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ヒロセ通商株式会社 代表取締役社長 細合俊一氏(第1回)

2009年06月15日(月)

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■ひたすら遊ぶ小学生

1948年12月3日に西淀川で生まれました。ただ、4歳からは、ずっと大阪府八尾(やお)市に住んでいます。八尾は、河内(かわち)、中河内のど真ん中、いわゆる河内です。河内は、おそらく柄の悪いところのイメージが強いと思います。勝新太郎さんの映画『悪名』の舞台も河内です。河内男節ですとか、ああいう感じのわりと男っぽい土地だと思います。ただ私の家は、新興住宅地でしたので、河内らしくないところでした。近所の旧村に住むおばあちゃんが話す河内弁は、今でもほとんどわかりません。

家族は、四つ下の弟が一人の4人家族でした。住んでいた地域が新興住宅街なので、弟も含め、周りには同じくらいの年頃の子供が多くいたので、みんなで集まってにぎやかに遊びまわっていました。隣近所のおっちゃん、おばちゃんも、自分の親のように接してくれました。

父は、会計事務所で仕事をしていました。会計士の資格を45歳で取って、事務所を開いて、さあ、やるぞ、といった時に亡くなりました。46歳でした。父が亡くなったとき、私は中学を卒業してすぐの頃でした。私は、あまり詳しくは知りませんでしたけど、多分ガンだったと思います。進行が早かったのです。母は、父が亡くなった後、八尾に出来た文具メーカーの工場に勤めていました。

ちっちゃい頃の自分を振り返ると、特徴のない平々凡々の子供だったと思います。あえて変わっている点をあげるなら、皆で魚とりしたときに、道に引き上げた泥の中に生きている魚がいたら、川へ戻していたところでしょうか。無意味に命を奪うのは嫌、という感覚が無意識的にあったのだと思います。

自分が小学生だった頃は、近所で皆で遊ぶのが自然でして、勉強しろ勉強しろと煩く言われる時代ではありませんでした。電化製品がまだなかったので、母親は家事で忙しかったのだと思います。外で遊んでいて、家族が「ご飯やで」と呼べば、帰宅する感じでした。ひたすら皆と遊んでいた時代でした。

■学校に来ない友人宅を訪問し衝撃を受ける

中学に進学してからは、鉄棒ばかりしていました。私の時代は、いわゆる団塊の世代で、設備の整った体育館などはなく、ひたすら運動場の鉄棒の下にいた記憶しかありません。私が入学した中学では、体操部がありませんでした。ただ、鉄棒好きな者が集まり、皆でワーワー言いながら鉄棒ばかりしていました。すると、2年の終わりくらいに体育館ができ、体育施設ができたので、体操部ができました。中学3年からは体操部として活動しました。

私がいた中学校は、結構荒れていました。学校にはボスみたいな者が、2、30人のグループを作り、窓ガラスを全部割って歩いたり、授業を妨害したりしていました。授業は、かなり難しい状況でした。

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初めのうちは、何が起きているかまったくわからない状況でした。ただ、話を聞く中で、そうした行為をする人たちの言い分も少しは理解できるようになってきました。彼らの家は、ものすごく貧しかったので、きちんと小学校に通えてないのです。小学校に通っていませんから、中学校に進学したところで、中学校の授業なんてわかるはずもありません。先生から「理解できなくても良いから、おとなしく座っていてくれ」と言われても、それは納得できないと思うのもわかります。

これは、結構、根の深い問題です。中学校に進学しても、学校に来ない子もいました。それは、登校拒否とかではなく、働いているのです。家に余裕があるところしか子供を学校にやれない。小学校の上級生になればもう働ける。まだそんな時代だったのです。

自分の家が裕福だったわけではなく、私の家も含め、貧乏なのは普通でした。ただ、貧乏にも様々なレベルがあります。私は、中学のときに生徒会の役員をやっており、学校に来ない子の家へ先生が訪問するのについて行ったことがあります。その子の家は、人の家を通らないと行けないところにありました。つまり、いくつか部屋があるのですが、よその家を通らないと、その人の家に行けない。「えっ、こんなんありなの?」と驚きました。貧困のレベルが違う。

先生が、中学校に来ない子の親御さんと話をすると、親御さんは、うちの子は大事な労働力なのだから取らないでくれ、と話していたのを覚えています。大事な労働力なのだから、学校につれて行かれたら困ると。つまり子供は立派な働き手なのです。そうしたやり取りを間近で見て、世の中は、思っている以上に平坦ではない、と感じました。

今思えば、そうした経験を通じて、世の中のことを思い浮かべた自分は、幼稚だったと思います。ものすごく奥手だったのでしょう。とはいえ、やはり、あの時の印象は、今でも結構、自分の中に残っています。奥のほうで、私の中で影響を与えていると思います。

今は、学校に行かないことは、登校拒否を意味します。自分が学校には行きたくない、ということはあっても、行きたくても家庭の事情で行けないということはありません。昔はそういうことがあったということです。

中学を卒業し、大阪府立八尾高校に入学しました。私学なんて受ける時代ではありません。私学は、金持ちの子供が行くところでした。今と時代が違います。

■高校では吹奏楽部に

高校では、吹奏楽部に入部しました。鉄棒をしていたものの、中学校の時から、音楽は好きでした。レコードは買えませんし、家にレコードプレーヤーがなかったですから、中学校では音楽の先生に頼んで音楽鑑賞会を開いてもらい、いろんな音楽を聴かせてもらっていました。

吹奏楽部では、トロンボーンを吹いていました。吹奏楽部に入部したときに割り当てられたからです。子供の頃に従妹から貰ったオルガンを弾いていたことがあるので、楽譜は読めたので、あとは練習するのみです。朝はまず部室へ行き練習します。部室といっても音楽室ですが。そして、授業を受けて、昼休みは音楽室で練習します。そして、授業を受けて、また音楽室です。

高校2年の時からは、音楽室の鍵を預かっていました。先生と私で鍵を一つずつ持っているのです。先生には、いろいろとお世話になりました。ピアノを弾かしてもらったり、音楽理論を教えていただいたりしました。

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トロンボーンという楽器は、トランペットやフルートと比べると、少し低い音が出ます。トロンボーンは、おもしろい楽器でして、吹奏楽の中では比較的やさしいのです。それなのに、かっこいい部分が出てくるというか、スポットライトを浴びる部分があります。トロンボーンを中心として中音が歌い込むところがあるのです。トランペットやフルート、クラリネットは音が走り回ることが多く演奏が難しいのです。

吹奏楽部では、市主催の音楽会に参加したり、文化祭、体育祭で演奏していました。当時からコンクールなどがありましたが、ああいうものは、お金持ちの子息が通う私立学校のものでした。コンクールに勝つためには、よい楽器を持つことが必要ですので、お金がかかるのです。

きちんとした楽器がほとんどない時代でした。ただ、八尾高の場合、たまたま、私が高校に通う数年前に八尾高校の野球部が甲子園に行き、応援団が必要だということで、ブラスバンドができたのです。その時に買った楽器が残っていたので、私が入学した頃には、吹奏楽部が一応形になっていたのです。とはいえ、相当傷んだ楽器も多く、少しの故障なら自分で工夫をして、だましだまし使っている状況ではありました。

(第2回へ続く)


(第1回)河内で世の中の難しさを学ぶ
(第2回)指揮者が全学ストへ突入
(第3回)自衛隊員がFX会社の社長へ
(第4回)証券業界と肩を並べるFX業界へ

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