サイドはドルを買いたい輸出企業などが殺到し226円から232円台まで今度は急反発した。ここ何日かの動きに恐怖を感じたディーラーたちも多かったが、私にとっては得意中の得意の相場展開だった。

この後199円まで落ちるのだから、226円で売って232円までかつがれても、持ち玉を放置しておけばいいじゃないかと考える人もいるかもしれないが、この日は買いで回転を効かせるべきなのだ。もしくは煩雑な動きの中で飛び乗り、飛び降りを繰り返せばいいのだ。232円で反転が止まるという確証などない。

■著名ディーラーの相場の張り方

 ディーラーはそれぞれ相場の張り方が違う。チャーリーの張り方は、例えばこの下げ相場だと、237円で取りあえず売る。235円に行く。喉から手が出るくらい買い戻して(私は買い戻してから再度売り場を狙う)利益をふところに収めたいと思う。しかし、彼はその誘惑を断ち切るためにこの235円をさらに売り乗せる。233円に行く。彼はそこでまた目をつぶって売り乗せる。

チャーリーの場合、正念据えて売りだったら売りにとことん徹する。それが買い相場になってしまったら一切やらない。彼は、長期的なスパンで物事を見る目は日本人で一番だと思う。これができるのはやはり日々の勉強の賜物に他ならない。

本店の専務シュパナーさんは欧州為替界で帝王と評され、私も、あのチャーリーですら非常に尊敬していた全ディーラーの鏡のような人だった。私がBHFに入行してから、彼は引退するまで売り方にしか回らなかった。でもドルはひたすら歴史的に落ちていくのだから大局観はズバリだった。3.20マルクくらいから売りに回っていた彼は、3.30マルクと3.40マルクでも売り乗せしていた。マルクは上げ続け3.45まで入ってしまった。

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しかし、ドイツ連銀が売り参戦して来たので、ドルマルクは急落し始めた。当時からドイツ連銀の介入のタイミングは絶妙だった。日銀、大蔵省(現財務省)の介入の仕方があまりにも素人っぽくひたすら玉を打ち込むのに比べ、ドイツ連銀は出るかなと思っていると出なかったり、肩透かしはよくするし、最小の玉で最大の効果を挙げることが多かった。

3.05まで落ちても彼は買い戻さない。普通の神経ではあれほど苦しめられた玉なのだから、やれやれで買い戻すものだが、「アキ、相場は明らかに落ちたがっている。今度は買い方が苦しんでいる。俺が買い戻して、買い方を助けることはなかろう。それは反論理的なことで正当化されない」と言う。確かにそうだが、それを実行できる人は少ない。彼は4ヶ月後に2.80マルクで買い戻した。

アメリカ人では元マリーンミッドランド銀行のトニー・ブスタマンテがピカイチだろう。この人は私に近いやり方をするが、同じ短期勝負でも私のよりもう少し長い勝負をやっていた。

あるとき、私はドルマルクの取引で買いに回っていた。相場は下げ相場でやられていた。彼は「ちょっと待て。スクリーンの動きをよく見てろよ」と言って電話を切った。5分程待つと突然ドルマルクが上昇し始めた。彼が買い上げたのだ。70ポイントくらいだったが、あの静かな相場であそこまで持ち上げるとは、並大抵のことではない。心底驚いた。

こういった相場界の猛者たちと知り合えたことは私にとって大きな財産になった。侍と同じで相手の力量が分かるとお互いに一目置いて、切磋琢磨をしようと考えてくるものだ。自分よりできるディーラーと接触しなければ駄目だ。自分の力量も上げないと相手をしてくれない。

(後編に続く)

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====【出版のお知らせ】===================================================
「チャーリー中山の投資哲学と堀内昭利の相場戦陣訓」
FX投資のための[直伝]心得帳
チャーリー中山/堀内昭利 著  長尾数馬 責任編集
実業之日本社より2010年6月17日発売予定

『この本は30年以上為替をやってきた私とチャーリーの集大成だ。
 そして、FX個人投資家に対する私たちの最後の啓蒙になるだろう』−堀内昭利

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*2010年05月10日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

【前編】為替ディーラーに賭す
【中編】相場の猛者たちと切磋琢磨
【後編】90%為替にかける情熱は不変

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>>「The FxACE(ザ・フェイス)」インタビューラインアップへ





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[取材/文]
香澄ケイト(かすみ・けいと)/外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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