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ヒロセ通商株式会社 代表取締役社長 細合俊一氏(第2回)

2009年06月22日(月)

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■トロンボーン奏者から指揮者へ

吹奏楽部に入部した直後はトロンボーンを吹いていましたが、高校1年の秋ぐらいから指揮係になりました。トロンボーンは2人いたので、私は指揮者に代わったのです。

高校1年の途中で指揮者の係になって、最初は何をしていいかわかりませんでした。一度やって、「ちょっと元気ないな、もう一回」とか、そういうレベルです。まずは、音楽の教科書に書いてある通りに指揮棒の振り方を真似する。そこから始まり40年以上続けてきてやっと「指揮らしきもの」になったのは、ごく最近だと思っています。難しさがわかってきたのが、やっぱりここ5年です。弊社でのいろんな体験が、指揮の成長に大きな影響をもたらしたと思います。

今だから言える話ですが、指揮者の楽譜には大切な事は具体的には何も書いてないのです。当たり前ですが音譜だけが書かれています。楽器の演奏者がそれぞれ皆が好き勝手に色をつけて吹いたら、トータルで色になりません。指揮者は、演奏団体全体に色づけをする役割です。ここの表情はこうしようと。もっとこんな感じ、この辺でこう落として、ここは、こういうカラーで、もっと優しく、今のきつすぎる、もっと優しく、今のは弱すぎるからもっとはっきりと、など。そういう色合いをつけていく係が指揮者だと思います。

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指揮者のもう一つの役割は、客観的な立場に立つことです。管楽器の演奏者は、管楽器が歯に当たっているから、耳から入ってくる音よりも歯から入ってくる音、骨伝導のほうを強く聞きます。つまり、管楽器の演奏者は、自分がどんな音を出しているかが分かり難いのです。このため、客席にどう聞こえているかを奏者に伝える客観的な者が必要です。これが指揮者のもう一つの役割です。

指揮者は調整役でもあります。音のスピードは有限なので、演奏者が同時に吹いているつもりでも、広がりが出てくれば、前の者と後ろの者との間でズレが生じます。前の人の音を聞いて後ろの者が吹くと必ず遅れがでます。そうした状況を調整するのが指揮者なのです。

指揮者の色づけというのはフィーリングです。指揮者の感性で勝手にやる。だから、それが奏者にとって妥当で、皆に受け入れてもらえれば良い指揮者といえます。皆が受け入れてくれなければ駄目な指揮者というより、指揮者を続ける事が難しいと思います。

言い換えれば、指揮者の言うことを聞いて実行してみようと思うか、そうではないか。指摘や指示は伝えますが、受け取った奏者が納得してやっているかどうかは、やはりわかります。わがままは言いますが、お互いに納得できるあたりを手探りするわけですから、迎合している部分も結構あります。迎合の度合いが強すぎたら面白くない。わがままが強すぎたら誰もついてこない。そのバランスが難しいし、おもしろいのです。

■音楽に熱中するあまり浪人へ

高校生のときは、音楽に熱中していて、勉強はしていませんでした。当時の府立の高等学校は、祝日だろうが日曜日だろうが宿直の先生がいましたので、その先生に声をかけておけば、いつでも練習ができました。高校2年の時は、365日練習をしていました。

高校生のときに勉強しなかったこともあり、大学に入学する前に一浪しました。高校生のころから大阪大学を志望していましたが、音楽ばかりやっていましたので、ぜんぜん駄目でした。

浪人しましたが、予備校に通うお金もありませんでしたし、自宅や図書館で勉強しました。このときは、さすがに音楽よりも勉強に割く時間のほうが長かったと思います。そのおかげか、大阪大学理学部物理学科に入学することができました。

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当時の大阪大学の入学試験は、例えば物理とか数学は、問題数が4つくらいですが、試験時間が3時間ぐらいありました。暗記物ではなく、ゆっくり考えて、頭を使い、自分がその場でパッと思いつくかどうか、ひらめくかどうかを試されていました。私は、そういうスタイルの試験が好きでした。

音楽のように芸術的な領域と、理数系の領域の二つを考えると、私は、理屈っぽいほうだと思います。すごく分析的ですし、理屈っぽく、結構偏屈だと思っています。でも、音楽と接することで少しは角が取れているような気がします。

自分にとっては音楽は、もはや趣味の域を外れ、一種の仕事に近いと思います。棒を振るとなると、練習でもまず休めません。今日は忙しいからごめん、ということは、よほどのことがないとできないのです。演奏会など、ステージがあれば私は親が死んでも行きます、おそらく。

■大学入学直後に全学ストに直面

大学に入学した年、1968年の夏に、いわゆる全学ストがありました。全学ストは、安保闘争からの流れで起きたものでした。70年安保が社会的な議論となり、そうしたなか、自分たちは勉強だけやればいいのか、という議論が活発になりました。沖縄からベトナムへ爆撃しに行っているというなか、我々はこれでいいのか。それはだめだろうと。だから、クラスで決議し、やはり戦うべきとなるわけです。

学生運動というと、バリケードや投石などの乱暴なイメージがあると思いますが、一応、手順は踏まれているわけです。クラス単位で議論し、全学集会が開かれ、そこでいろんな意見を戦わせ、ベトナム戦争に反対する意思を表示するためにストライキをしましょうと可決されたわけです。
今の大学生たちと比べると、我々は純粋だったと思います。意外でしょうが、1年の時の出席率は100%です。誰も休まず、全員出席があたりまえでした。大学には勉強をしに来るわけです。勉強も一生懸命ですし、安保闘争も一生懸命なわけです。

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ストライキを続ける中で校舎にバリケードが張られました。教授は中に入れませんが、学生は割と自由にバリケードの中に入っていって、お茶を飲みながら活動家達と議論をしていました。授業はありませんので。

当時の学生の行動をまともに経験していれば、それはトラウマになっているでしょうし、逆に、まともに取り組んでいなければ、それは引け目になっていると思います。ただ、このときに経験したことは、その後の人生に大きく影響を及ぼしたと思います。同じ一つの現象を見ても、そこには色々な感じ方、考え方、捉えかたがあり、それに対して自分は主体的にどう動くのかが問われるわけです。何も行動しないのは、現状に賛成であるという意思表示ということです。民主主義の原点である国民主権には責任が問われるということを突き付けられたのです。社会の一員としての主体的行動と、それに対する責任という考え方は納得のできるもので、今もその影響下にあるような気がします。しかし、活動家達のいう「革命」は、あの頃の日本にはそぐわないと思いました。真剣である、真面目であることは認められますが、彼らが正義で、反対者は悪という考え方は納得がゆかず、次第にバリケードから距離を置くようになりました。

大学に行ってもバリケードで授業はありませんから、授業がない間はアルバイトをするようになりました。ストライキが終結してから大学には戻りましたが、大学の授業はストライキの前後で大きく変化していました。ストライキ前は、偉い教授が1回生に対し学問の最先端を熱く、しかもわかりやすく説明していただいたものが、ストライキ後は、普通の授業になってしまっていました。それなりには興味もあったのですが、私が考える大学のあるべき姿とのギャップが大きくなりすぎてしまったので辞めてしまいました。結局、熱心に大学に通ったのは、1年の前期だけでした。

(第3回へ続く)


(第1回)河内で世の中の難しさを学ぶ
(第2回)指揮者が全学ストへ突入
(第3回)自衛隊員がFX会社の社長へ
(第4回)証券業界と肩を並べるFX業界へ

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