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ヒロセ通商株式会社 代表取締役社長 細合俊一氏(第3回)

2009年06月29日(月)

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■興味本位で自衛隊に入隊

大学を辞めた後、アルバイトをしたり、ブラスバンドをしたりしてブラブラした後、23歳のときに自衛隊に入隊しました。当時、ベトナム戦争がありましたので、自衛隊って何だろうか?という思いで入ったと思います。まったくの興味本位でした。

自衛隊に入隊すると、まず始めに教育隊に入ります。当時、教育隊は、滋賀県の大津市にありました。教育隊では、まず朝6時に起きます。6時に起床ラッパが鳴りまして、6時5分には、服を着て運動場に並ばないといけません。ただ、だからといって、6時前に起きることは許されません。あくまで6時に起き、6時5分に運動場に並ぶことが大事なのです。

運動場で並び終わると、まずは朝礼です。そして、自衛隊体操と続きます。その後、1Km程軽く走り、朝食となります。あとは、授業を受けたり、小銃のお手入れをしたり、それを撃ったり、泥の中を這いずり回ったりしました。教育隊での生活は、せわしなく、自由のないものでした。

教育隊では、二段ベッドで20人ぐらいが一つの部屋に入ります。このため、プライバシーも何にもありませんし、あいつとあいつは仲が悪いとなったりすると雰囲気がかなり悪くなります。こういう変な緊張感があった時に、皆で外に出て酒を飲み軍歌を歌います。このとき、はじめて、酒の効用を知ることができました。

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自衛隊には、いじめられっ子が入ってきたりしました。おそらく、お父さんあたりから、自衛隊に行って鍛えてもらえ、といわれたのでしょう。ですから、晩になると泣いています。この子は、回れ右ができませんでした。回れ右って号令がかけられると、緊張して足がもつれるのです。しかし、酒を飲みますと、普通に回れ右ができるんです。

こういう子は、普段からよほど抑圧されて生きているのだと、皆が理解しました。こういう子に対して、自衛隊の方々は優しいのです。陸上自衛隊は、行き場所のない方々が集まる吹き溜まりみたいな要素があることを感じました。

自衛隊には、1年半ぐらいしか所属しませんでした。あまり長く所属すると、階級が上がり、辞めるのが難しくなります。また、特に軍隊や規律が好きなわけではありませんでした。もともと、自衛隊とはどんなものかを経験しようと思い入隊しただけですので、長居するつもりもありませんでした。ただ、短い期間でしたが、周りの皆さんに可愛がっていただき、人間付き合いや、体と心の良い姿勢の大切さ、集団行動での動き方など、本当にいろんなことを学ばさせていただきました。

■小包配達から商品業界へ

自衛隊を辞めた後、大学を正式に中退しました。そして、八尾郵便局の小包配達の下請けの仕事を始めました。はじめはバイトとして始めましたが、どうせなら下請け会社に入社したら、ということで、そのまま入社しました。

小包配達の会社では、車と荷物を与えられ、捌いたら終わりでしたので、拘束時間は7時間ぐらいと短いものでした。このため、夕方からは、八尾東高校の吹奏楽部に顔を出していました。八尾東高校では吹奏楽部ができたばかりだったので、独り立ちできるまでの間、何かお手伝いができないかということで、特別顧問みたいな形で出入りしていました。

小包配達の下請けの仕事を30歳まで続けた後、結婚を機に遅ればせながら定職に就くことを考え、北辰商品という商品先物会社に転職しました。求人雑誌でおもしろそうな求人を見つけたので、応募したら採用されました。

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北辰商品の大阪支店に入社後、京都支店でベテランの女性が辞めることになったということで、京都支店に配属になりました。辞める女性がバックオフィスを担当していたので、私も同じ業務を担当することになりました。
しかし、ベテランの方が担当していたことを新入りが引き継ぐわけですから、なかなか大変でした。ほとんど一からの勉強ですので、全てを消化するのに数カ月を費やしました。当時は、委託者別勘定元帳を手書きで記入していました。追証計算もお客様全員分を毎日、手計算で実施していました。

作業があまりにも大変なので、ポケコン(ポケットコンピュータ)を購入し、お客様のポジションを入力しておき、その日の終値を入力するだけで、すぐに結果が出てくるようにしました。それまでは、コンピューターなんてものは、ものすごく嫌いで、こんなもの人間の近づくものではないと思っていました。しかし、同じ作業を何度もやっていると、スピードと正確さという面で、やはりコンピューターを使うべきという結論に至ったのです。

北辰商品へは当初、営業として入社しましたが、このような経緯でバックオフィスを担当することになり、そのまま事務方をずっと続けていました。仮に営業担当のままでしたら、おそらく結果が出ずに辞めていたと思います。私は、面倒くさがりですし、基本的に人間関係をこちらから積み上げてゆくのはあまり得意ではないのです。

北辰商品では京都支店と大阪支店で、ほとんどすべての部署を経験させていただきました。本社にしかないITやFXの大阪支店窓口なども担当しました。おかげさまで支店全体を具体的に把握することができるようになったと思います。25年ほど勤めた頃、北辰商品は、人員整理の方向へ動いていき、私より年上の人間がどんどん減っていく状況になりました。私より上の人間が役員だけという感じでした。この頃、本業の商品取引は、ものすごく伸び悩んでいました。一方、FXはものすごく勢いがあることを感じていました。

そんなとき、友延君(現ヒロセ常務)がFXの会社を作りたいということで、私に声をかけてくれました。長年お世話になった北辰商品で学んだ事を実戦で活かせる良い機会かなと思い、一緒にやることにしました。準備期間を経て、2004年3月からヒロセ通商としてFXの仕事をスタートさせました。

(第4回へ続く)


(第1回)河内で世の中の難しさを学ぶ
(第2回)指揮者が全学ストへ突入
(第3回)自衛隊員がFX会社の社長へ
(第4回)証券業界と肩を並べるFX業界へ

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