株式会社マネーパートナーズ 代表取締役社長 奥山泰全氏(第2回)
2009年01月26日(月)


■孫の代で勝つための戦略を考える
慶応大学に入学して驚いたことは、いわゆる富裕層が多いことでした。慶応大学には、私のように大学入試で入学した方だけでなく、幼稚舎とか高校から入学する方々も数多くいます。こうした方々は、大学1年から外車に乗っていたり、赤坂などにある高級店の味などについて語っているのを聞き、自分の世界とは大きく違うと思いました。
彼らを見ることで、「これでは自分の代では勝つことはできない」との見えていなかった格差の実感が大きくなってきました。育ちであったり資産であったりという、脈々と続いている歴史の中で、自分という人間がいかに無力かと感じるところが多々ありました。自分は目いっぱい勉強して慶応大学に入学しただけで、お金を含め何も余裕がありませんでした。一方、彼らは、全てにおいて余裕があふれていました。こんな余裕は、自分が30歳になっても身に付かないだろうし、自分が40歳や50歳になって身につけても、もう間に合いません。大学入学当初の時点で、自分が本気でがんばっても、孫の代までいかないと彼らには勝てない、との思いが強くなってきました。
今でこそ、私は上企業の社長を務めさせていただいておりますが、それでも当時の同級生たちのステイタスや人脈等には、今でも到底かなわないと思っています。自分の孫の代になって、彼らと同じ土俵に立てればよい。そのために、今を頑張っていきたいと考えています。
今ですら、そんな思いを持っているくらいですから、当時は、もっと強く、彼らには勝てない、孫の代までいかないと勝てない、と感じていました。そんななか、自分が彼らに少しでも追いつくためには、彼らが社会に出るより少しでも早くビジネスでお金を稼がなくてはいけないと考えるようになりました。
■学生ビジネスで2万人のネットワークを構築
大学一年の8月ころに、大学のサークルが作るサークルジャンパーに目をつけました。Tシャツを1枚ずつ売るのは大変ですが、サークルでしたら、サークルに所属する人数分を一気に売ることができます。思いついたのが夏だったこともあり、まずはサークル向けのオリジナルTシャツを販売しました。Tシャツを50枚購入し、印刷業者に印刷を頼み、1着500円で仕入れたTシャツを2千円で販売しました。これはうまくいき、短期間で十数万円を手に入れました。このとき、このお金は自分がビジネスで稼いだものだ、との実感が強かったのを覚えています。
Tシャツでうまくいったこともあり、次に、この仕組みをスタジアムジャンパーに応用することにしました。スタジアムジャンパーは、いわゆる革ジャンの一種で、サークルで購入するときには、ジャンパーに刺繍やワッペンを入れたり、裏側にボアを付けるなどカスタマイズすることが一般的でした。このため単価は、1着5万円前後と高額でした。
サークルで購入されるスタジアムジャンパーのコスト構造を調べると、実際には2万円前後で製造できることが分かりました。そこで、慶応の体育会系の野球サークルに行き、1着5万円のスタジアムジャンパーを全く同じ品質で4万円で作らせてくれないかと持ちかけました。1着あたり1万円安くなるほか、大学も同じということで、1着4万円のスタジアムジャンパーを150着受注することに成功しました。また発注いただく際に、オリジナル製品のため返品ができないことを理由に、注文時に代金の半分を預からせていただくことにしました。つまり1着2万円の150着分である300万円を事前に預かったわけです。これにより、製造コストを顧客のお金でまかない、回収する残りの代金が全て利益になるので、資金繰りリスクをゼロにすることができます。この仕組みは、慶応大学だけでなく、他の大学でも適用しました。その結果、3、4ヶ月くらい経つと、自分の手元には約2千万円のお金があったのを覚えています。
これだけ規模が大きくなると、自分のやっていることが、単なるジャンパー屋ではなくなってきました。ジャンパーの注文をいただいた後に、サークルの合宿所探しや、学生向けアンケートを希望する企業からの依頼が舞い込むようになったのです。そして、アンケートリサーチからダンスパーティの主催、女子大生を対象とした雑誌モデルのスカウトといったタレント事務所の真似事までしていました。大学二年のときには、オリジナルジャンパーを販売する組織が、学生2万人のネットワーク組織になったのです。
■パンローリング後藤社長との出会い
学生ネットワークのビジネスをするかたわら、高校時代から株式投資は続けていました。しかし当時、株式投資では、バブル崩壊で大損していました。私は四国電力の株を120万円で購入したのですが、バブル崩壊で一気に40万円になりました。電力株なのに株価が3分の1になったショックは今でも覚えています。当時、スタジアムジャンパーで数百万円のお金を扱っていましたが、このときの株の損は自分の中では大きいものでした。
株式投資で損害を被りましたが、成功するためには資本市場の仕組みを知らなければいけないと、投資関係の本を読み漁っていました。テクニカル分析を自分なりに研究するために、国会図書館に通い、新聞の縮刷版をめくりながら、四国電力の株価をノートに10年分つけていきました。そのノートをもとにパソコンにデータを入力し、プログラムを組んでオリジナルのチャートシステムを作り上げ、書籍を参考にほとんどのテクニカル分析の手法を全て検証したりもしたものです。
学生ビジネスをしていく中で、社会人として学生ビジネスをしている方と知り合い、その方のオフィスによく出入りするようになりました。オフィスには、会社を立ち上げた若い人たちが7人くらいおり、共同事務所のような形態でオフィスが利用されていました。
しばらくすると、そのオフィスの中に、変わった方がいるのに気づきました。その方は、建築事務所でもないのに製図机を使い、とても大きなグラフ用紙に何かを一生懸命描いています。見てみると、その用紙には、図面やイラストではなくローソク足が書かれています。私も株式投資をしていたので、その方に話しかけると、その方は時間が許す限り、投資と相場について語ってくれました。その方が、現在パンローリング(投資関連書籍の出版社)の社長である後藤さんです。私にとって、これが運命的な出会いといえるものかもしれません。彼のおかげで、相場に対する姿勢が大きく変わりました。
後藤さんが教えてくれたのは、商品先物相場における鞘取りという手法です。鞘取りとは、関連のある2つの商品や、同一商品の2つの限月などの価格差の変化を利用した投資手法です。鞘取りを始めた当初は、勝ったり負けたりするのですが、続けていく中で資金が増えていき、投資で安定的なリターンを上げる方法は実際にあるのだという手ごたえを得ました。市場のメカニズムをしっかり知り、自分の投資技術を磨けばしっかりしたリターンをあげることができるのだということが分かったのです。
(次回に続く)
(第1回)自分の知らない世界を目指し命がけの猛勉強
(第2回)ビジネスと投資の基礎を構築
(第3回)個人投資家からビジネスパーソンへ
(第4回)OTCがFX業界をより良くする
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Posted by ThePresidents