ThePresidents
サザインベストメント株式会社 代表取締役社長 広布文夫氏(第2回)
2009年10月12日(月)


■大学では麻雀ばかり
大学は、付属高校から、そのまま立教大学に進学しました。皆がいろいろ受験勉強をしている時に何もしなかったので楽でした。受験勉強の代わりに、麻雀ばかりしていました。俗に言う徹麻(テツマン)もよくやっていました。
麻雀の面白いところは、単に勝ち負けを競うだけではなく、ルールが複雑で、相手を前に自分の戦略を考えるところにあります。相手が攻めているときに自分はどうするか。攻めるべきか守るべきか。こういうことを考えるのが楽しいのです。
大学へ行っても、授業に出ずに、麻雀屋によく行きました。学生でしたが、そのうち社会人ともやるようになりました。社会人はちょっとレートが高いですから、バイトで稼いだお金を見て、「よし、今日はできるぞ」という感じでした。
■就職活動はコネ
大学では経済学を専攻していましたが、卒業後どんな仕事をしようかといった展望は何もありませんでした。自営業をやるにしてもお金なんかありませんし、今みたいにベンチャー企業をする、といったノウハウも全然持っていませんでした。何となくサラリーマンになろう、という感じでした。
そんな感じでしたから、就職活動は、あまりしませんでした。私がした就職活動といえば、議員会館に行くことと、叔父さんに就職相談をするくらいでした。

広布家の本家がある高崎は、元首相の中曽根康弘さんの選挙区で、本家は中曽根さんの後援会をやっていました。当時、就職だったら、議員会館に行って、中曽根さんのコネを使うのが一番いいといわれたので、大学4年の時に議員会館に行きました。そこでは、国際電信電話(KDD)を薦められました。
一方、叔父さんが、大和証券に勤めており、大和証券にもそれなりのコネがありました。あいにく、この2社の説明会の日程が重なってしまい、とりあえず大和証券に先に行きました。すると、その説明会の席上でいきなり内定が出たので、大和証券に決めました。つまりコネで決まったのです。
ただ、当時の証券業界は、厳しそうだな、という意識がありました。一方、KDDは、海外に行けそうですし、なんかカッコよさそうに思えました。しかしKDDは、大和証券と違い、すぐに内定が出なかったので、結局、大和証券を選びました。
■証券営業で頭角を現す
入社して3年間は、本店第2営業部に所属していました。新人が、最初から荒波にもまれる支店に出すと大変だからということで、インストラクターがいて、新人教育をしてくれる部署でした。
私は、自分で言うのもなんですが、結構、好成績を残しました。本店第2営業部の次に日比谷支店に移動しても、課長や次長クラスの結果を出していました。
結果を残すコツとして、自分で計画を立てる、というものがあります。たとえば中間とか期末試験の時も、教科ごとに、1日あたり何ページまでやればだいたい間に合う、という計画を立てます。あれと同じ要領です。仕事の場合、ノルマを達成するにはどうしたらいいかを考えます。
たとえば、営業資産をためるためには、最初から株を売りに行こうとしてはいけません。まずは、割引債券の1年満期のものを売ります。1年後、償還になりましたら、今度は株やりましょう、と勧めます。ただ、株を初めてやるお客様の場合、まずは、電力株のように配当もついて、あまり値段が動かないものにします。配当は銀行預金よりも大きいことが分かっていただけたら、今度は会社のキャンペーンを紹介して、だんだん普通の株を勧めていきます。
私の場合、だいたい5回くらい訪問すると、お客様になっていただきました。あまり知ったかぶりをせず、新人ということで、かわいがってもらうケースが多かったです。そうすると、5回、10回と行くと、1回オーダーでも出そうかっていう感じになります。ですので、営業のときは、朝から晩までよくまわっていました。他の人のやり方を見ると焦りも出ますので、今のFXの仕事と同じで、まわりを見ないで自分のやり方でやる、というスタイルでした。
■仲間を裏切れず外資系証券のオファーを断る
私が入社したときの大和証券の初任給は、10万6,000円ぐらいでしたが、毎月ほとんどなくなりました。証券業界の方々は、飲みに行くとお金の使い方が荒いのです。飲み会も1次会ですまず、2次会、3次会と続きます。支払いはいつもツケです。麻雀も、その場でツケです。貯金することはできません。
入社当初は給料が低くて閉口しましたが、3年目あたりから給料がだんだん上がってきました。入社して6、7年経ったころには、1回のボーナスで300万円くらい貰うようになりました。また私は、かなり稼いでいたほうだったので通常のボーナスとは別に特別賞与ももらっていました。

そうした状況でしたが、外資系の給料の高さにはびっくりしました。私が日比谷支店にいた頃、ソロモン・ブラザーズのオフィスが近くにあったのですが、1回のボーナスが3,000万円くらいだと聞いたことがあります。彼らは、ゼロクーポンをアメリカから買い取り、鞘を抜いて機関投資家に売っていました。そのスプレッドが大きいので、何億単位でやれば、かなり儲かります。当時は、国内にいるよりも、やっぱり外資系はすごいのだと、びっくりしました。
そんな頃、ファースト・ボストンから、年収5,000万を3年間は間違いなく保障する、という話が来ました。当時、先方の担当者と何回か会い、どうしようかと悩みましたが、結局は断りました。というのも、先方からは、大和証券で持っている客を全部つれてこい、という条件をつけられたのです。
年間5,000万の給料、ということは、最低でも、その10倍は稼がなくてはいけません。当時は、私が担当しているお客様を使えば、まあまあいけるかなと思いましたが、それは大和証券に対する裏切りになります。やはり、それはまずいだろう、ということで先方の話は断りました。
(第3回に続く)
(第1回)野球好きで女性にモテる子供が男子高へ
(第2回)コネ入社の新卒が優秀な営業マンに
(第3回)サンタバーバラで人生のあり方を知る
(第4回)信頼関係に基づくFXビジネスの構築へ
>>「ThePresidents」インタビューラインアップに戻る
関連タグ :
Posted by ThePresidents