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FXオンライン・ジャパン株式会社 代表取締役社長 ジェームズ・ガウ氏(第1回)
2009年12月07日(月)


■ウィンチェスターのカントリーボーイ
1965年2月20日、スコットランドのエジンバラで生まれました。2歳で南イギリス、ハンプシャー州のウィンチェスターに引っ越したので、スコットランド訛りはなく、私の発音はBBCイングリッシュアクセントになっています。
ウィンチェスターは、ロンドンから1時間程度。イギリスのカントリーサイドらしいとても美しい田園風景の中の、人口5,000人足らずの小さな町で、都会から遮断されたように、両親と兄弟4人で平穏に暮らしていました。本当にカントリーボーイでしたので、18歳になって初めてロンドンに出たときは大変なカルチャーショックを受けました。人の数が多いだけでなく、皆、とても洗練されていることにびっくりしました。
小さい頃はすぐにカッとなってしまう短気な性格でした。それに、とても恥ずかしがりやで、人前で話すことが苦手で人に注目されることも嫌いでした。さすがに年齢を重ねてこういった点は多少改善されましたが、今でも自分は余り外交的でない方だと思っています。

父は自分で事業をしていました。父の商売が上手く行っているときは、プライベートスクール、下火になっているときはステイトスクール(公立学校)に通わされました。プライベートスクールとステイトスクールでは学業とスポーツのレベルがかなり違います。プライベートスクールの成績はA~Bの間を行ったり来たりしていましたが、ステイトスクールに転校したら成績はトップになりました。しかし、その内に、ステイトスクールの水準に同化されてしまい、成績はまたA~Bになってしまいました。
プライベートスクールは、学業の一環としてスポーツを奨励していて、生徒はイギリスで代表的なサッカー、ラグビー、クリケットなど、多くのスポーツをさせられます。私は、プライベートスクールで5歳からラグビーを始めていたせいか、ステイトスクールではキャプテンをしていました。
■ザイールの「モンデリー」
ミドルスクール(中学校)、6th Form(高校)とラグビーに明け暮れたおかげで、心身を強化でき、良い友達も多くできました。イギリスでは過去15年に渡って、政府が資金不足を補うために、ステイトスクールの運動場を売却したため、子供たちは以前よりもスポーツをする機会が減少し、ステイト教育システムは著しく低下しました。このことは、個人的に非常に憂慮すべき事態だと思っています。私が実際そうだったように、スポーツにより子供たちは、ディシプリン(規律)やチームワークなどの大事なことを学べるからです。

子供の頃は、動物や海の生態に興味があったので、生物学者になることが夢でした。それで大学に進学する前に、ザイール(現在のコンゴ)の首都キンシャサに住んでいた母と継父の元に行くことにしました。母の伝手で、動物保護団体で働こうとしていたのですが、先方に受け入れてもらえず、困っていたときに「Oxfam」の人と知り合いました。Oxfamは1960年代にオックスフォードからスタートした世界的に有名なチャリティー団体です。
FXオンラインも3年ほど前からOxfamジャパンに協賛していて、100キロハイキングのチャリティーにも2度参加しています。昨年は500人程度が参加して、箱根の金時山を1日半かけて走破しました。といっても余りにも過酷過ぎて、私は過去2回とも残念ながら途中で挫折してしまったのですが。
ザイールのOxfamでは、ジャングルの中で働くことになりました。現地の子供たちは白人を見るのは初めてで、珍しがって私のことを「モンデリー」と呼んで髪を触ったりして、いつも私に群がっていました。モンデリーとは現地の言葉で白人の男のことを指すのです。
私は、余り戦力にはなりませんでしたが、それでも魚の養殖池を作る手伝いをしました。このジャングルの村には電気が通っていなくて、自動車も数台しかないので、冷たいビールを飲むには10キロほど歩かなくてはなりませんでしたが、1日中外出できるし、それに10キロ歩いた後のビールの美味さは格別でした。Oxfamの仕事だけでなく、ザイールに居る間は旅行もしました。最も印象的だったのは、全長1,500キロにおよぶコンゴ河のボートクルーズでした。
■「インディー・ジョーンズ」の夢破れる
1年経って、英国に帰国した途端にザイールの水が問題だったのでしょうか、肝炎になってしまい、6ヶ月間の闘病生活を送る破目になりました。25年経った今でも、お酒をたくさん飲んだ翌日はとても苦しむことになります。
オックスフォード・ポリテクニックに行こうと決めたのはかなりいい加減な考えからでした。アフリカに居た時に、将来どうしようかと悩んだのですが、よく分からなくて、友人にどこか地質学の勉強ができる学校を探してくれと安易に頼んでしまったのです。彼が願書を送ってくれていたので、面接に行って受かることができました。
オックスフォード・ポリテクニックは地質学では有名な学校ですが、自分の成績は決して良いものではありませんでした。私は、勝手に「インディー・ジョーンズ」のように世界を股にかけ、時にはジャングルの奥まで分け入って探検するイメージを思い描いていましたが、現実の地質学は、顕微鏡を覗き込む辛気臭い仕事でした。
学校での最初の1年は非常に楽しいものでした。キャンパスの近くに6人の友達と一軒家を借り、毎日パーティー三昧。このせいで、私を除く全員は退学処分となってしまいました。私はなんとかかろうじて、この処分を免れましたが、3年間で卒業するところを4年かかってしまいました。
(第2回に続く)
(第1回)地質学は「インディー・ジョーンズ」ではなかった
(第2回)日本でのビジネスを夢みる
(第3回)日本初手数料無料化のエポックメーカー
(第4回)大型提携で新たな飛躍を目指す
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