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NTTスマートトレード株式会社 代表取締役社長 中澤豊氏(第3回)

2009年04月27日(月)

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■国会担当として民営化作業を担当

電電公社では、入社後3年間は、見習い扱いとしていろいろな部署で仕事を経験するのが慣例でした。私の場合、入社後1年間は、石川県の小松電話局に配属され、窓口対応や電話線の保守、交換機の管理、運用業務などを経験しました。運用業務とは、いわゆる番号案内です。見習い扱いですから、後ろで指導員が付いていたのですが、「はい、104です」と私が出ると、男性の声にお客様がびっくりして切ってしまうこともありました。また、お客様が、市役所のある部署の電話番号をご要望されたときに、私が必死に調べていたら、「いつまでかかっているんだ」と怒られたり。なかなかストレスの多い仕事でした。

小松電話局に1年間いた後、東京本社の総裁室文書課国会担当に異動になりました。電電公社が民営化されることに決まり、電気通信事業法の改正や、日本電信電話会社法(NTT法)を国会に通すための準備作業を手伝うことになったのです。

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私が社会人になったばかりのころの電電公社では、様々な部署を経験させて、いわゆるゼネラリストを育てようという文化がありました。入社二年目で会社の組織も何もわからない私が、民営化の準備作業をすることになったのも、社員育成の一環だったと思います。

国会担当の仕事は、中央官庁の業務そのものでした。仕事の主な内容は、逓信関係の国会議員の理解を得ながら、いろいろな意見を法案の中に盛り込んだり、電電公社の幹部が国会で答弁をするための原稿の準備をすることでした。

国会担当の仕事は、時間的にも精神的にもハードでした。国会議員からの質問待ちなどで、会社に泊まるか、朝帰宅してすぐにシャワーを浴びて、また出社するような生活が続きました。自分で判断して動いているわけではなく、とにかくやらなければいけない、という使命感で動いていた状況でした。兵隊みたいなものです。

■出版事業の立ち上げ

昭和60年に電電公社がNTTとして民営化された後、広報部に異動になりました。民営化されたNTTの新しい企業イメージや企業文化を、どのように作り上げるか、というプロジェクトにかかわりました。

企業の広報活動というと、テレビや新聞に広告を出す宣伝業務が花形ですが、私が取り組んだのは、出版物を通じて企業メッセージを発信していこうという、広報部の中ではマイナーなプロジェクトでした。広告は一般消費者に商品やサービスを訴求するには有効ですが、企業の理念やイメージを、有識者、いわゆるオピニオンリーダーに伝えるには有効とは言えません。そこで、出版物を通じて、NTTの考え方・理念をピニオンリーダー層に届けるPRができないかと考えました。

入社前はジャーナリストになろうと思っていたこともあり、マス広告よりも「活字文化」の方に魅かれていたことも出版をやろうと思った理由です。当時は、普通の企業が出版活動をするというのは一般的ではありませんでしたが、パルコ出版などの企業出版の動きも出始めていたので、NTTも出版を通じて、NTTが進める高度情報社会のあり方の研究や啓蒙活動を図ろう、という企画を出しました。この企画は、現在のNTT出版につながっています。当時のNTT広報部は、若い社員に企画を任せ、自分で形にしていく、ということを許してくれた自由な組織でした。NTTの出版事業を評価してくれる有識者は少なからずいますし、今でもNTT出版社が社会的な役割を担っていることも嬉しく思っています。

広報部には2年半在籍しましたが、振り返ってみても非常に楽しい時期でしたし、自分がなんとかこの会社でやっていけるという自信もこの時代についたと思います。

■国土庁で中央官僚のレベルの高さを知る

広報部の次は、国土庁(現国土交通省)に出向になりました。国土庁は、日本の国土の均衡ある発展を目指して作られた官庁の中では比較的新しい組織でした。最初の全国総合開発計画(一全総)は1962年でした。私が国土庁に出向したときには第四次全総計画、いわゆる四全総が進められており、国は、日本の国土をバランスよく発展させようと注力していました。当初の全総計画は、道路や鉄道の整備が中心でしたが、四全総のときは、通信が東京の過密の解消と地方の発展に果たす役割が大きくなるだろうということで、でNTTから国土庁に人を派遣していたのです。

国土庁という役所は、いろんな省庁から人々が集まっている寄り合い所帯でした。また中央官庁だけでなく、私みたいにNTTから来た人もいれば、電力会社から来る人もいましたし、都庁から来る人もいました。国土庁に派遣される方の多くは、それぞれ出身母体で7〜8年のキャリアを経て来ていましたので、出身母体の文化や性格みたいなものが、話し方とか振る舞いに出てきて、すごく面白かったです。ある意味、ちょっとした大きな下宿でした。

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最近、中央官庁で働く人たちに対する風当たりが強いですが、私としてはそうした風潮に少し違和感を抱いています。国や行政のシステムが硬直化していることは確かですが、中央官庁で働く一人ひとりの人たちは、ものすごい自己犠牲を払って仕事をしています。いろいろと利害関係が絡まっているものを、我慢強く、一つ一つ調整し、解きほぐして最後の形までしていかないと法案ひとつ通りません。そのための労力はすごいものです。官庁職員のそうした献身的な仕事も評価してあげないと日本のためにならないと思います。

国土庁で働いているときも国会が始まれば帰宅は深夜になりますただ、その頃も、それが辛いとは思いませんでした。おそらく私は、結構、組織の仕事が好きなんだと思います。

■ICC設立を通じて人脈を広げる

国土庁で2年間、仕事をした後、信越総支社の電報電話課の課長として2年間、長野に勤務しました。電報電話課は、ISDNなどの電話回線の販売や公衆電話を設置・管理する業務を担当する部署です。当時はテレホンカード関連のトラブルも多く大変でしたが、長野の風土がすっかり気に入って、充実した2年間を過ごしました。

