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クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島秀行氏(第2回)

2009年07月20日(月)

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■福岡でハードな3年間を過ごす

新日本証券に入社後、東京で1カ月くらい研修をしてから福岡支店に配属となりました。私が入社する前年までは、新入社員でも、いきなり本部や本社に配属する場合もあったそうです。しかし私が入社した頃は、証券業界は不況になっていましたので、営業強化という名の下、新入社員はまず、支店に配属されることになったのです。

結局、福岡支店には3年間、勤めていました。入社当初から、何度も会社を辞めようと思ったこともありますが、部活と違い、会社をすぐに辞めるわけにはいきません。当時は、終身雇用制が信じられていた時代ですから、今みたいに中途採用も全然ありませんでした。会社をすぐに辞めてしまうと、今までの努力が水の泡となってしまうと思いました。

福岡での3年間はまさに、我慢の3年間でした。業務は基本的には外回りの営業です。飛び込みで営業して、注文をいただく仕事です。当時は、社会全体が不況ということもあって、株を始める人もあまりいません。相当しんどい仕事だと思います。入社して、すぐに辞めていく方もいました。

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当時は、営業成績には非常に厳しかったので、成績が悪いと、厳しく活を入れられることも多かったです。それでも、私は運が良かったのか、それなりの成績を残すことができました。昔から、株や世界の経済に興味を持っていたので、当時、株をされていたご年配の方とも話がうまくできていたのかもしれません。

朝、会社に到着すると、11時くらいまでは支店にいます。前場が始まる9時前までは、事務処理をしたり、米国のマーケットの状況を確認したり、打ち合わせをしたりします。前場が始まってからは、お客様に電話をし、見込み客が出てきたら、午後に新規開拓に行きます。外では一軒一軒訪問し、呼び鈴を鳴らします。平日に普通に行っても、7割くらいは不在です。誰かがいたとしても、ほとんどは「間に合っています」と、断られます。

営業成績は良かったほうですが、支店などで1番になるほど良かったわけではありません。日本全国に散らばる同期同士のランキングで100人中10番目ぐらいの位置にいました。ただ、この程度でしたら、別に褒めてくれません。それだけ当時は、営業成績に厳しかったのです。

新日本証券は、福岡での3年間で辞めることになりました。仕事上のちょっとしたことで、怒られたことがきっかけでした。通常であれば「これから頑張ります」と言えば、だいたいそれで終わる話です。しかし、その時は、新しいことをしたいという気持ちが芽生えていましたから、一歩踏み出すちょうどいいタイミングであったのかもしれません。しかし、次のあてがあって辞めたわけではありませんでした

■兄の計らいでロサンゼルスでの語学留学

新日本証券を辞めた後、証券会社でお客様に投資を勧める側ではなくて、VCといった投資をする側で仕事がしたいと思い、大阪に戻って、就職活動を始めようと考えていました。ちょうどそのとき、私の兄がある銀行のニューヨーク支店にいたのですが、その兄が、せっかく辞めたのであれば、アメリカで英語の勉強をしたらどうか、と強く勧めてきました。しかも、お金も貸してくれるというのです。

これは、いい話だと思い渡米しました。平成8年の7月くらいのころです。ただ、兄がニューヨークにいるものですから、できるだけ離れたところで勉強したほうが良いと思い、ロサンゼルスで生活をすることにしました。

ロサンゼルスでの生活は楽しいものでした。最初の3カ月間ぐらいは、全然英語ができなかったのですが、3カ月ぐらいすると、英語はしゃべれなくても生活に慣れてきます。そこで、アパートを借りて、車も買いました。

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ロサンゼルスでは語学学校に在籍していましたが、そこは韓国人と日本人が生徒全体の4割ずつを占め、10%から15%ぐらいは中国人。たまにロシア人とかがいるという構成でした。

語学学校のカリキュラムはあまり厳しくなく、朝10時くらいに授業が始まり、昼の2時くらいには終わります。そのあとは、車に乗ってドライブでいろいろなところに出掛けたり、英語も覚えなければいけないということで映画を観に行こうかとか。そんな生活でした。

新日本証券でハードな生活を3年していたこともあって、ロサンゼルスでの生活から抜けるのは大変でした。正直、日本に帰りたくありませんでした。ただ、生活資金が底をついてきましたし、いつかは戻って就職しなくてはいけないと思っていたので、日本に帰ることにしました。平成9年の9月くらいのことです。結局、ロサンゼルスには1年ちょっといたことになります。

(第3回へ続く)


(第1回)日経新聞を読む子供
(第2回)ハードな飛び込み営業からロサンゼルスでの楽しい生活
(第3回)証券会社のキャリアをシステムに切り替える
(第4回)立ち上げたネット証券の総合化を目指して

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