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ディーラー烈士伝

「歴史のダイナミズム、為替に通ず」 ― 花井健 氏 [前編]

2010年05月12日(水)

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■浪花下町人情の中で揉まれて育つ

 負けず嫌いで頑張り屋の母と私一人の母子家庭で育つ。母の商売の関係上、幼少時は母の故郷和歌山那智勝浦の親戚に預けられ、また大阪で同居してからは、母は仕事で帰宅が深夜になることから近隣・友人の方々にお世話になり育った。ひとりの心細さからか自分に関わる周りの人達の気持ちを探り慮りながら生きてきた感じがあり、人との駆け引きや渡り合うバランス感覚は、かかる環境を経て身に付けたのではないかと思っている。

年少時暮らした大阪市生野区は、大阪を代表する下町。在日外国人も多く移り住む、ごった煮的なものすごく元気な、言い換えればガラも悪い地域として有名だが、巧まざるウィットやユーモア、情愛細やかな庶民性、権威への盲従を潔よしとしない批判精神、共に助け合って生きる、まさに上方の風土溢れる極めて心暖かい町だった。厳しい生活環境を受け入れながらも、何とかそこから這い上がろうとし、明日はきっと今日よりいい日が来るという意気込みを醸し出す町の中で育ってきたせいか、私はどんな物事にもあまり動じない。

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通称トンナマと恐れられ泣く子も黙るような市立東生野中学校から、府立生野高等学校に進み、大学は母に負担を掛けない気持ちから、当時、日本一授業料の安い(月額1,000円)大阪市立大学に進んだ。大学の月々3,000円給付の奨学金制度にも受かり、何とか支障なく大学生活を送ることができたので、大学には感謝している。

大学で辻厚生教授に出会わなかったら今の私はない。根っからの土佐人の辻教授の入ゼミテストは、ひとりでサントリーオールドのボトル1本を空けることだった。せっかく大学に入ったのだから、就職の為の準備の期間とせずに、人生唯一、学生時代にしか会得出来ない一本筋の入った学術的な勉強をし、物事の考え方の軸を身につけるべきだというのが教授の教えだった。

ゼミでは辻教授の恩師であり日本会計学の大家、木村和三郎大阪市立大学名誉教授の史的唯物論と自然弁証法をベースとした「科学的管理会計論」を学ぶことになった。物事の事象は突然現れるわけではなく必ず歴史があり、その中で変遷し続けてくるものだから、その本質をしっかりと捉えた上で、弁証法的に発展形態を分析しろということを徹底的に叩き込まれた。この思考の仕方は、為替の本質へのアクセスと併せて私の人生に大きく影響することとなった。

■ロンドン・パブで英語と為替の勉強

 辻教授から大学院進学を勧められたが、早く社会に出て母を楽にしたいとの思いが強かった。銀行嫌いの辻教授が推薦してくれたのが、日本興業銀行(以下、興銀)だった。当時の興銀の就職試験は、筆記はなく、朝9時から夕方6時頃まで面接者を次々と変え行う面接のみ。これだけでも随分変わっていると思った。最初は大して興味を魅かれなかったが、本当に辻教授が言う通りのユニークな会社で、今まで自分が付き合ったことのないような人々が取り巻く環境があることが、面接を重ねるごとに感じられ、興銀に入ってやってみようかなという気持ちが膨らんでいった。

77年4月興銀大阪支店に入行。同期の新入社員110人中、過半数が東大・一橋大出身者が占めていたと思う。他も、自分以外は名立たる国公立・有名私大を卒業した人ばかりで、これはすごいところに入ってしまった、やっていけるかな、と不安や焦りでいっぱいになった。しかし、時間が経つに連れ、その心配は徐々に薄らいでいった。

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商学部出身で、審査や経理に興味があり、公認会計士受験勉強もしていたが、興銀は、私の生来の明るさと物怖じしない性格を、営業向きだと判断したようで、3年後に東京の本店債券部に配属になって、ワリコー・リッキーの金融債等の営業販売企画を担当することになる。実際、人と接し丁々発止するのが好きで、水を得た魚のように充実して業務をこなしていたと思う。

ロンドン・ニューヨークトレーニーの話はそんな最中、晴天霹靂のごとくやってきた。俺は英語とは関係ない世界で進む!と息巻いていた人間に、この辞令は左遷のようにしか思えなかった。留学帰りの英語堪能の人の中にはプライド高く、こんな仕事は留学帰りの俺の仕事じゃないと、鼻にかけるような人もいたかのようで、今度は全然英語が駄目だけれど、環境には負けず仕事を覚えるような体育会系の人間を送ってみようということで、私に白羽の矢が立ってしまったらしい。