その後、NTTが初台のオペラシティの中にインターコミュニケーションセンター(ICC)という文化施設をつくるプロジェクトが持ち上がり、ICC推進室長として着任しました。当時、電話100年記念ということで、NTTグループの文化事業としてミュージアムを作ることになったのです。ミュージアムでは、単に美術品を飾るのではなく、新しい通信ネットワークやコンピューター技術を駆使した表現方法や文化を表現したり発掘するいわゆるメディアアートの美術館を目指しました。

私は91年にICC推進室長となりましたが、ICCがオープンしたのは97年6月です。ICCがオープンするまでの6年間、仕事の相手は、企業関係者ではなく、美術館の学芸員の方や大学の先生、国内・海外のアーティストでした。この時期に様々な分野の方々と交流を深めることができたのは私にとってかけがえのないものとなりました。

ICCは、今でも、美大の学生さんなどを中心にすごい人気がある施設となっています。新しい技術は、人間の精神に影響を与え、価値観を変え、文化やアートの有り様も変えていくわけですが、ICCは、そうした価値観の変化を一早く感知して、人々に展示やイベントを通じて感じてもらう場を提供しています。

■カナダでメディア論を研究

ICCがオープンした後、情報技術が文化に与える影響やそのメカニズムを専門的に研究したいとの思いが強くなったので、トロント大学のマクルーハンプログラムで研究させてくれと会社に希望を出しました。マクルーハン・プログラムとは、メディア論の権威であるマーシャル・マクルーハンが作ったプログラムで、世界各国から研究者が集まりメディアの心理的・文化的影響について研究をしていました。

会社としても、新しい情報技術が、どんな社会や、どんな文化をつくっていくかについて、それなりに精通した人間がいてもいいだろうと考えてくれ、私をシニアフェローとして1年間、派遣してくれました。

プログラムでは、研究の核となる研究者が10人くらいいて、その方々と一緒に研究する方が、世界各国からやってきていました。ここも大きな下宿みたいなものといえます。トロントでの生活は、大学の図書館と研究会への出席の毎日でしたが、学生時代の不勉強を少しは取り返せた、という満足感がありました。帰国後、マクルーハンの業績を日本の若いメディア論研究者にも知ってもらいたいという思いからマクルーハン親子の著作「メディアの法則/Laws of Media」を翻訳して出版しました。

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マクルーハンの有名な言葉の一つに、「メディアはメッセージである」というものがあります。一般にメディアは、情報を運ぶための単なるパイプライン(導管)で、メッセージ(内容)とは無関係であると考えられがちですが、じつは違います。メディア自身にメッセージ性があるので、情報の内容(コンテンツ)よりも内容を伝える「メディアそのもの」に注意を向ける必要があるのです。

ある大きな事件が起きたとして、それをテレビで観て知るか、ラジオを聞いて知るか、新聞を読んで知るか、今ならインターネットで知るかで、その「出来事」そのものが変わってしまう、ということです。アポロ11号の月面着陸を子供の頃テレビで見た話をしましたが、もしそれをラジオで聞いていたら、アポロ11号の月面着陸は、私にとって全く別な「出来事」になっていたでしょう。これは、ラジオよりテレビの方が映像が見れるので優れているうということではありません。体験が違う、ということです。それはもっと大きく言えば、世界の捉え方、歴史の捉え方にも関わってきます。

その昔、本ばかり読んでいる人は「本の虫」と言われました。本の虫はだいたい理屈っぽくなります。「テレビ人間」は感情豊かですが、話に一貫性がありません、「パソコンオタク」は、いやに些細なことにこだわります。本の虫とテレビ人間とパソコンオタクは、同じ情報に接しても、全く別なものを見ている可能性があります。メディア技術がもたらすサブリミナルな影響に注意を払わないと世界を見誤るとマクルーハンは指摘しています。

こういうことはメディアに限りません。たとえば、このインタビューでも、もし私がすごい豪華な会議室のドーンとしたソファで偉そうに座って話していれば、私の印象は私の中身から離れ、別なものになるでしょう。言語だけでなく、着ているものから、表情、場所などもメッセージになります。メッセージは、受け手の立場から考察する必要があるわけです。

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また、メディアの形式によってコンテンツそのものも影響を受けています。たとえば、インターネットでは、当初、新聞の記事をそのまま掲載していましたが、それでは長くて読みにくいとなり、インターネット用に記事が短くなりました。すると、次第に新聞記事の方までも短くなったのです。メディアの性質に合わせて情報内容が変容してしまうのです。

小泉政権の時に「ワンフレーズ・ポリティクス」という言葉が一時話題になりました。テレビは「理屈っぽい人」を嫌うので、「ワンフレーズ」で伝えることは重要です。逆に活字では「理屈」・「論理の一貫性」が求められますので、少々硬いメッセージが権威を持ちます。メディアによってメッセージ内容を使い分けることが必要な時代なのです。

こうしたことを勉強してきましたが、これは今のビジネスと無関係ではありません。ビジネスはユーザや社会との「コミュニケーション」ですから、トロントでの勉強が大いに役立っています。たとえ優れた製品を作っても、それだけで売れるわけではありません。どうやって消費者に訴求していくか、どういうメディアを通じてPRしたら一番伝わるか、会社のブランドイメージをどうやって構築するかなど、企業のマーケティング全般に関わっています。

(第4回に続く)


(第1回)あえて人と違う選択をしてバランスを取る
(第2回)ジャーナリスト志望が電電公社に
(第3回)国会担当から文化施設の設立 そしてメディア論の研究へ
(第4回)日本の外貨サービスの可能性を信じて

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