84年1月ロンドンに派遣され、まず資金決済の為にマネーの勉強からスタートした。朝6時に出社しテレックスを整理してから、本店からのオーダーを遂行していた。だいたい午前中で主な取引が終了してしまう。マネーの動きは遅く、「いらち」の花井はじっとしていられないし、何か物足りない。

だからと言って、人事部が薦める語学学校に行くのだけはご免被りたい。一計を案じて、当時のロンドン支店のチーフ松尾久さんに「すみません。語学学校の代わりに、現地の人とパブに行って英語の勉強をさせてもらっていいですか」と申し出た。結果ノミニケーションでイギリス人やドイツ人と親しくなったら、彼らから、市場の原点は為替。とてもおもしろく深いからやるべきだと勧められる。たまたまフォレックスの手伝いをし始めたら、スピード感や相場の早い動きに動じない感じから、上司は、自分を、為替のほうが向いていると評価してくれたようだった。

■花井流ディーリングとは

 為替に興味を見出した84年12月、東京の本店ディーリングルームを刷新するから、新しくメンバーに加わるようにと、ロンドンに継ぐ研修先のニューヨークから急遽呼び戻された。若くして為替課長に抜擢された「鳴り物入り」の中山恒博さんと「ド素人」の私の初めての出会いである。「中山さん、何をしたらいいでしょう?」と訊いたら、「俺もよくわからないから、そこら辺に座っていてくれ」と言われたので、図々しく中山課長と対峙し一番課長の顔が良く見える席に座ったら、そこは豪ドルやフランスフラン(フレンチ)などの他通貨をディールする場所だった。

早朝の他通貨資金繰り等が終わったら手持ち無沙汰。中山課長に、私にもポジションを持たせてくれませんかとお願いし、豪ドルやフレンチをメインディーラーが保有出来る以上の金額でトレードさせてもらった。しかし、オーバーナイトのディーリングの経験が少なかったことに加え、多少の奢りもあり、せっかくコツコツ積み上げた利益を、何回となくオーバーナイトで失ってしまい、為替相場を生半可な気持ちでは対峙してはいけないことに気付いて真摯に臨む決意をした。

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他通貨を担当しながら、やはりいつかはドル円をやらないと意味がないと意気込むようになって、一生懸命勉強していたら、85年7月に、突然ドル円のチーフに指名された。前任のドル円ディーラーは時の東京市場で有名な澁澤稔さん。なんで花井なんだとドル円ディーラーを狙っていた人から言われたり、また当初は自分流が見つからず苦悶もしたが、花井は花井なんだから、思い通りにやれ!と同じチームで対取引先担当チーフの同期入社の角田秀三さんからの助言で目が覚め吹っ切れた。

澁澤さんはドーンとポジションを持ち大きく勝負を仕掛ける。私は、徹底的に相場に入り、相場の声を聞こうとディールを繰り返すタイプだ。好きな言葉『虫の眼、鳥の眼、魚の眼』の中の「虫の眼」で、まずは這いつくばって小刻みにやってみる。そのなかから相場の性格を知ろうとする。そしてその相場がどこへ行こうとしているか。つまり相場の直線距離(値差)より、走行距離(売り買いで動いた値幅合計)を捕える、自分なりの見方・やり方が出来た。

「鳥の眼」では、虫では見えない広い範囲を高いところから俯瞰する。興銀ではドル円ディーラーになったけれども、他の有力銀行のディーラーと比べて客観的実力はどうなのか知りたくなった。当時の邦外銀問わず看板ドル円ディーラー全員と会った。当時の日長銀の梨本忠彦さんや三井住友の高橋精一郎さんもこの時に知り合って今も交流を続けている。仕事を終わってから飲みに誘って、自分で見極め実力者マップを作り、プラスになるものはどんどん取り込み、興銀とは違う相場手法や取引先動向を学ぶことを心掛けた。

「魚の眼」では、大きな相場の潮流、来る時代の流れの捕捉。やはりそこには自分よりはるか格上の、そして日本の外国為替市場育成に貢献された大先輩や海外市場の実力者へアクセスする必要性が痛感された。

(中編に続く)

*2010年04月19日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

【前編】「虫の眼、鳥の眼、魚の眼」のディーリング
【中編】「円の歴史」から相場を知る
【後編】飽くなき探究心で為替に一生携わる

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為替ディーラーのご経歴を持つ方々に、ご自身の生き様や相場に対する考え方などをお伺いしていきます。

[取材/文]
香澄ケイト(かすみ・けいと)/外為ジャーナリスト

米国カリフォルニア州の大学、バヌアツ、バーレーン、ロンドンでの仕事を経て、帰国後、外資系証券会社で日本株/アジア株の金融法人向け営業、英国系投資顧問会社でオルタナティブ投資の金融法人向けマーケティングに従事。退職後、株の世界から一転して為替証拠金取引に関する活動を開始し、為替サイトなどでの執筆の他にラジオ日経への出演およびセミナー等の講師も努める。

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